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業火(小説)

(小説「堕ちる犬」からの抜粋の掌編です。一つのSM掌編としても完成しているので抜粋して載せています。興味を持たれた方は、下リンクから本編へ飛べます。川名過去編①)

兄がまた血まみれで帰ってきた。ベッドに寝ころんで獣のようにいびきをかいて寝ていた。血は龍一郎本人の血もあるが、他人の血がほとんどである。

兄龍一郎は、川名義孝が物心ついたころから、そうであった。ケダモノである。ケダモノは力が人一倍強く、異臭を放ち、人の言葉や気持ちなど、一切理解しない。大きな影は夜中家の中を徘徊した。穢れの概念をそのまま人間にしたら、この男になるだろうと義孝は、いつからか思うようになっていた。

”義”両親は、幼い頃こそ、兄の資質を心配したが、成長するにつれ完全に手に負えなくなった彼の非行を諦めて、残った義孝の方に愛情を注力するようになる。しかし、義孝に全く問題が無かったわけでない。成長につれ、龍一郎ほどではないにしろ問題が現われて、このままでは兄と同じ非行を進む予感があった。

特に顕著なのは、義孝がいつまでたっても殺生に全く躊躇いがなく興味を示すことだった。小さな子どもは、蟻や蛙などを殺しても罪悪感を抱かぬが、命の尊さを学習するのと、虫を殺す行為よりもっと楽しい遊びがこの世にはあることを解して、卒業する。しかし、義孝はそうではなかった。

父母は、何度か口で「可哀そうだからやめなさい」と注意し、義孝は「わかったよ」と困ったような笑顔を浮かべて取り繕う。ただ、常識として理解はしているが、心の動きとしては、一切理解できていないのだった。

中学に上がる頃の義孝は、まるで龍一郎とは正反対であった。友人も多く、成績良好品行方正。自ら生徒会に入って自治を行い教員生徒共に支持を得たり、女生徒から手紙をもらったりと、傍から見れば全く問題ないどころか充実しているようにみえた。同じ兄弟で、こうも出来が違うとは面白いと義父母は思った。それから、義孝のことについても、以前より心配するのは止めていた。一時期、兄の影響によるのか思い詰めたようになっていた時期があったが、その傾向も失せたように義父母には見えていた。

しかし、義孝の素行は、義孝が龍一郎を激しく嫌悪した結果、反面教師にして、自分がやりたいからやったというより、意図的に逆を行った結果でしかなかった。そこに何の心も意志も無いのだった。

ついにある日、義父は家の裏で意図的に殺害解体された猫の死体を発見するに至った。それは龍一郎の破壊性を帯びた暴力とは違う、静かで猟奇性の強い暴力の発露、異常な集中力で丁寧に解体され、そのまま標本として飾っても良いほどの出来であった。さらに調べると、それが軒下から五体見つかった。解体技術は五体を通して著しく成長していた。

両親は、義孝の秘められた悪癖を何とか正そうと策を練り、彼が龍一郎とは違う点として、小さい頃から粘度遊びやお絵かきに興味を示し、成長した今でも引き続き図画工作や美術の成績がいいことに目をつけるのだった。つい最近も、美術の授業の中で描いた夏山の風景画が、学生向けコンクールに入選していた。それから、彼にこう言った。

「俺はお前が何をしているか知っているぞ。」
「……。」
義孝は父親からの指摘に、父に呼ばれてにこにこしていた顔から白けた顔に変わって「だったら何。」と言った。
「何がわかるんです。」
とさらに続け、ふてくされた。
「わかるかわからないかで言ったら、俺はお前がわからない。違う人間なのだからな、当たり前だ。」

義孝は意外そうな瞳で父を見上げたが、また猜疑的な瞳をして「ふーん、まあ血も繋がってないですしね。」と思春期相応の生意気な口をきいた。

「心配しなくてもアイツのようになる気は無いから、迷惑もかけてないし。」

アイツとは言うまでもなく、龍一郎のことであった。龍一郎は義孝が中学に上がるころには、ほとんど家にいつかなくなっていたが、たまに家に帰ってきた。義孝は、彼の靴があるのを発見すると家に上がるのを止め、外で何時間でも時間を潰した。

その理由を、義父母は単に仲が悪いと解釈しているようであったが、それ以上の問題が横たわっていた。兄弟で年が五つ六つ離れていることもあり、義孝はその概念を知る前に、事故のように巻き込まれ、ようやく思春期ともいえる最近になって己の身に起きていたこと、兄の行動の意味の全てを理解したのだった。
何度か、養父母らにこの件を言うべきなのだろうかと思って、しかし、実際善良な彼らを目の前にすると、とても口にする気は起こらず、取り繕う癖だけがうまくなる。

「本当か?お前には龍一郎と全く同じ破壊衝動があるだろう。」

義孝は、義父を見ながら、握った拳の中が湿り始めるのを感じていた。頭の奥の方がどくどくする。
その通りかもしれない。しかし、それをお前にとがめられる権利があるのか。

「今更隠さなくても良い。隠そうとするから、ああいったものを作るに至るんだ。」
「うるさい……!」

今まで聴いたことの無いような獣じみた低い声に義父は驚いたが、動揺を隠した。地の底から上がってくるようだが、妙に頭に爽やかに響き、残響する声であった。もしかしたら、この子は初めて本当の感情を見せたのかもしれないと、義父は動じながらも、その場を急ぎ去ろうとする義孝の腕を強くとって諫めた。今ここで逃したら、永遠に対話の機会が失われるように思った。

「まあ待て。別に俺はお前を辱めようとしているわけじゃない。お前はこの件とは別に、絵を描くのが好きだな。俺もたまにお前の創ったものを見るが、絵のことがわからん俺でも、いい絵だと思うし、誇らしい。」

握った手の中の腕が軽く弛緩しするのがわかった。

「お前の中のエネルギーは、常人のそれとは違うらしい。別にそれは悪でもなく、エネルギーが大きいことは使い方さえ誤らなければ、寧ろ素晴らしいことだ。だったら代替する何かにそれを注ぐのがいい。無理にやれとは言わない。大体お前の周りの連中も今、教師か親か周りの影響か、部活やスポーツに打ち込んでいるだろう。アレはなぜか?有り余るエネルギーを抑制させ、統制するためだ。わかるか?お前は自分で自分を無理に抑制しようとして奇妙な方向へ進もうとしている。だから、もし次にやりたくなったら、代わりに絵を描くか、お前の気に入っている画家、なんだったか、忘れたが、それを見て模写でもしてみるんだな。絵の中で解体してみたって良い。骨格から描くのは学びになるらしいからな。」

義父は、義孝を掴んでいた手を離した。義孝はしばらく軽く俯いたまま立ちすくんでいたが、黙ったまま静かに義父の前を去っていった。義父はその背中に声を掛けようか迷い、止めた。翌朝顔を合わせた時には何事も無かったかのようにふるまい、笑顔さえ見せた。義父は自分が言ったことが彼につたわったか不安になるのだったが、ある日、こういう画材が欲しいと相談してきた彼に幾らかの手ごたえを感じるのだった。

義父には絵がわからなかったが、彼の衝動の発露は全て褒めた。素人目に見ても精巧な絵が多く、細部まで異様なこだわりで時に部屋に何日も籠って描いていた。悪癖は一切消えたように見え、それは義父母にとって喜ばしいことであったが、絵に賭けるエネルギーが多いほど、表面には表れない彼の中身、表に現れない衝動や感情の波の大きいことを意味していた。絵は猫の解体と同様に上達する。

そうして、進路を考える頃になり高校生になった義孝は、自然と美大の受験を考え始め予備校に通っていた。その矢先、夏のことだった。数年前から所在不明となって長いこと顔も見ていない兄が破産、凶悪事件を起こした上蒸発、実家どころか一族の資産を持ち逃げし、結果として進学どころではなくなったのである。

「あの野郎……相変わらずダニだな……」

義孝は、親戚や世間からも責められて憔悴し、別人のようになってしまった両親と共に暮らすのも嫌になり、彼らが義孝に龍一郎の面影を見て嫌な気分を起こすだろうと思い、家を出た。そして、何とか稼いで彼らのために送金しようと思った。兄の蛮行を思いのほか、周囲が騒ぐ中自分一人だけが冷静に受け止めていた。あーあ、やると思った、と言う感想でしかなく、ともすれば、アレは自分であった。

絵で喰っていくつもりであったが、何の実績もない。兄のこともある。自然と脚は、背景など関係なくリスクさえ背負えれば大きく稼げてしまう裏社会に向き始めるが、まだ絵で喰いたいという気持ちと兄と同じになることを考えると、どっぷりとその世界につかることを良しとしなかった。そして、絵が描けなくなると、肉体の中、脳髄の奥底に業のようなものが溜まって苦しいのだった。

ある日、悪い仲間が、義孝のアパートを訪れた。彼は余暇に描いたイラストを見て、これを身体に彫りたいと言った。彫る、その発想は無かったが、義孝はそう言われてからと言うもの、人体に直接針を立てて血に交じって絵を描くイメージにとりつかれて、よく眠れなくなった。己の身体で練習する気は起きないが、被検体がいるのであれば、昔、本を見ながら猫を捌いた時のように、やってみてもいいかもしれない。

義孝は、用具をとりよせた。そして、悪い仲間に、見よう見まねで絵を施すことを副業とし始めた。これが良い評判となり、弟子に迎えたいという格式高い彫師まで現れ、三年ほど弟子入りの名目で人の下で働くことになる。経験の浅さから安値で請負、表面上の人当たりの良さからも裏社会の中でそこそこの名を売った。

