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2024年2月の記事一覧

分かれていたものを疑っていく

分かれていたものを疑っていく

昨日、Xにてこんな投稿をした。

最近の記事で「情報を絞る」と言っておいてなんだが、140文字じゃ表現するには文字数が足りなかったのでここでも追加で書いていきたい。

「今まで分かれていたものを疑っていく」

すごく興味深い言葉だと思った。

私たちは何かと分けることが多い。
それこそ文系、理系とか、男女とか、海と山とか。
きっとそれは、分かれていた方が分かりやすいから。

でも上記の言葉は、そう

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代弁ではなく翻訳を。

代弁ではなく翻訳を。

ずーーーーーっと将来の夢とか、やりたいことがない人間だった。
なんかこんなことを、以前も書いたことがある気がする。

周りが安心するような、納得してくれるような夢を並べ、自分にそう言い聞かせる。だけどやっぱり違うと気づき、とりあえず今を積み重ねることに奔走する日々だ。

最近ある印象的な文章に出会った。

この考え方が正しいかどうかは別として、すごくわかる気がする。

私の場合特殊で、子供ながらに

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「最近何かいいことあった?」に答えられる人でいたい

「最近何かいいことあった?」に答えられる人でいたい

「最近何かいいことあった?」

たまにふとそんなことを聞かれることがある。
皆さんはそう聞かれた時、パッと答えられるだろうか。

今の私はきっと出てこない。
そういうとき、「最近あったいいことか…。パッと出てこんな(笑)」と笑いながら誤魔化して、話をうやむやな感じにする自分がいる。

そんなのなんか寂しいな、って思った。
せっかく限られた人生を生きてるのに。

別にこれって日常の中に「いいこと」が

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「出来ない」と「やりたくない」

「出来ない」と「やりたくない」

記事にしてみたいことは突如降りてくるものだ。
だけど大抵「あ、でも過去に書いたことあるかも…」となる。
記事を検索してみる。案の定、書いてある。だけど過去に書いたものはまだ抽象的だったりする。だからより詳しく言語化する。

というわけで、今回書きたいのは過去の

のちょっとした深掘り。

上記の記事の概略をお伝えすると、自分の働いている就労支援に関わっている「合理的配慮」の部分について考えたもの。

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「出来ること」と「やりたいこと」の距離感

「出来ること」と「やりたいこと」の距離感

「出来ること」と「やりたいこと」は違う。
よく耳にすることはないだろうか。

やりたいことがあることはすごく大事だけど、
やりたいだけでまったくもって出来ないのであれば、
組織として動くときそれは大きな誤算となりかねない。

特に「働く」という部分においては、働いて出た成果の対価としてお給料をいただいている。「やりたい」の思いだけで、価値が何も生まれていなかったらそれは「働く」にならない部分がある

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自分の”唯一無二性”に気付けるかどうか

自分の”唯一無二性”に気付けるかどうか

皆さんは「自分」に自信を持っているだろうか。
「自分」という人間を相手に説明できるだろうか。

なんか堅苦しい入りになった。

かくいう私は昔は全然自分のことを相手に説明できなかった。
むしろちょっと避けていた。説明しなくてもいいように、空気を感じてカメレオンのように合わせていた気もする。



自分が「何者」であるかを求める時代になってきた。

終身雇用だったり、安定した未来だったりがぼやけて

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学びは”再定義”までがセット

学びは”再定義”までがセット

最近の趣味の1つ、
気になるジャンルのいろんなポッドキャストを聴くこと。

朝通勤する時、30分くらいの徒歩移動がある。基本的にはこの移動時間は好きな音楽聴いたり、考え事したりしているんだけど、学びに費やす時間が減ってきている最近は何にも縛られないこの移動時間をより有効活用したいなと思い、ポッドキャストを聴く機会が増えた。

気になっているジャンルの1つがブランディング。
「〇〇といえば」を誰にで

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それでも自分は「知る」を選びたい

それでも自分は「知る」を選びたい

「知る」ことの功罪ってあると思うんです。
いきなりなんだ、という感じですが。

まずもって『功罪』とは何なのか。

とのこと。それを踏まえた上で今回の記事を読んでいただきたいなと。

”選択肢を増やす”、何か目標を掲げる際、そう掲げる人も少なくはないんじゃないでしょうか。自分も就活の時、言ってたなと。

自分で言っておきながらなんですが、選択肢を増やす、選択肢がある、ってとても大事なことだと思うん

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適当のテキトーさに救われる

適当のテキトーさに救われる

昨日、「適当にのんびりやっていく」という記事を書いた。

肩肘張りすぎたって、考えすぎたってしょうがないから、いやでも考えるんだから、もっと力抜いて適当にのんびりやっていこう、って。

さりげなく当たり前のように「適当」という単語を使ったけど、適当にはいろんな意味があるなと思う。

1番よく使われるのは、「いい加減、雑な感じ」のイメージがある。

って。自然とカタカナで表現したくなる感じがする。

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