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目指すは「映像が浮かぶ」文章

最近、新しくマガジンを作成した。
その名も「noteマイルール」

1000日も続けていると必然的に「自分の型」というものが出来上がってくるものだ。今年1年の個人的テーマは「壊」だけど、壊す前に何が大事で何が壊してもいいのか振り返るためにマガジンを作成した。まだまだ少ないのでどんどん追加していければと思う。

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今日テーマにしているのは、いわば私が文章を作成するときの、もっと言えば会話も含めて人とコミュニケーションをするときの理想の姿だ。

それが「映像が浮かぶ」文章、やりとり、コミュニケーションである。

noteで文章を書いておいてなんだが、YouTubeって情報を受け取る手段としてすごく優秀だ。YouTubeに限らず他の映像媒体にも言えることではあるが。

なぜかと言うと「映像」には多くの情報量が含まれているから。
動き、表情、音、時間の経過などなど。受け取れる情報量が多ければ多いほど、発信側と受信側の齟齬は生まれにくい。つまりもう少しわかりやすく言うと、共有している情報が多ければ多いほど情報の食い違いが生まれにくい、ということ。

これの何がいいかというと、伝えたいことが伝えたいように伝わりやすいというわけ。「伝える」がいっぱい登場しすぎてわかりづらいと思うので具体例を挙げる。

例えば、文面のやり取りで

A「明日、公園に遊びに行こうよ」
B「私も行きたい!」
C「何で来るの?」

というやり取りがLINEグループで行われたとしよう。あなたはこのやり取りを見てどのように解釈するだろうか。

CさんはBさんに対して”どういった手段で公園まで来るのかな?”という意味合いで「何で来るの?」と言っていたとする。ただこの文面だけを見て、私がBさんの立場なら、「え、、、私行っちゃいけないのかな、、」という気持ちになっても無理はない。

もしこれがAさん、Bさん、Cさんの3人で顔を合わせてやり取りしていたら、声のトーンや顔の表情等でこんな誤解は生まれないはずだ。

それくらいに映像というのは情報を伝えるのに優秀で、文章というのは表現によって誤解を生みやすいものであるということ。


直接伝えられるに越したことはないけれど、どうしても文章で伝えなくちゃいけないことがあるのも事実。

だからこそ映像が浮かぶ文章をお届けできるようになることで、自分の意思は伝わりやすくなる。

先程の会話のやり取りを例にしてみると、

Cさんの「何で来るの?」は映像が浮かびづらい。もしそこに「『Bさんは公園に』何で来るの?」と付け加えていれば映像も浮かんできて誤解も生まれなかったはず。

つまり、「映像が浮かぶ文章」を考えるということは、”今よりちょっと親切になる”練習でもある。再三再四私がテーマにしている、「自分だけわかる➤誰でもわかる」の練習だ。

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またこういった発信する人にとって文章での表現には無限の可能性があるとも思っている。

動画のような映像の発信ももちろん素晴らしい。それこそ情報量が多くわかりやすい。ただそれは同時に、その映像が「事実」であり「正解」だ。

一方で文章は不十分さもある。情報量が少ないから。ただそれをいい意味で捉えると「余白がある」ということ。決まりきった正解がそこにはない。ある程度ストーリー性があって、映像が頭に浮かべば、あとは読む側のいい意味で”都合のいいように解釈できる”のが文章の強みだと思っている。

だから私は積極的に自分の過去の体験談を記事にしている。自分の経験を都合のいいように解釈していただいて、読んでくださる人の反面教師でもいいし、何か少しでも参考になればいいと思うから。


「映像が浮かぶ」文章。



目指すべき姿だ。

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塩浦良太
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