本来やりたかった絵も続けていたが、こちらが売れる様子は一切ない。兄の名前で箔が付くのは結局裏社会だけであり、箔が付けばまだ良い方で代わりにどこそこの、顔も知らない借金業者に追われる始末で、よく偽名を使った。彫師は便利で芸名、屋号でも売れ、その方が覚えてもらえる。しかし、表に出られず、沼底に引っ張られていく感覚はどんどん大きくなった。

たとえ人の皮膚の上だとしても、好きな絵が描けるなら、そう思うが、次第に流れる血を目にし、匂いを嗅ぎ、昔昇華させ消滅させたはずの感覚が、疼くのであった。彫っている間も喉の奥が痒く、疼き、そのまま、この針を、機械を、と思うことが増え始めた。それは、義孝の狭いアパートメントに、立てかけられた絵の数々にも表れた。下の方に埋もれた絵はおだやかであるのに、上に積まれた絵程、過激なものになりつつあった。アパートの一室は一つの繭のようであった。部屋の中心で蹲っていると、心の奥底に倒れ込んでいるようだ。

真夏だった。閉め切られた部屋は蒸して油絵具の匂いに満ちてた。四方に立てかけられた欲望の発露の中心で横たわる。トクン……トクン…‥自らの心臓の動くのを感じた。昔から、今にも止まってしまうのではないかと思う程異様に遅い心拍数であった。

このままでは、どうにもならなくなる。

暗い部屋の中、黒い絵画の数々に囲まれながら、もう、弟子を止めようと思い、誰にも何も言わず、勝手に抜けた。しばらくアパートから出てホテルを転々とする。破門同然で二度と彼らに顔向けできない。それでも人づてに注文は殺到した。値段を吊り上げ、わずかな顧客だけが残った。狭い業界での評判は、最悪を極め、手のひらを返したように悪評が広まる。別に、それでよかった。それがよかった。

ほとぼりが冷めて、誰にでもウケそうな可愛らしいイラストを売ってギリギリ食いつなぎ、どうしても金が足りなくなった時だけ陳腐な犯罪に手を染める生活になった。犯罪をやる場合は、誰かに使われるよりも、標的のこと、全体を把握して統率するのがよく向いており、企画して仲間を集い実行する方針をとった。

人よりも倫理観というものが乏しい自覚があった。心を痛むべきところで、うまく「痛むことができない」。

それは恥ずべきことであり、それゆえ、己の欲望をそのままいく兄と違って繕うことを覚えたのだ。闇の仕事の中では、倫理観が無いがゆえに人より思い切った計画と指示ができ、誰か逃げた場合、肩代わりして実行も厭わないのだった。悲しいことにイラストを描く何十倍もかせげ、評判も高まる。

一方、絵画どころか、せっかく注文を貰ったイラストにまで、邪な欲望の影響が出始めて、部屋の中で一人呻いていた。開けてはいけない、邪門のようなものが開きそうになるの押さえつけた。誰かと組もう、徒党を組もう、事業をしよう、という話が持ち上がるが、伸し上がるというより転げ落ちるような気がして、すべて拒否した。

金にならない絵を描いている時間だけが、生きている気にさせた。しかし、それは誰にも求められない。

世の中に、生きることを許されていない。
もう、どうにもならなくなるくらいなら、このまま一生終わっていっても別に良いと思った。

犯罪で稼ぐことも自らの意思で断ち、親への送金もできずその日暮らしでいた。食うものもなく、食欲もなくなっていった。しかしペンと筆だけは動いた。身体の奥の方がドクドクとして、血が、力強く全身に供給されていく。寝もせず食べもせず描き続けて三日ほどたったある日のこと、悪い仲間づてに、本職の人間から墨の注文が届いた。すっかり名前も忘れ去られたと思っていたのに、どこで噂を聞いたのだろう。しかし、裏社会とのつながりを薄くしている最中であり、迷惑だった。

ヤクザ、本職の人間と関わると、ろくなことにならないのはわかっている。もう随分彫り物はやっておらず、腕が落ちたから、とてもできない、と、断った。しかし、悪い仲間は「断ると俺が殺されるかもしれない」と言いすがり、引き下がる様子を見せなかった。自分と同じような社会のダニ、彼の命自体はどうでもよかったが、万が一おこるかもしれない義両親への被害のことを考え、しぶしぶ承諾した。何癖付けて、断ろうと思っていた。

「一千万、ですか?」

迎えに来た車の助手席に座った男が、義孝が渋っているのを依頼者の男が既に見抜いており、一千万出すと言っているというのだ。余計に嫌になった。バックミラーに写った自分の顔を見た。食っていないせいで焦燥して顔つきが悪くなり、薄っすらと龍一郎の面影を見て、吐き気がする。

車は大きな門構えの屋敷に入り、奥の畳の部屋で待つようにと通された。待っている間、断る方法、パターンをいくつも考え時間を潰した。常人であれば、本職の人間の屋敷の奥に通されれば、緊張で頭の奥も白くなろうが、もはや一生終わろうがどうでもよいという精神性に至った義孝には、そのような緊張は一切なく、飽き飽きとした調子で、床の間の掛け軸を観察し始めた。最初何の絵かわからなかったが、よく見れば花びらを散らす真っ赤な椿の絵であった。

「なんだありゃ。酷い絵だな……」

アレだったらまだマシなものが描けるはずだ。あんなゴミが高値でやりとりされ、ヤクザの家に客間にかかっていて、己の家にある絵が売れないのは納得がいかない。消えかけていた炎がまた小さく揺らいだ。その時、川名の中の炎のゆらぎに合わせたように障子が開き、ひとり、若い和服の男が入ってきた。

「やぁ、待たせちゃったかな。」

男は色白い顔の上に、柔和な笑顔を浮かべ、のろのろとした調子で向かいに座るのだった。やわらかい雰囲気の中、本当に笑っているのかどうか、よくわからない。裏社会では笑顔というのが一番怖いのだ。また、のろのろした調子も気になった。ここまで義孝を連れてきた人間がきびきびと動くのに対して、動作がひどく緩慢で、誰にも指示されることがないであろう立場であることがわかる。

「俺のことは聞いてる?」
「いえ、なにも。」

目の前の男が誰であるか、敢えて情報が伏せられているのだろうと思った。格の違いでビビってしまうであろう若造のために、だ。

「そうか、じゃあ、そのまま黙っていようかな。」

男はにこにことしたまま、図案を見せてくれないかと言った。

「何も持ってきていません。」
「なに。」

笑顔の下で彼の顔の筋肉が強張ったのが見え、義孝は一瞬恐怖と言うより、優越感にひたりながら、顔を伏せた。今まで多くの人間を自分の思う通りにさせて来たのだろう。そう思うと、愉しくなった。

「断るつもりで来ましたから。」

少しの沈黙の間、義孝は畳の目を見ながら、向こう側に座る男の表情を空想して愉しんだ。

「そうか、それは仕方がないなぁ。」

向こう側から間延びした声が聞えて来た。伏せた顔の下に、白紙の紙とペンが投げ渡された。

「そこに何か描いてみろ。」

ペンをとり、顔も上げずに、畳の上でサラサラと散りかけた椿の絵を描いて見せた。紙を持って顔を上げた。

「そこの、下手糞の代わりです。」
そのまま、紙を持っている手の人差し指を立て、掛け軸を指さした。それから続けた。
「センスないよ。」
くくく、と久しぶりに喉の奥から笑い声が出た。数年ぶりに笑ったかもしれない。反対に目の前の男は笑顔を失った。笑顔の仮面がとれて、やけに澄んだ鋭い目つきがあらわれた。殺されてもどうだってよかった。男は、そのまま今度は表情をやわらげ呆然として「へぇ~」と言い「やっぱりお前に頼みたい。」と言うのだった。

「なに?」

「いや~俺もアレはどうかしてると思ってたんだよ。椿っていうよか肉片みたいだろ~。でも周りや親父がいいものだから、誰それの何だからと祭り上げ歴史を自慢する。だから、一応アソコに置いてあるんだ。それにこの短時間で描いたにしてもお前の絵はやっぱり俺の好みの絵だ。噂によればお前はまじめな絵も描くらしいじゃないか、見せてくれよ、俺に。」

「ですから、持ってきてないと」

「じゃあ、今からお前の家に行こう。」

おい、と口に出したのは、どちらが先だったか障子が両開き、先ほどの運転手が現われた。そうして、狭いアパートに彼とひざを突き合わせて向かい合うことになった。彼はふむふむ言いながら、勝手に部屋中漁って散らかしては、丹念に絵を眺めていた。狭いアパートに似つかわしくない和服の男、それからスーツを着込んだ巨体の運転手が玄関ドアの前に控えていた。

「良いじゃないか、言い値で買ってやる。」
「……そんなことをしたって、俺は彫りませんよ。」
「あは!別にお前の機嫌をとろうってわけじゃなく、本当に良いと思ったから言ってるんだよ。」
「……。」

義孝がいつまでも渋るので「わかったよ、今日は帰るよ。」と男は言って絵を一枚運転手の男に持たせた。
「勝手に!」
「ほら」
どさ、と、見たことないほど厚い札束が一つ目の前に堕ちてきた。
「いりません。」
札束を見たまま言った。男を見上げたくなかった。
「いらないというなら、貨幣として使わず文鎮にでも使うがいい。」
男は札束を足で川名の方へ、ずいと押し、そのまま去っていった。

