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”respect"センサーを常に発動せよ

先日こんな記事を投稿した。

「大変って”大きく変わる”チャンスなんですよ!」

そう教えてくれたのは年下の子。

学ぶ相手に年齢なんて関係ない、そういった記事の締めくくり方だった。

そんなことを思いながら、自分が振り返る用としてメモしているノートをパラパラとめくっていたらこんな言葉があった。

「respectは〈"re”「再び」+”spect"「見る」〉が語源で、「二度見てしまうほど」「振り返ってみるほど」大事なものという意味がある」

「なるほどなー」って思った。

人は”見よう”と思ったものしか目に入らない傾向がある。それは意識だったり、知識による認知だったり、興味だったり。それかよほど相手が魅力的だったりまた話は変わってくるが。

だからもしかしたら日常を過ごしている中で、いくつもの学びがあったかもしれないのに、素通りしていることってあると思うんだ。

別に素通りすることが悪いことじゃないし、気づけた時が本当に必要としている時っていう意味でもあると思うんだけど、ほんの少し「もったいないなぁ」と自分に対して思うことがあるのも事実。

「もっと早く知っておけば、、」

とか、

「あれ、そういえばこれどっかで聞いたことある気がするけど何だっけ?」

とかって、限られた人生の中でもったいないことな気がする。

それが本当に初知りの情報だったり、本当に視界のすみっこの方で見た記憶があるくらいだったらしょうがないとも思うけど、自分の意識次第で捉え方が変わるものだったら絶対普段の意識から変えた方がよくて。

それの一番の方法が「respect」の姿勢を持つことなんだと思う。

憧れだったり尊敬の対象だったりしたら穴が空くくらい相手を見るはず。その一方で、言葉はあれだけど自分にとっては関係のない人だったり、なれてしまった相手だったりしたらアバウトな感じでその相手を見る気がする。

年を重ねるにつれ、時間が経つのを早く感じるのも、見慣れた景色が増えていくことでよく見ようとしないからだって聞いたことがある。

きっとその”アバウトさ”で見落としているものってたくさんあるんじゃないだろうか。

常に、誰に対しても、「この人から何か学べないか」「この人から何か盗めないか」そういった意味での「respect」のセンサーを発動させていれば、きっと今より人生楽しくなる気がする。

これはおそらく人だけじゃない。

自分が苦手な仕事だったり、なんとなく過ごしている時間だったり、そういった時でも「この瞬間から何か学べないか」っていう、時間に対してのrespectを持てば普段気づけないことにも気づける気がする。

これだけ聞くと生き急いでいるというか、息苦しいというか、そんな感じもするがでも「あの時間もったいなかったな」って後で思うくらいなら今もっといろんなことに興味を持った方がいい。

それにrespectされて嫌な気持ちになる人はいない。
そして相手も同じようにrespectしてくれるはず。

せっかく偶然出会ったのなら、興味ない関係になるよりrespectし合える関係になった方がいいじゃん。で、最初の話に戻るけど、そこに年齢の上下、地位の上下って関係ないじゃん、というわけ。


respectセンサーは24時間年中無休で発動させていたいな。

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塩浦良太
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