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ふと考えてみたシリーズ

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#自分と向き合う

過去と未来の定期検診

過去と未来の定期検診

最近”今”に必死になりがちだ。

実質致し方ない部分もある(言い訳かも)。
目の前のタスクに追われ、今やりたいこと、やらなきゃいけないことがあり、それ以外のことを考えている時間がない、みたいな。

例えばこういったnoteだって、何かつくりこむというよりかは今感じていることを言語化する記事が多くなった。それはそれで一つの狙いというか目指している部分でもあるから悪いことじゃないんだけど、ちょっと寂し

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「嫌なこと」が合う相手

「嫌なこと」が合う相手

「合う人に会っていく」

オードリーの若林さんがある本で書かれていたこの言葉、その考え方が私は好きだ。だからこれまでにも何回か記事に登場してきた。

これは別に”合わない人は避けていく”ということではないはず。
そりゃ生きていれば合う人合わない人はいて、合わなくても何かしら関係を持つことが求められる状況だってある。そこまで精査して「合う人を探すんだ」という覚悟があるならそれでもいいのかもしれないけ

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一人になりたい時ほど、”ひとり”にならないようにする

一人になりたい時ほど、”ひとり”にならないようにする

皆さんは「一人になりたいな~」って思うことはないだろうか。
1人で気分転換したいとか、1人で考え事したいとか、

日々いろいろな人の中で揉まれているからこそ、
1人の時間も大切だったりする。

だからここから書くことはあくまで【自分の場合】のことなんだけど、
自分の場合、

”1人になりたい時ほど、ひとりになっちゃいけないな”

と最近思う。

前提として私は集団でいることも1人でいることも好きだ

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気配りの総量

気配りの総量

人間好き嫌いがあれば、合う合わないがあるものだ。
だって育ってきた環境、触れてきたものが違うのだから価値観だって変わってくる。

何かと「違う」ということに対しては拒否反応を示しがちなもので。
その中で「同じ」部分を知ることで距離が近づいていくんだけど、それでも合う合わないはあると思っている。

別にそれが悪いことだとは思わないし、そういうものだと思う。
私の好きな言葉の1つに、

「合うものに会

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ノートに言葉が書き溜まっていくと、自分の心も満たされていく

ノートに言葉が書き溜まっていくと、自分の心も満たされていく

ここでの「ノート」はその名の通り、紙のノートだ。
すっかり私がnoteに取りつかれているのは言うまでもないが、自分自身の原点でもあり今も頂点は、紙のノートだ。

「塩浦良太」と「書く」という行為は切っても切り離せない関係だ。

いつしか書くことが好きになっていた。
その理由は分からない。

「文字綺麗だね」って言われたからだろうか。
書いた文章を褒められたからだろうか。
作文で賞を受賞したからだろ

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目標設定について考えてみた

目標設定について考えてみた

#就労支援の現場から

私が働く就労支援のところでは、毎月月初めにご利用者様に「私の目標と計画」というものを作成いただいています。

長期目標(将来的にどうなっていたいか)をまず書いて(STEP1)、そこからそのために❝ここ❞でどんなことをやっていくかを書きます(STEP2)。STEP1、2を踏まえて、じゃあ今月は何を重点的にやっていくか、という目標を設定してもらいます。

***

ある1人のご

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「出来ること」と「やりたいこと」の距離感

「出来ること」と「やりたいこと」の距離感

「出来ること」と「やりたいこと」は違う。
よく耳にすることはないだろうか。

やりたいことがあることはすごく大事だけど、
やりたいだけでまったくもって出来ないのであれば、
組織として動くときそれは大きな誤算となりかねない。

特に「働く」という部分においては、働いて出た成果の対価としてお給料をいただいている。「やりたい」の思いだけで、価値が何も生まれていなかったらそれは「働く」にならない部分がある

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自分の”唯一無二性”に気付けるかどうか

自分の”唯一無二性”に気付けるかどうか

皆さんは「自分」に自信を持っているだろうか。
「自分」という人間を相手に説明できるだろうか。

なんか堅苦しい入りになった。

かくいう私は昔は全然自分のことを相手に説明できなかった。
むしろちょっと避けていた。説明しなくてもいいように、空気を感じてカメレオンのように合わせていた気もする。



自分が「何者」であるかを求める時代になってきた。

終身雇用だったり、安定した未来だったりがぼやけて

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学びは”再定義”までがセット

学びは”再定義”までがセット

最近の趣味の1つ、
気になるジャンルのいろんなポッドキャストを聴くこと。

朝通勤する時、30分くらいの徒歩移動がある。基本的にはこの移動時間は好きな音楽聴いたり、考え事したりしているんだけど、学びに費やす時間が減ってきている最近は何にも縛られないこの移動時間をより有効活用したいなと思い、ポッドキャストを聴く機会が増えた。

気になっているジャンルの1つがブランディング。
「〇〇といえば」を誰にで

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それでも自分は「知る」を選びたい

それでも自分は「知る」を選びたい

「知る」ことの功罪ってあると思うんです。
いきなりなんだ、という感じですが。

まずもって『功罪』とは何なのか。

とのこと。それを踏まえた上で今回の記事を読んでいただきたいなと。

”選択肢を増やす”、何か目標を掲げる際、そう掲げる人も少なくはないんじゃないでしょうか。自分も就活の時、言ってたなと。

自分で言っておきながらなんですが、選択肢を増やす、選択肢がある、ってとても大事なことだと思うん

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「ありたい」と「なりたい」

「ありたい」と「なりたい」

「ありたい」と「なりたい」。

似てるけど違う。だけどそれは全くの別物というわけでなく、それぞれがそれぞれを輝かせるもの、そんな風に思っている。

言葉のニュアンスだけで感じ取ると、ここら辺はごっちゃにしちゃいそうだ。だけどごっちゃになると危ない気もする。

「ありたい」って”今からでも出来ること”であり、”そう居続けること”だと思っている。成長していくと変わっていく部分がある中で、変わらないこと

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「出来る」と「出来ない」の間で

「出来る」と「出来ない」の間で

何が出来るか、を知ることは大事だ。
そして出来ることを増やしていくことも大事だ。

出来ることが増えることで、自分の行動の選択肢は広がっていく。
選択肢が広がっていくことは、自分の武器が増えることだと思っている。
どんな場面になっても、選択肢を多く持っていることで適材適所で乗り切れる。選択肢が多い方がいい理由の1つは、それな気がする。

こういう時、「出来る」が結構神格化される。
出来ることが良く

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自分との距離感

自分との距離感

家族、友達、上司、部下、先輩、後輩。
人と関わるというのは難しいことも多い。

そりゃそうだ。
生まれも育ちも違う人間が全く同じなんてことはない。
その中でお互い歩み寄りながら、いい関係を築いていく。

そんな中で最近思うことがある。

「いや、これ、自分との距離感も難しいぞ」

と。

小さい頃の自分は、自分と向き合うことから逃げていた。
逃げていた、というか目の前の忙しさや求められていることば

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「捨てる」が必要になってきた

「捨てる」が必要になってきた

今日は最近の感覚を置いていきたい。

タイトルにもある通り、「捨てる」が必要になってきたなって。
それは物的な断捨離という意味ではなくて、考えだったり行動だったりの断捨離。

年々「責任」だったり、「行動範囲」だったりが増えて考える量が増えてきた。何かを考えながら同時進行で何かを考える、どっちが優先順位高いか、だけどあれはいついつが締め切りだ、みたいな。

そういった思考のパズルを常にしていると、

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