男は結局名乗りもせずに、アパートを出ていった。男が選択した一枚は、義孝が自信作と思って気に入り、繰り返し上から修正を加え可愛がっていた3枚の絵の内のひとつであった。月下の荒野を、徒党を組んだオオカミの影が交わりあり合いながら走っていく。それぞれのオオカミの影は影の一部どこかしら他のオオカミと重なるように描かれて遠くから見れば、一つの生き物のようにも見えた。

義孝には、心を共にできる友、仲間というものがなかった。学生の頃の虚構の自分に付き添う人間は、表面上は友人と称したが、本当の意味の友人でも仲間ではない。今の悪の仕事仲間については憎悪軽蔑さえしていた。

どこにいても、自分一人、ケダモノであった。それは兄と同じ感性であったが、兄の仲間になることは、死ぬのと同じだった。だから、空想の中で執念を込めてケダモノの己を美しく描いてみせたのがその絵だった。それが今持ち去られてしまうと、あれだけ手元を離れろと思っていた絵が今は恋しい。

意思を込めて生み出した絵は己の半身のようなものだ。
それが初めて誰かに持ち去られて、不思議な空虚感と充実感が交互に生まれては消えるのだった。

初夏、新緑の鮮やかな青が校庭や民家の周囲に目立ち始める。一方、街を北から南や縦に切り分けたような人工河川からは饐えた臭いが立ち昇っていた。陽光が強い日、風の加減によって、饐えた臭いを含んだ風が、土手を駆け上がるようにして河川敷の上にまで充満した。

「ヨシ君、面白い物見せてやるよ。」

河川敷を歩きながら、兄のおさがりで、まだサイズの合わない学ランを羽織った義孝が1人下校していたところ、家の近所に住む陽太郎が、下校中の義孝に追いついて、息を切らしながら言った。

義孝は、顔は前を向いたまま、視線は陽太郎の顔ではなく靴を見ていた。はあはあと、視界の外からその息の感じが、縋りついてくる様子が、不愉快だ。相手の感情を無視して踏み込んでくる態度、姿勢、全てが不快の元となった。

「何。」

学校ではやらないような、ぶっきらぼうな調子で答えた。それから彼を見た。陽太郎は義孝の不愉快に気が付くこともなく。にこにことして「いいから来いよ!」と無邪気な声が続き、河川敷の脇の獣道から下の方に降りていく。彼は頭が悪いから仕方がない。逆に、気を遣う必要がなく素でいられて楽だった。

陽太郎は、義孝が躊躇するのも無視して駆け下りていった。そして、しばらくいった橋の下の少し開けた場所にしゃがみ込んで土の上にある何かを、そこに深い穴でもあるように首を伸ばして覗き込んでいた。太陽がじりじりと首の後ろを焼く。草の蒸れた青臭いがまとわりつく。

陽太郎に追いついて、何かに夢中で丸まった姿勢の陽太郎の靴に背に、コツコツと運動靴の先を当てた。彼は、普段なら、ひとつやふたつくらい文句を言うのに何も言わず、場所を譲るように、左に軽くずれた。むわっとした濡れた紙とインクの臭いが漂い、よれよれになった黄ばんだ雑誌が落ちていた。義孝が立ったままでいるせいで、暗く影になった。紙面の上では裸の肥えた女が複数の薄汚い男に囲まれ圧し潰されるようになっていた。肉の部分同士が重なって重なる以上の意味を持って周囲に淫雑な言葉が描かれていた。太陽を背負ったまま押し黙っている義孝をよそに、陽太郎は、その辺で拾ったらしい棒で、ページをめくり続け、何か誇らしげな調子で話し続けていた。

気がつくと、家に帰っていた。長時間風呂に浸かっていることを義母に心配される声で我に返る。

「くだらないことだ。」

風呂から上がると、脱衣所の曇りガラスの向こうを巨大な影が通り過ぎた。

「心底くだらない生物だ。人間すべてが。」

向こうに行った影が戻ってきて、徐に脱衣所のドアが開かれた。

「帰ってたのか、おかえり。どうだった?学校は。」
「別に。たいして面白くもないよ。」

下着に脚を通し、Tシャツを被った。兄の方が俗物的で、生きやすいのかもしれない。

……。

昔の夢を見ていた気がした。微睡みながら知らない天井の木目を眺めていた。

布団をめくって起き上がった。不自然なほどさらさらした掛け布団だった。義孝は、自分が一糸まとわぬ姿であること、いや、ひとつだけ、左腕から管が伸びて、点滴装置に繋がっていることに気が付いた。

自分の寝かされてた場所に見覚えがある。何日か前に迎え入れられた極道の邸宅の客間だった。記憶をたどってみるが、部屋で作業をしていた記憶しかない。”言いつけ通り”に、テーブルの上で札束を文鎮にしてチラシの裏にスケッチしていた。

傍らに、普段義孝の使っているボストンバックが一つ置かれていた。無造作にスケッチブックや画材がつめこまれ、はみ出ていた。煙草の箱が閉まりきらないバックの口から零れ落ちているのを拾う。バッグに手を突っ込むと、鞄の内ポケットに入れっぱなしにしていたライターに触れた。そのまま仰向けに寝転んで、寝煙草する。知らない家の匂いが、いっきに身に馴染んだ匂いに代わった。

煙を吐きながら部屋を見渡した。掛け軸がかかっていた位置に別の、小さな絵葉書程度の絵が額縁に入れられて飾られている。どこかで見たような絵だ、強烈な既視感と違和感。寝返りを打ってよく見ようとすると、障子が勢いよく開き、件の男が入ってきた。紺色の着物を雑に着流して、入ってきた拍子にまず一番初めに膝から下、素足が見え、上げた視線の先に、はだけた薄い胸元が見えた。

「おはよう。」

義孝が黙っていると彼は「ぐーてんもるげーん」と茶化すように言って微笑んだ。
義孝はぼんやりした目つきで男を眺め、また、気だるく絵の方を見て言い放った。

「灰皿あります?」
「……。」

男はどすどすと来た時には無いほど強い音を立てながら去っていき、一二分ほどして乳白色の灰皿を寝床のすぐ横に置き、胡坐をかいた。

「簡単な食事を作らせているから、あとで持ってこさせる。」
「それより服は。」

義孝は男を見据えた。さっき鞄を漁った時、下着の一つも入っていなかった。男は黙って笑っている。

「返してくれませんか、服。」
「お前は俺達が無理やり入らなかったら、あの穴蔵で腐って、死んでいたかもしれないのだぞ。医者が、栄養失調だと。まったく……。」

そんなことだろうと思った。生命を維持するための活動を一切やめて、ただ、風呂だけには日に三度入っていた。途中、ドアの向こうで誰かが怒鳴り散らしていたが慣れたものである。他のヤクザやチンピラ共ならあきらめて帰るのに、この男は執念で部屋にまであがりこんだらしい。

「別に、それでいい。僕が意識を失う寸前まで描いていたのが一番良い出来をしているはずですよ。貴方にならわかるでしょう。しかし、どうして一度会っただけの貴方が僕の命のことなどを気にするのです。暇なんですか。どうしても返してくれないなら、別にいい。このままでも帰らせてもらいます。」

煙草を灰皿に押し付け、点滴針を抜く。血がにじみ出た。血の流れるのを見て、先ほどの違和感の正体に気が付いた。額縁に入れられている絵は、客の依頼を受け、右肩に彫った刺青、血の噴き出るように鮮やかな色付けをした牡丹であった。それが、そのままの姿で飾ってある。下絵ではなく義孝の手で自ら色付けしたままの絵、つまり、人間の皮膚が剥がされ、鞣されて、張られ、額縁にいれられ、壁にかけられているのだった。

「お前は」

耳元で男の低い声が響いた。

「お前は、俺達に命を救われた借りができたろう。だから、この手を使って返してもらおうか。もちろん金の話は別。いくらでも払うよ。」

男の手が、気味悪く右腕をさすり、手首を強く握った。義孝の冷たい身体の上に、その手は熱すぎる。義孝は緋牡丹を見ながら小さく声をあげて笑って、男を流し見た。

「実にヤクザらしいやり口。じゃ、拉致ってことですか、これは。」

笑いながら軽口を叩いて返したのが意外だったらしく、男は表情を崩した。

「拉致ぃ?人聞きが悪いな。人命救助だよ。」
「ふーん。」

義孝は男の首筋の辺りから、着物のはだけた先にある桃色が買った乳白色、胸のあたりまでを探るように見下してから、上目遣い言った。

「まあ、良いですよ。やらないと帰してくれそうもないから、やっても。」

男の表情が目の前でみるみる明るくなった。

「ただ、金は要りません。」

明るくなったと思った男の表情が分かりやすく強張った。

「なにを言ってる。要らないと言っても無理にこちらの裁量で」
「金”は”要らないんですよ。代わりに他に、欲しい物ができたからな。」
「なんだ。何が欲しい。」
「僕は本当は墨なんかより絵をやりたいんです。絵のモデルが欲しいのですよ。裸体を描きたいんだが、なかなか無償で脱いでくれる人など、難しい。そのために我が身を売るように女を作ったこともありますが、面倒だ。」
「そんなことか、女ならいくらでも」
「女などと言ってません。描きたいと思えるモデルが欲しいと言っているんです。」

義孝の視線は、男の顔から、交わっている箇所、掴まれ続けている手首へと流れた。

「わかりませんか。つまるところ、貴方ですよ。」
「なに、」

耳元の軽い動揺を含んだ声が、気持ちが良かった。
また、伏せた視線の中で男の表情、その心を想像する。まっさらな腕を見る。

「女ではなく、貴方が、僕の前で、脱ぐのですよ。わかりましたか。どうせ彫る時俺に、身体を見せるだろう。その延長とでも思ってくれれば何の問題もないでしょう。貴方がモデルだということは、僕と貴方にしかわからない画風で描くつもりだ。もし仕上がった物を見て気に入らないなら、なんなりとしてください。目の前で焼いたって良い。だから、貴方には何の損もありません。」
「……」
「この条件が飲めないようなら、やりません。」

男は、言いくるめようと思ったところを逆に言いくるめられ、腹が立つのと感心するので、押し黙った。男の横で、自分より少し若いに過ぎない彫師は調子を崩さず、男の手を振り払うように上げたかと思うと、また余裕綽々と煙草に手を伸ばし火をつけていた。

しばらくの間沈黙が流れた。男は、彫り師いや、本人は絵描きのつもりの男の奇妙な提案に対して次のように考えた。逆に、ここで断ったら自分の肉体を見られることを極端に恥じる女のようだ、それに、仕上がった絵を好きにしていいのなら、たとえ出来がよくともその場で破ってしまえば、何もなかったことになるのだから問題ない、と。

男は、彼の条件を受け入れ、代わりに男の方から、もう一つ条件を出した。条件とは、刺青が仕上がるまで男の許可なしでは屋敷から出てはいけないということだった。一つ空いている部屋があり、部屋の主はたまにしか帰ってこないから、好きに使って良いという。義孝はこの条件を受け入れた。軟禁のつもりかもしれないが、寧ろ好都合であった。仕事の予定もなく、アパートの周辺には常に取り立て屋や悪い仲間がうろつき、最近では奴らのせいで近隣住民からの苦情も加わり、大家からの再三の注意もある。

こうして一つの契約が成立すると、男は、自らを加賀汐うしおと名乗った。

「加賀……」
「加賀と呼ぶと家族が混乱するから、汐で良い。」
「汐さん、」

義孝がつぶやくと、汐はそれでいいと微笑んだ。

「屋敷には何かと人の出入りが多い。お前も連中に目を付けられることもあるかもしれないが、俺の名前を出せば問題ない。二人の時はそれでいいが、誰かに会ったら面倒くさいが様付けに変えておいてくれ。」
「どうせ部屋から出る用事はありません。」
「なに?なぜだ?探検したくないのか?ヤクザの家だぜ?ドキドキしないのか?好きに回って良いというのに……。まあいいや、好きにしな。でも最低限風呂やトイレ、俺の呼び出しにこたえることがあるだろ。」
「風呂……」
汐は、常にここに居ないような目つきをした義孝が、初めて自分の言葉に反応したように感じた。
「そうだぜ。うちのは広いし檜造りで良い匂いがする。唯一のいいところといっていい。なかなか奇矯な人間ばかりで居心地悪いが風呂場くらいは心おきなくいれる。」

食事が運ばれてきた。食べている間中、汐は、義孝の横でガバガバと酒を飲んで顔を赤くしていた。障子の向こうは明るい日が射しており、正午位だろうか。膳を下げに戻ってきた使用人の女が汐を見て「また……。身体に障りますよ。」と言い、怪訝な目で裸のままの義孝を見て去っていった。

最初から、家に縫い留めるつもりだったか、別に持ってきていたらしい衣服を受け渡された。簡単に屋敷の中の案内を受けながら、ぼんやりと汐の後ろをついていく。案内された住人不在の部屋はどことなく女の香りがした。

図案決めの仕事は粛々と進む。汐の希望を聞き、彼が仕事に出ている間に希望に沿ってデザイン画を幾つか描き、見せ、直し、他の案も見せる。余った時間は絵を描くのにあてた。外に出ないつもりだったが、屋敷の庭や装飾は画題として良く、日に当たるついでに外に出てスケッチに費やすのも良かった。汐以外の人間も見かけるが、屋敷の中の異物である義孝に話しかけてくることはなかった。義孝は義孝で、汐を中心に時たま人間の方を見ていた。接触があったのは5日目のことだった。

縁側に腰掛け、紅い夏芙蓉の絵を描いていた。

「貴様が、あの馬鹿が連れ込んだ男か。」

振り返ると、いかにも極道という調子の大柄なスーツの男が険しい顔をして義孝を見下ろしていた。黒髪をオールバックにし、紺のスーツの下には分厚い身体があるのがわかる。

あの馬鹿。関わっている人間と言えば、汐しかいないのだから、汐のことだろう。どうやらアレでいて屋敷の中では地位の高そうな汐を、遠回しではなく、直接的に馬鹿呼ばわりできるということは、屋敷の中でもかなり地位が高い人間なのだろう。

しかし、そんなことは自分と関係がない。義孝は無視を決め込んで、鉛筆で線描きした上に水彩絵の具をのばす作業に戻った、色を塗っている内に、背後に人の気配が増えていた。気が付くと身体が浮いて、画材が散らばり柱を背に立たされて五人の似たような人間に囲まれた。最初に話しかけてきた男以外、誰が誰なのか認識できない。

「おい、挨拶も無しに無視とはどういうことだ。ガキ。」
「別に何も。汐様以外面識もございませんから。」

腹に一発ドぎついのがキマった。義孝は痛みを感じるより先に、笑みが出かけて顔を伏せた。
はやく、はやくこれを、このことを汐に言って、どういう顔をするか、どういう反応をするか見たい、と思った。

喧々諤々と周囲が騒ぎ立てる話を拾い聞いていると、どうやら目の前の男は汐の兄で、忍というらしかった。

兄弟にしては二人の外観はあまり似ていなかった。汐も忍もかなり背丈があり、身長だけで言えば変わらないだろうが、汐の方が骨格が細く大柄の印象は薄い。忍が胸を張り堂々として、まるで仁王か金剛力士像のような表情で人を見下ろすのに対して、汐は誰に話しかける時も、自分の背丈を気にしているのか、上から身を屈めて覗き込む癖があった。常に弥勒菩薩のような薄ら笑いを浮かべながら。

一見、強面の忍より汐の方が印象がよさそうだが、よく見れば本当の意味では一切笑っていないから、義孝には汐の方が余程邪悪に見え、「描きがい」があるように思えた。もし、あり得ないことだが、忍から同じアプローチを受けても、頷かないだろう。

作った表情がない時の汐は、どこかこの世のものでは無いような異様な神々しさがあった。切れ長の目の奥が澄んで、果てしない虚無を讃えて、暗い部屋で蝋燭に照らされた仏像と向き合っているのにも似ていた。微笑み、常に微笑みを自ら努力しているから、無表情になっても若干の口角の上がりが見えるが、やはり笑ってはいない。観察しがいのある顔だった。神聖なもの、それは穢されるために存在する。

「ウチには昔から雇っている彫師が居るんだ。」

義孝は、再び、仁王のような忍を見上げた。

「それを、アイツ、俺が止めるのも聞かずお前のようなよくわからんチンピラを勝手に家に住まわせた上、こんな自分より年下のガキに彫らせようとするとは。相変わらずイカレてるぞ。それにお前は彫師の界隈では大分評判が悪いようだな。」
「アンタが誰だか知りませんが、俺に言われても困りますよ。汐様に言ってください。それに俺は彫師じゃなく絵描きだ。間違えないで頂きたいなぁ。」

歯に物着せぬ物言いに、辺りが静まり返って、囲んでいた男達の半数が尻込みし、半数が反射的に暴行を加えた。乱闘になった。赤く染まった水が廊下に飛び散り、スケッチに跳ね、誰かが義孝の頭を掴み顔の上に赤い水をぶちまけた。夏芙蓉の絵は、真っ白な背景まで全て濃く紅く染まった。薄めた血のような水が、顔から滴っていた。義孝の頭を背後から掴んでいた者や遠くにいた者にはわからなかったが、赤の中の、異様な目つきを覗き込んだ男は戦意を失っていった。騒ぎに奥からさらに男達が沸き出てきて、防戦一方は印象が悪いと、義孝も何人かを殴り蹴とばし、庭先に突き落とした。双方引き剥がされ、部屋へ避難、もとい監禁となった。乱闘となり、義孝以外に怪我人も出た。

夕方頃、汐がただらなぬ様子で部屋に入ってきて詫びた。
義孝は、半裸姿で部屋に居て絵を描きながら彼を待ち構えていた。汐は、傷ついた身体見て一層悲壮な顔をしていた。義孝は汐の打ちひしがれた姿を見ることで、己の肉体の痛みとは別に、終始精神的な高揚を覚えていた。

「兄がすまなかった。」

汐は、義孝の気丈な態度を責めるでもなく、己を恥じるようにして謝罪する。

「二度とこんなことが無いよう、強く言っておくから。」
返答の代わりに、黒と白の絡まり合いながら上空に駆け上る二頭の麒麟の絵を見せた。
「おお、美しい……今までで一番理想の形だ。」

義孝は今日、久々に己の血を、それから他人の血の流れるのを見て、勢い、かきかけだったこの図案を仕上げていた。勢い描いたのに、自分でも最も出来が良いと思えた。
「では、これでいきましょう。」
裸の付き合いが始まった。
と言っても終始脱ぐのは汐一人であり、一方的に身体の隅々まで確認されるのも汐一人である。

「痛みますか。」
「いや、これくらい。」

汐の声が湿り濡れ、皮膚と、その下の筋肉が呻いていた。本当は痛いのだろう。義孝は人体図を頭の中に思い浮かべ、痛い箇所を順繰りに思い起こす。彼の差し出す腕や背中は、着やせするのか、意外とたくましく盛り上がり、刻みがいがあった。白い皮膚が汗で濡れ蒸れ、薬品のような良い香りがした。最初の施術は一週間かけて行われ、施術につかったのと同じ時間、汐を裸に剝いた。

「俺の身体など、描いてもつまらないだろう。」

汐は、始めこそ堂々としていたが、義孝の視線にだんだんと恥じいるようになった。

「何故?愉しいですよ、俺は。」
「何が?一体何が愉しい。」

義孝は、汐の、調子の狂った声にスケッチから顔を上げた。そして姿勢を崩し、口元をスケッチブックで覆って盗み見るような目つきで汐を見た。

「汐さん、絵を描くという行為は、対象をよく観察して、自分なりの解釈をするということです。ですから、他人の絵を描くという行為は、他の誰よりも、対象の中にもぐり、入っていく行為になる。他の誰も知らない、貴方の部分を俺だけが知っていると思うと、愉しいのです。わかるでしょう。」

義孝が位置を変えると、また一瞬だけ汐の顔が恥ずかし気に伏せられるので、意味もなく何度も場所を変えた。

二頭の麒麟を彫り終わっても、新しい墨を所望された。まだ汐の姿絵も終わっていないので、承諾して続けた。養育係が王子に寝物語をするように、反対に海外赴任していた外交官の父親が子に土産話を聞かせるように、双方、義孝と汐の間は次第に近づいて親しい物になっていった。

「面白い物を見に行こう、義孝。」

汐は、戯れに、義孝を連れて外に出て、様々な物、この世の邪悪の断片を見せていた。
汐が他に連れて来た配下の者が耐え切れず退いても、最後まで残るのが彼であった。

「どうだ?、人体が燃える様子は。」
「はぁ……火葬場というものが、考えられて作られているということが、よくよくわかりました。」
2人の周囲を火の粉が舞っており、危ないですよ!と言う仲間の声が遠くから聞えた。
「おやおや、もう声もしなくなった。最後の声が高橋のせいでよく聞こえなかったな。あははは。」

そのような出来事があると、二人の身体はよく燃えた。

「汐さん。」

いつもの通り、一糸まとわぬ姿の汐は、呼ばれるまで、開け放たれた障子の向こう、屋敷を囲う高い塀の上に昇る月を見ていた。ぼんやりとして、普段であれば、いまだに裸体になることに羞恥を見せ、皮膚を上気させるのに、昼間の出来事を思い出すのに夢中のようで、心がここに無い。

汐は、義孝の姿に今しがた気が付いたというような挑発的な薄ら笑いを浮かべた。義孝は、彼が無意識に今の表情をしたことを頭では理解していたが、心の奥深くに、小さな悪が芽吹いた。日中、炎に煽られて紅潮した汐の横顔を思い出した。炎そのものや炎の中にいる人型の豚よりも、隣に居る一頭の獣のことが気になっていた。目が合うと、彼は優しげに、しかし、炎の渦巻き周囲に光の溢れるせいなのか、なんとも恍惚とした瞳で義孝を見下していた。熱風と人の焼ける匂いとが渦巻いていた。焼死体ではなく、彼の姿が何重にもなって脳の奥に焼き付いて一つのイメージを作った。

「……。焼かれたかったのですか?」

汐は聞き違えたか、と軽く首をかしげて「何を?」と聞く。

「貴方が焼かれたかったのではないですか?」

汐は、顔から表情を消し、あの不思議な無の表情になったかと思ったが、月明かりの下よく見れば、表情は変わらずとも、炎に煽られた時と同じ顔色が立ち昇っていた。それで、彼の皮膚はようやく普段の羞恥の色と同じか、ほんの少し強いくらいになった。

「そうですか。」

義孝は、赤の色をひねり出し、続きを描いた。

「足りなくなったな、赤が。すみません、色をとってきます。」
「ああ。」

義孝は部屋に戻り、絵の具の赤と、もう一つの赤の元を手に、彼の元に戻った。絵具を畳の上に投げ置き、汐のすぐそばに立った。汐は、ゆっくりと顔を上げた。闇の中に、本当の赤い炎が揺れて甘い香りが漂っていた。義孝の絵の具で血のように赤く穢れた左手の中に、火のついた仏壇蝋燭が三本握られていた。目の前に炎を突き出される。

「ほら、持ってください。熱いだろう?俺の手が。」

有無を言わさぬ、従わざるを得ないような声が汐の頭の奥に突き刺さって、反射的に蝋燭を受け取ってしまう。目の前で揺れる小さな炎が、昼間見た業火の中で動く人型の姿、それから熱風を浴びて不快気な顔をする義孝の姿と混ざり合った。
義孝は、最初一二分こそ、表情を微かに普段とは違う感じに動かした。彼が長時間風呂に浸かっている時、傍らから覗き見た時の顔に似ていた。しかし、すぐに不愉快という態度をとった。それは、目の前で生きたまま人が燃えている現象でなく、自分が、不潔の場、生存に向かない熱い場所に立たされていることが不愉快なのであり、目の前で人が焼かれていることに一切の関心もなく、もちろん心的外傷も負っていないようだった。

ぽつ、とちいさな蝋の雫が手の甲に垂れ、甘い香りを漂わせる。

「く……」

声を上げてしまい、思わず炎から、彼の方に視線を向けると、下から炎に照らされて、ほんの少しだけ形の歪んだ彼の唇が見えた。誰かに噛みついて血を飲んだかのように血色がよい。唇の形だけで、彼を判別できる気がした。

「じゃ、そのまましていて下さい。」

唇は形をそのままそう言って、彼は元の位置に戻って何事もなかったかのように筆を動かしはじめた。ぽつ、と別の蝋燭から垂れた蝋が手をつたい、腕をつたい、熱の線が皮膚の上を細い蛇のように流れる。

「ぁ……っ」

汐が声を上げた同時に、くるりと視線がひるがえり、闇の中から汐を凝視した。

「ああ……言い忘れた。蝋を畳の上に零すのはやめてくださいね。汐さんが怒られることは無いでしょうが、僕が、怒られますからねぇ。貴方のせいで、俺が忍の野郎や女中に怒られるんだよ、また。わかるか?お前のせいだ。」

「しかし、どうしろと、垂れる物は垂れる、」

「そんな簡単なこともわからないで、よくも皆の前でえばっていられるものですね。全部、ご自分のお身体で受け止めたらよいでしょう。太ももなんか広い受け皿だ。ほら!また垂れるぞ。……、おい、一滴でも零してみろ。直接焼くぞ。わかったな。」

揺れる炎の先で、鬼は「ああ、筆がよく進む。」と言って意気揚々と芸事を進めていた。汐は一人裸で火にあぶられながら、鬼の背後にも炎を見た気がした。

「……、……」

蝋が、手から腕を、行き先を失った白い雫が、太ももの上に垂れて白い皿を作っていった。身体が熱源を中心にどんどんと熱を帯び、蝋をかぶった位置に限らず皮膚が桃色に染まり始めていた。息が、次第に詰まったようになって、早く終わってくれ、と手の中の蝋を見てもまだ、三分の一も終わっていない。項垂れた。

「顔。」

顔。すぐさま声が飛んできて、顔をあげた。

「そうだな。一体何のためにやってると思ってんだ、この馬鹿。」

あまりにも美しい声で叱責された。こんな馬鹿げた戯れ、反故にすればいいのに、目の前で義孝が楽しそうにしていること、普段絵を描いている時も、そうでない時の、この世全てに辟易したような雰囲気ではなくなるが、今の彼は、普段より良く筆が乗って、手を止めたくないようであった。それを邪魔する権利があろうか。

義孝は、痛み悶えをこらえる、真実の、自分しか知り得ない汐の表情と己の手で刻んだ皮膚の模様、周囲の赤く腫れた皮膚を見て、血が巡るのを感じた。蝋がまた溶け、一糸まとわぬ彼の肉体が理想の美しい赤を掲げ始めると同時に、汐の獣が、血の巡りに共鳴するように少し膨らんでいるのが目につき、手を止め、筆をおいた。

「……。」

汐が探るように、義孝を見ていた。義孝は再び彼に近づき目の前で屈んだかと思うと、「貸せ。」と徐に炎に手を伸ばした。汐はとっさに身を引き、声を荒げた。
「危な」
汐の顔に、平手が飛び、痛みより怒りより先に、蝋がこぼれること、蝋の飛沫が彼や畳の上に飛ぶことを心配し身体を強張らせ、耐えた。そうすると、今度は、優しく、するりするりと手が伸びてきて、汐の腕を優しく掴み撫でるようにしながら、半分ほどになった蝋燭を火も消さずにそのまま掴んだ。

「わかったから。手を離してください。」

手を離さなければ、義孝の手が焼けてしまう。汐は震える手を離し、完全に蝋燭が汐の手から義孝の手の中に収まると、彼は火を吹き消した。汐は、ほっとして、身体の力が抜けるのを感じ、顔に再び笑みが立ち昇りかけた。

「そこに、這ってください。頭は向こう。俺の席から見て、身体の左側面が見える形です。」

再び奈落の底に突き落とされる感覚。口が、やめよう、と、やろう、との間で拮抗して結局何も言えないのに、しかし、身体は勝手に彼の声に従って、一糸まとわぬまま彼の前で四つん這いになった。

彼は横に屈んだと思うと、また火を灯し始めた。背中に、半分になった蝋燭が、垂らされ、立てられた。新品の蝋燭も同じように半分に折られて、10本の短い蝋燭が、背骨を挟んで、左右に五本ずつたてられ、炎が揺れ、とろとろと10の炎が背を焼く。熱い。汗で濡れ、垂れているが、汗なのか、蝋なのか、わからない。全身が、奇妙な熱と高揚感、身体ではなく、脳を焼かれているような不思議な感覚に満たされ、痛みは痛みを越えて、刺激となって、身体をふわつかせるが、動いては蝋を畳に垂らしてしまうから、耐え、耐えるほどに皮膚は敏感になって、特に、彼に彫られた箇所が何もしていないのに、疼いた。皮膚から、刻んだはずの二頭の獣が逃げ出そうとしているようだ。

「焼かれて、嬉しいか。」

視界の向こう側から、低く、しかし澄んだ声が聞こえた。今、汐に見えているのは畳の目だけだった。いや、時折、特徴的な義孝の素足が視界をさっと横切る。彼の歩き方、というか足の癖は独特で、時々地面を抉るように、指を畳にぐいと突き立てていた。畳と彼の獣素足を見ながら、さっき、顔、と言ったくせに、と思うが、言えば、すぐ側にいつのまにか50本近くこれ見よがしに転がっている蝋燭が背中に立てられるのだろう。

悲鳴が、汐の口から立ちの登りかけ、感じたことのない激痛が下半身で燃え上がっていた。下半身を覗き込むと、義孝が、煙草でも持つような調子で指に蝋燭を一本挟んで、炎の先で汐の雄の先端と下腹部とを交互に、蛇の舌がちろちろと獲物の匂いを探るように、焙っていた。身を逃そうにも、背中の炎のせいで、逃すことができず、「やめてくれ、」と懇願した。炎が引っ込み、獣の脚が、目の前に戻ってきた。彼の指がにぎにぎと畳の目を引っ掻いて音を立てていた。声のトーンが一切変わらないのに対して、表情のある指だ。

「僕の質問に答えないからですよ、汐さん。」
「し、しつもん……」

足に対して声を掛ける。にぎにぎと動いていた指の動きが止まり、今度はとんとんと畳を軽く叩いた。闇の中に白い足が浮き上がって、青い血管が浮いていた。

「なに?へぇ、もう忘れたの。随分と酷い頭だな。その体たらくで、どうして極道の頭を名乗れるか不思議で仕方ない。まったくもって恥ずかしいお方だ。ああ、そうか。まあ仕方ない、お前は今、人間じゃなくて燭台だからな。多少受け答えが悪くても許してやろう。特別にもう一回聞いてやる。」

彼が、目の前に屈みこみ、息が皮膚にかかった。

「焼かれて、嬉しいかって聞いたんだよ、汐。」

鳥肌が立った。酷く優しい声色だった。
欲望と理性が拮抗して、言葉に詰まる。

「う……、あ……」

言えないでいると、はぁ、と小さくため息が耳を擽った。

「仕方ないなぁ、もう。ほら、『嬉しい』と言え。」

ああ!電気が頭に流されたようだった。そうして命令されると素直に「嬉しい」と言えた。口に出してみると、いっきに頭の中がかすみがって、ぼーっとして、理性と名の付くものが遠のいていった。それで、義孝の言う通り、頭の悪くなり、ヒトでなく、一個の家具になったような気がしてきた。

汐は仕上がった絵を大変気に入った。義孝は絵の中で、汐を焼いていた。
汐は人間ではなく、獣であった。同じ獣だった。

加賀家の子息は、忍と汐以外にもおり、三男一女であった。忍と汐はそれぞれ父の徹から組を授かり、玄武会、潮凪会を称した。次男の樹は組こそ持っていないが、忍の元で№2として補佐していた。
家は、長男次男派と、三男派で割れていた。徹が、長男次男を相続を考えて厳しく躾けたのに対し、三男と長女を甘やかしてきたことも双方の対立を深めたようであった。

汐は当初、組を持っていなかった。古びた世界、特に任侠の世界など馬鹿げていると言って家の外に出たがる。忍があからさまに腹を立てるのをよそに、父の徹に、こんなところにいたくない、海外の大学に入るから金を出せと言う。二度と帰ってこないつもりだから良いだろう、と豪語までして出ていった。徹が、汐のさせたいようにさせると、忍は「親父はアイツに甘いんだよ。」と小言を言った。

それが、急にドイツから帰ってきたと思えば、家業を手伝うと言い出す。忍を中心に多くが反対、せめて樹のように忍の下に入るならまだしも、1個自分に組を与えてくれないなら、他の組に入るからとまで言う始末。
徹は、また汐の言う通りにした。忍は、流石に父に向かって理解出来ないと激昂する。互いに大人になり、学生同士であったころのように殴り合いの喧嘩にすぐ発展することはなくなったが、それでも顔を合わせれば、忍はあからさまに汐を嫌った。それは、忍の配下の人間も同じだった。

家長、徹は、二人に組を持たせてからというもの、誰を継がせるか発言を濁し始めた。元々、忍の継ぐ空気が当たり前であり、殆どの人間が、汐の行動を”若のお戯れ”と誹っていたのに、潮凪会の勢いが本部である甲武会の中で著しく伸びてきてから、会全体の空気、皆の汐を見る目が変わってきたのである。

忍の玄武会が、甲武会傘下の多くの組と同じように、伝統的で堅実な経営、昔からの利権を大事に育て、着実な稼ぎをあげるのに対して、汐の潮凪会は、真逆であり、それはもう最初、素人が見てもめちゃくちゃであった。

忍や樹と違い、帝王学も経営の基礎も学んでいないようなボンボン、加賀のウツケ者が、父親に玩具を与えられ、遊んでいるだけと陰で言われ続けていたが、一年も経つと、波が激しいとはいえトータルすれば、会の規模に対しては驚異的な売り上げを出し始めた。一体どこから湧いて出たのかという金、新規のコネクションができて潤う。経営の基礎的なところは、徹の隠し玉とも言えた幹部の高橋が教え、補佐していた。高橋は幼少期から、加賀家の子どもたちを見ていた。彼は、徹に汐について報告した。

「汐様の経営のよきところは、思い切りのよいところ。それで、やると言ったら躊躇しない、徹底的で、ある意味残酷だ。彼の中の何かしらの法則、確信がある場合、私などが止めても聞きませんから、自由にさせて、それでたまに大損をすれば、笑って気にせず次に行きます。このまえ25億円の損害を出し私なんかが青くなっている横で、25億円で良い買い物ができたな、相手のやり口がよく分かったとおっしゃり、別の相手に同じ非道をして30憶、稼いで余裕綽々としていらっしゃった。隣に居て気の休まることがありません。経営以外の普段の行いも、元々お優しい方だ、往々にして奇怪な行動が多いものの、身内には優しくして可愛がっており、人望もあるようです。ただ、時に、可愛がりすぎる……。」

それから、汐は他の本部の人間と違って、遊学していたこともあり、語学や海外情勢に知見が深かった。英語でのやり取りは朝飯前、他に少しの中国語とそれなりのドイツ語を解した。潮凪会は、今まで甲武会に乏しかった海外とのコネクションも着実に築く。義孝も時々彼が英語で誰かと話しているのを聞いた。和服姿でそんなことをしているから、初めて見た時少し驚いた。汐は、義孝を見て「JAPANESE YAKUZA STYLE」などとおどけた。

潮凪会の男達が、仕事都合で汐と義孝の二人で作業する場に現れることがあった。見られても一切の動揺がない二人に対して、彼らは最初こそ動揺していたが、すぐに「若のいつものお戯れ」と、受け入れ、義孝の存在を快く認知し始めた。中に、後の同胞となる男もいる。逆に、忍と樹の側から義孝は、悪しき存在として認知されることになる。じょじょに、仕事の話もわかるようになり、愚痴聞きついでに義孝が答えた回答が、そのまま組織や仕事の中で使われることもあった。

「お前、いい加減俺の元で働けよ。いいだろう。」

汐の勧誘の感覚は日に日に短くなり、結婚を迫る女のようだと義孝は思った。はっきり皆、高橋や若い衆のいる目の前でそう言い放った。しかし、面白いたとえをする男と一笑されるだけで、止める気配はない。義孝は今や、加賀の家に住み込み、汐の組に出入りし、彫り物や絵をやり、汐の仕事の話や悩みを聞きながらも、未だ甲武会の一員でも潮凪会の一員でもない。

その日は、三枚目の汐の絵を描いていた。いつものように汐からの加入の誘い、求愛行動をあしらっていた。絵は、一枚も燃やされることは無かったし、義孝のアパートはとうに引き払われていた。絵のすべては汐が管理し、何枚かが、彼の手を経由して売れていった。それらは今も絵画市場のどこかにある。

「嫌です。」
「どうして。……どだい、お前は俺達の秘密を知りすぎたよ。この家から、生きて帰れると思うのか?」

芝居かかった調子で汐が腕を広げて笑っていた。義孝は冷めた目を投げかけ、再び絵の中の汐に視線を戻した。

「俺は誰かの兵隊になるのは向いてないのです。だったらまだ道化、ピエロの方が自由でいい。」
「兵隊になれなんて言ってないだろう。俺はお前に……」

汐は、それ以上何も言わなかった。

徹の一女、それは汐に顔形の似た双子の妹、渚である。
「お前に、紹介したい人がいる。」
そう言われ連れられた先は、小高く美しい山の中に建てられた療養所であった。

義孝が間借りする部屋も本来は渚の部屋だった。彼女は身体が弱く入退院を繰り返しており、小さい頃から殆ど家をあけがちなのだという。汐は、渚の分の体力を自分が持って行ってしまったのだと苦笑いしながら、自分でも渚を異常なほどかわいがっているといい、何でも欲しい物は与えるつもりと話し、元々は自分たちは一人で、自分が養分として彼女に吸収されるべきだったのだと言って笑う。

彼女は青白い顔に、兄と同じ怪しい微笑みをたたえながら、義孝に手を伸ばし、握手を求めた。義孝は、握手に答えながら、自分より冷たい手がこの世に存在することに衝撃を受けた。

何でも与える。義孝は、最初それが金銭や物に限ると思ったがそうではなかった。組の経営状況、人員、財、交友等の組の機密情報の全ても、汐は彼女に与えていた。それで何をするかと思えば、二人で方針を真剣に話し合い、どちらかと言えば最終的な決定権は、彼女の方にあるようにさえ見えるのだ。

病院からの帰り、迎えを待つ間、外のベンチで義孝の横に座る汐の柔和な顔が、夕日に照らされていた。

「驚いたか?渚は兄妹の中でも群を抜いて頭が良かったのだ。兄貴達など歯牙にもかけない。それなのに、身体が。だから俺なんかより本当は、渚がやる仕事。最初、”忍兄さんと同じものが欲しい”とお願いされた時は流石にビビったが、渚のためになら何でもすると決めている。飛んで帰ってきたよ。オヤジにも言ってみるもんだな。馬鹿な俺の身体を貸してやれるなら、無限に貸してやりたかった。」
「…………。」
「これは俺と、渚と、お前だけの秘密だ。」

異常に仲の良い兄妹と言えた。どれほど異常かと言えば、渚の調子が良ければ、汐と渚と義孝の三人で、遊びに出かけることもあった。そんな時、彼らの間で行われる性行為に誘われるようになるくらいの異質さであった。ある日屋敷に出向いた高橋が、庭先で絵を描いていた義孝の横に立った。ほとんど完成しかけた大きな犬のような獣、細く美しい真っ白な獣の、畳の上に気持ちよさげに寝そべる絵だった。

「へぇ、確かになかなかうまいものですね。」
「ありがとうございます。」
「一体あの方たちと、何をお話になられるのです。」
「何の話です。」
「渚様と汐様とです。あの方たちが、他の人間と遊びに出られることなど、今まで殆どありませんでしたから。」
「そうですか。」
「御大も驚いておりますよ。」
「似たようなことを渚様からも言われました。」

幾度目か、汐と療養所に行き、病室に彼女と二人きりになった。
「汐が、自分から私の前に人を連れてきたのは初めてのことです。」
柔和な表情とは対照的な冷ややかな声だった。彼女は窓の外を眺めた。
「汐との仕事は愉しいですか。」
「仕事はしていません。遊んでいるだけです。」
彼女の眠たげな視線が、義孝の方へ戻ってきた。
「なるほど。それはいいですね。同じだ。義孝さん、私も遊んでいるのです。今この瞬間も。」
「どういう意味ですか。」

彼女は細い右腕を義孝の方に差し出すようにして軽く上げ、視線を向けた。

「この腕、子どもと戦っても勝てそうも無いでしょう。私は自分一人の脚で、この街から出たことも無いし、出ることもできません。この部屋の中にも、何もありません。でも、今、こうしている間にも私の口座には大都市を飲み込む洪水のごとく、莫大な資金が出たり入ったりして、知らぬ土地や、遠い異国で、私の意思ひとつで、人が、生きたり、死んだりを繰り返しています。そうしてできた資産は、今や兄さん達を脅かし、お父様を悦ばせる。そういう遊びです。一つ所に縛られているようで、自由な清々しさを感じます。……義孝さん、汐にはこの感覚は多分わかりません。この土地から、家から逃げ出したくてたまらず、欧州にまで逃げたような弱い男ですからね。でも、貴方なら多分、よくわかるでしょう。」
「弱いとわかっていて、汐を矢面に立たせるのですか。」
「ええ、そうです。私の前から勝手に消えた罰ですから。」

渚が退院した日には、祝いとして三人で汐の部屋やホテルで戯れ、街で遊ぶのだった。いつものように、三人で遊んだ後、ある夜のバーのカウンターでひと時、汐が店に居た地元の人間と意気投合してはしゃいでいるのをよそに、また、渚と二人きりになった。

「貴方が居て、兄も私も良い思い出ができました。」
「…………。」

”兄も”と渚が言うことに、引っ掛かりを感じる。家の者から、執拗に酒を止められたり、時折、皮膚の色が異常に透き通って、この世のものとは思えぬほど、輝いている時があった。そういう時、彼は寝つきが悪いからと言って薬剤を服用していたが、最も美しく画面の中に彼の姿を捕らえることができた。だから、彼にも彼女ほどではないにしろ、何かしら同じ持病があるのではなかろうか。
組織の長、加賀家の長、彼らの父である徹が、三男長女を溺愛したのは、この病のせいもあるだろう、どうせ長く生きられぬ、ヒトではなく、ペットでも飼うような感覚で二人を養育したのではないだろうか。

夜の中で何度か、彼の陰茎に針を突きとおしたことがある。背後から彼の一糸まとわぬ身体を抱き、座らせ、鏡に写した。暗い部屋に灯した蝋燭が揺れて、汐の顔、身体の上に炎の揺らめきが、反射して皮膚を発行させた。抱きすくめた腕の中で、ゆっくりとした義孝と同じ速さの心音が、ほんの少しずつ、はやくなって、胸が上下した。

「怖いのですか?」

鏡越しに、悩まし気に伏せられていた汐の視線が上がって、交わって、返事の代わりに何度かゆっくりとまばたきをした。辺りは静まり返り、まばたきの音が聞こえんばかりであった。義孝の手が、汐の熱源の方へ延びると、本当の燭台に灯したの炎が大きく揺れた。

「汐、黙っていないで、怖いのかと聞いてるんだよ。」
「怖くない、」

墨を彫る時の声色と同じ、小さく揺れた声でまた蝋燭が揺れる。

「嘘。お前は俺の前でだけは嘘をつくのが下手糞だな。他の人間が、お前の可愛い臣下達が、今のお前の声を聞いたら、さぞがっかりするだろう。」

鏡の向こう側で、汐の皮膚は透き通ったような白をみせたり、赤くなったりを繰り返しながら、熱源が、義孝の手の中でぎゅうと膨張した。闇の中に、長針の鋭い煌めきが翻すと、腕の中で汐の熱い肉体は、それだけでがくがくと震えて、また目を伏せ、口ではぁはぁと獣のような息をし始めた。涎が、つ、と垂れて、抱いていた義孝の腕にまで垂れた。針の先端が、カリカリと邪な汐の欲望を引っ掻いて、汐の肉体はのけ反るようにして震えて、喉の奥が締まり、啼いた。

「まだ何もしていないじゃないか。」
「……、……」

今度は恨みがましい目つきが、鏡の向こうから義孝を激しく見つめた。激しく発汗して、唸る。瞳の奥の虚無に、獣性が宿り、噛みつかんばかりであった。

「よし、わかった。」と義孝は軽々しく宣言した後、一気に、団子に串でも通す調子で、長い針を不埒な肉に突き通した。先に身体が大きく跳ね、開きかけた口を義孝の手が背後から抑え、顔を寄せた。甲高い、ァぁ…‥ァぁ…‥という悲鳴が、義孝の耳の奥にだけ響いて渦巻いた。そのまま針の突き出た部分を弾くと、今度は太い呻き声が漏れ出て手の平の内側にも、手の甲にも、熱い液体がかかった。獣じみた力が腕の中で発揮されかけると、第二の針をすぐ目の前に見せた。すると、みるみる腕の中で獣の力が抜けるのだが、一物だけは血を流しながらも、しっかり屹立させ、今度は堪える気も無くがくがくと震えだし、彼の心音は早さを極めた。身体ががくがく震えるのに合わせて、一筋血が飛び散って畳を穢した。

「まだ、いけるな。」

汐の首が縦にも横にも振られぬうちに、義孝は二投目を打ち込み、悶える熱い身体を背後から強く抱いた。寄せ合った肉体の心音が共鳴しているのがわかった。もう一投、と思い、鏡越しに彼を見たが、限界のようであった。

「……。もうよそう。」
「ま、まだ……」

手の中で汐が言いかけるのを強く押さえて顔を覗き込んだ。ごく、と彼の喉の鳴る音がした。

「俺がよそうと言ったら、終わりなんだ。わかったか、汐。」

手の中で、彼の首がうんうんと縦に頷いて、手を離した。名残惜しいのはお前だけではないのだ、と言う言葉を飲み込んだ。汐の身体は、あと一歩と言うところで耐久性がたり無いように思えた。それは儚くもあり、いつか、本当に壊してしまいたいと思えるものでもあった。しかし、それは一度限り。やったら後悔する。

汐の血に濡れた針を拭いている間中、背中に、闇の奥の低いところから物欲し気な熱い視線を感じていた。朝、汐より早く起きて屋敷の中を歩いた。夜のうちに雨が降ったらしく、庭の緑が朝露に濡れ輝いていた。部屋からスケッチの紙束をまとめた銀のクリップを幾つかむしり取り、クリップを手の中でカチカチと手遊びしながら彼の寝ている部屋へ戻った。起きがけの汐の肉体を、クリップで苛み、唸る肉に、そのまま下着も着させず、着物を羽織らせた。

汐が仕事に出るのに、その日はついていった。
末席に座り、”汐様”が男達とやり取りしているのを眺めていた。
今日は特に暑いから、と言って、扇子で顔を仰いでいつもの調子で仮面の笑顔で笑っていた。

「私が先に行って、兄が大丈夫か、それだけが、今の心配事です。」

渚はそう言って、眉を下げ困った顔をして笑った。彼女の兄に似ているが、しかし、義孝はそこに自分に似た魂の冷たさを汲み取った。汐の冷酷を獣とするならば、渚には植物や昆虫に近い無機質な冷酷さがある。

その日会ったのを最後に、彼女は長期の面会遮断の入院生活に入ることになった。渚の入院生活が二か月を越えた頃から、汐は見るからに憔悴していき、部屋にこもりがちになった。汐、それから渚の力を失った潮凪会の仕事は滞る。高橋や潮凪会の重鎮が、彼の部屋の前をうろついて声を掛けると汐は「次にお前の気配を感じたら殺す。」と乱れた。汐の様子の伺いの仕事を誰がやるかに、潮凪会の面々は、義孝に白羽の矢をたてた。

義孝が、彼の部屋の前に行って名前を呼んでも、怒声は無いが返ってくるものもなく、膳が運ばれたタイミングで潜り込もうとすれば、今まで義孝が聴いたことも無いような強い声で「入ってくるな!」と言う。

「どうされたのです。」

返事が無いのがわかっていても、話し続けた。「兄が大丈夫か、それだけが心配です。」という渚の言葉がリフレインする。頭が不在となった潮凪会では、手の空いた義孝にも有無を言わさず残された仕事が回ってきて、すっかり組の中での立場ができていた。進むことも引くこともできない、停滞した時間が続いた。

何度か、時間帯や周囲を見計らい、汐の部屋のドアを蹴り上げ「おい、汐!早く出てこないか。顔を見せろ。」と素の声をかけてみる。すると、ようやく中で気配が動いてドアを挟んだ直ぐ向こうまで、彼が這ってきている気配がするのだった。屈みこんで「そこにいるのだろう。でておいで。」と言ってみると、一瞬ドアが開く気配はするのだが「ダメなんだ……」と、とても他の人間には聞かせられない弱弱しい声が聞こえた。

渚の回復を願っていた矢先の訃報であった。真昼間のことだった。
これを誰が本人に伝えるか、加賀徹が、義孝を指名したのだった。忍が、自分が言う、というのを止めてまで。

部屋の前で彼女の死を告げると、あれだけ開かなかった扉が簡単に開いた。「そうかぁ、」と、彼は酷く間延びした声でそれだけ言って、義孝を無言で見降ろしていた。表情のない、口元に軽いひきつりのある、神聖の残る顔で。ひどく長い時間に感じられた。

「じゃあ、また。」

彼は初めて会った時のように微笑んでドアを静かに閉めた。
遠い隔たりを感じたが、再び彼が笑顔を見せたことで、なにか吹っ切れたのかと思えた。

…………。
………。
……。

翌日、主のいなくなった渚の部屋で、義孝が太陽が登り切るまで眠っていた時だった。遠くの方から叫び声が聞こえ、家中、火のついた様な騒ぎになった。「馬鹿野郎!」と忍の怒鳴り声が響いた。義孝はベッドの上で、このままこの家から消えようかと思った。そうすれば、永遠に、その事実は無かったことになるのだから。

しかし、義孝が家から脱出する前に、義孝個人の宛名の遺書が忍から受け渡され、足を止められた。
遺書は全体向け、家族向け、潮凪会構成員向け、個人向けがあった。義孝の遺書の封筒はあからさまに開けた後があり、義孝は首をかしげて忍を見た。忍は汚らわしい物でも見るように、義孝を見た。そこに、充血した瞳と若干の涙の痕があるのを、へぇー、と思って眺めていた。

「仲の悪いように見えたかもしれないが、それでも弟であることに変わりはないからな。部外者の貴様とは違うのだ!……目も当てられぬ酷い内容だが、破棄せず渡しておいてやる。」
「……」
「俺はお前がやったんじゃないかと半分くらい疑ってるんだ。それも、書かせたんじゃないかとな。」
「……ああ、そう。」
忍は義孝の冷ややかな態度にまた激昂しそうになって、抑え込むように拳を握っていた。
「俺はお前のことを認めない。」
彼はそう言って、踵を返し、どしどしと廊下の向こうへ消えた。大きな背中を見送りながら義孝は目を細めた。
「……。今の歩き方は、少し似ていたな。」

渚と汐の葬儀は同じ日に執り行われることになった。

汐の自死は、自室にて硫化水素によって行われたことになっていたが、極道の家で起きたこと、仕事のやり口や、忍との家督相続騒動のせいで、誰に誅殺されても全くおかしくない立場の男であったことがあり、後日警察の介入の元、事件性も念のため調査された。結果として、他殺の証拠は見つからず、事件性無しとされ、犯人は上がらなかった。しかし、彼のやり方に恨みを持つ外の人間は全てあやしく、また、汐と対立していた忍や樹、その配下の人間もすべて怪しく、彼に近かった潮凪会構成員も怪しかった。忍と義孝は特に有力な容疑者として最後まで疑われ、現在まで続く因縁の一つとなった。

遺言の内、全体向けの遺書の中にも見られる義孝に関するものは、総ずると以下のようなものであった。

・潮凪会の今後について、以下五名(高橋・春日井・東雲・山野・川名)に任せること。解散するも、分散するも、継承するも、潰すもよし。継承する場合、誰が継承するかは五名で話し合って決めること。また、決定については必ず潮凪会構成員全員の総意をとった上、父に決定内容を伝えること。

・川名義孝については、正式な契りをしていない。本人の意思を尊重した上で、加賀徹と正式に酌み交わす権利、組を一つ授かる権利を与える。

個人向けの遺書の中には以下のようにある。

「結局お前は、最後まで俺の下に入ることを嫌がったな、どこまでも我が強い奴!しかし、それで正解だったな。何故ならお前は自分で言った通り、人の下につくのに向いていない。だからと言って、道化をやるには頭も良すぎ、冷血過ぎる。だから、お前が望むなら、お前に、一つ自由にしていい世界の土壌を与えよう。自分で好きなものを選び、好きなものに囲まれ、世界を作って、好きに暮らすのだ。実利の話も始めよりずっとできるようになったし、俺だけでなく、皆もお前のことが好きだ。お前の入れ知恵を何度使ったことか。時々お前と高橋と俺とでいる時、俺が一番愚かだ、と感じていた。お前には俺達と同じ感性を感じる。でも、お前は、俺のように情けない死に方はしないだろう。くどくどと書いたが、何も無理強いはしない。好きに生きろ。」

義孝は、高橋の部分を、渚に読み替えた。

狼の絵は、汐の部屋の一番目立つ箇所に架けられていた。騒ぎに便乗してこれだけ持って、葬儀の始まる前にこの家から姿を消そうか、そう思ってとりはずすと、コト、と音を立てて、裏に挟まっていたらしい白色の封筒が落ち、義孝のつま先に、縋りつくようにあたった。義孝はそこに、獣の姿を見た。それは、正式に忍の手から受け渡された遺書とは別の、もう一つの遺書であった。

「どうせ、もう一つの方は、先に忍なんかが勝手に開いて読むだろう。あれで知りたがりだからな兄貴は。しかし結局、俺達のことを何もわかっていないし、永遠に理解もできないだろう。だから、お前だけが見つけられる場所に置いておいた。俺は既に火葬されて灰になっているか?それより前に開いているのなら、流石と言いたいところだ。お前のことだから、この絵を持ってさっさとウチからとんずらしようとしているのだろう。そうはいかないのだ。

もう最後だから、ここに告白を書こう。渚のことを抱いてくれと頼んだ時、お前は何かと理由をつけ、拒んだな。自分の血を残したくないだって?馬鹿なこと言って。でも結局、渚自身の希望や説得に負けたな。あの時、俺はお前に病気がちで他の男と寝ることがない渚のためと説得したが、実は俺のためでもある。わかるか?お前と渚が交わるのを見て、俺はそこに自分を投影していたのだ。俺はお前の前で平然として微笑みさえ浮かべていただろう。しかし、半身である渚、それをお前などに取られて、腸の煮えくり返る激しい怒りと屈辱感があり、殺してやりたかった。なのに、自分がまるでそこに居て、お前に自分の一番大事なものを献上したうえ、孕まされているような奇妙な昂揚を味わっていた。お前ならば、それくらい察していたかもしれないな。時折お前のあの視線を感じた。夜の視線だ。

お前は、もしかして、今、とても悔しがっているんじゃないか?お前が俺の最期を射止められなかったことを。傲慢な考えだろうか。でも、そうだとしたら、俺一人の勝ち逃げということだ。口惜しかろう!俺はまだ、家の中だろうか。意識がもうこの世に無いのが残念だ。俺を失ったお前の様子を見たい。お前のことだから、さぞ平然としているのだろう。それを見たい。お前を残していくのを悪いと思うのは傲慢だろう。だから、謝らない。お前は何も気にしないだろうから。

常々思って夢見ていた。お前と俺の立場が逆であったらと。俺がお前を従えるのでなく、俺がお前に仕えたかった。ずっと。俺の心の主は生涯渚一人のはずだったが、お前が、そこに住み始めていた。だから、もし、今すぐここで死ななければ、俺は彼女を裏切ることになる。もう一度お前の顔を見たら、俺は気を変える。弱いのだ。だから、このまま行くことに決めた。本当は、見たくてたまらない。

以前から、お前に一つ組を持たせてみたいと思っていた。俺みたいな不埒な人間の夢をかなえられるのだから。お前からしたら、理解不能な話かもしれないが。俺と渚が見たくても見られなかった景色を、お前ならきっと見られるし、お前の元に来た人間に見せてやれる、いや、お前の一部、獣達を導いてやれる。

それで、最後のお願いだ。まだ俺の身体がそこにあるなら、抱いてくれないか。お前の、完全な支配が欲しい。」

https://www.alphapolis.co.jp/novel/97873723/820455420/episode/6321412


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