警察官を辞めて、あらゆる脱サラに失敗。その日暮しになった無職中年がせどりを始めた結果...
こんにちは!りょう(@ryo_sedori)と申します。今回はnoteをご覧いただきありがとうございます。
初めての方も多いと思いますので、軽く自己紹介をさせてください。
りょうとは何者?
いわゆるせどらーです。
現在は妻と共に都心せどり。
駐車場が高いのと私が車に全く興味がないため電車せどりというスタイルでせどりをしています。
今でこそ、食うに困らない程度の生活をせどり一本でできるようになりましたが、ここまで来るにはかなりの紆余曲折ばかり。
そもそも私は元々安定職業の代表の公務員でした。しかも実は警察官だったんです。
なぜ安定した職業である警察官を辞めて、せどらーという職業を選んだのか?そして安定するまでの道のり。
全米が泣くかは分かりませんが、ギリギリ崖っぷちストーリーをお楽しみください。
1.命がけで巨漢の酔っ払いと対決。
今でこそ毎日お気楽にせどりについてツイートしています。
そしてなぜなったかというと、小さい頃からの夢...ではなくて実は成り行き。
しかも新卒ではなく大学卒業後は、大きなお金を動かす金融業界に憧れて証券会社に入社。
何がしたいという訳ではなく、漠然とかっこいい感じだけで就職してしまった証券マン。
証券マンのリアルはそんなかっこいいものではなく、ゴリゴリの体育会系営業をしてました。
毎日の電話営業では相手からのガチャ切り、上司のパワハラ。
私はすぐに精神をやられてしまいました。
証券会社でのやりがいは、すべてがお金に換算。友人すらもお金に換算してしまう自分が出来上がってしまったんです。
そんな仕事のやりがいを見失っていた時に、知り合いの警察官と食事をする機会を持てました。
自分の現状を説明すると「警察はやりがいならあるぞ。」
この言葉を聞き、今の仕事にやりがいを見つけられない自分は「こんな自分でもまだ人の役に立てるかもしれない。」
知らずと涙が出てきて、警察官になることを決意したのでした。
その後証券会社を辞めて、無事に警察官に。
結婚もして、子どもを2人授かり、都心部の新築の社宅マンションにも入居。
はたから見たら不平不満なんて何一つない安定した人生を送っていたのです。
しかし事件は起こりました。
いつものように夜勤の交番勤務。
忙しかった夜が終わり、仮眠も終了。そんな早朝、交番に一人の女性が。
その女性は、路上で酔っ払いが寝てるのでなんとかして欲しいという訴え出でした。早朝であったため、交番の同僚も仮眠している時間。
人員が少なかったので、私1人で現場に向かうことに。
この後にあんなピンチが来るとは夢にも思っていませんでした。
現場に着くと、私の2倍もあろうかという巨漢が歩道の真ん中でゆらりゆらり。
私は警戒しながらその巨漢に近づき「早くお家に帰って布団で寝ましょ?」と声かけ。
その瞬間その男は私に向かって猛然とタックル。
私はとっさに身をかわして足を引っ掛け、運よくその巨漢を倒して、マウントを取ることができました。
しかし相手の力が強すぎて全力で押さえつけないと逆に放り投げられるかもしれない状況に。
この男にマウントを取られたら絶対やばい。命の危険を感じながらも両手が動かせないので応援が呼べない。
しかも早朝なので人通りも少ない!!!
果たして数分だったのか数十分だったのか、はたまた数十秒だったのか。
やっと近くを通りかかった女性を呼び止めて、110番を依頼。
自分の力が尽きる前に同僚が応援に来て無事に怪我なく処理することができました。
けれどもこの出来事があった時の自分の年齢は39歳。
この後退職まで20年以上もこんなこと続けなきゃいけないのか。私が警察を辞める決意をした瞬間でした。
色々と考えた末、親や親族の反対を振り切り警察を辞職。
この時の状況がどうあれ自分の身体を気にしてくれて、警察を辞めることに反対しなかった妻には今でも感謝しています。
有給を使い切り、退職の辞令をもらったその日は奇しくも自分の40歳の誕生日。
なにか運命的なものを感じ、これからの自由な人生に希望しかなかった。その時は...。
2.脱サラ成功。何もしないでお金が入る夢の生活をどうやって手に入れたのか?
元々住んでいた社宅が都心部。
子どもの学校事情や習い事を考えて、固定費は高いがなんとかなるだろうと近くのマンションに引っ越し。
退職金も出たので、それまでに何か当たればいいやという軽い気持ちで主夫をスタートさせてしまいました。
有給期間は2ヶ月ほど。
その間に次の稼ぎを見つけなくならない。手あたり次第に副業と言われるものに手を出す毎日が始まったんです。
「どれか当たるでしょ?」
そんなあまりにも軽率すぎる無責任男でした。
まず手を出したのは初期費用があまりかからないブログ。
文章を書くことは好きだったのでアフィリエイトって儲かるんだということでアフィリエイトの塾に入塾。
次に輸出が熱いと聞いて、eBayの輸出コンサルにも入会。
さらに知り合いからFXの自動売買ツールが楽だし稼げると聞いてこれにも手を出してみます。
まずブログ。
ただ好きなことを書いていればいい訳ではなく、色々な設定やSEO対策もしなければなりません。
PC関係の知識がほとんどない私は段々とブログを更新しないようになっていきます。
eBayもそこそこアカウントが育ってきたため初出品だ!と出品したらいきなり垢BAN。
色々手を尽くすも復活することなく、eBay輸出も終了。
自分に残る稼ぐ手段はFXの自動売買ツールのみ。
結果的に運が良かったのか悪かったのかはわからないですが、これでしばらく食いつなぐことになります。
とりあえずそれ以外にも保険で何か働いておこう。
ということで、自転車で都内を駆け回るUberEatsの配達員への憧れと、運動不足解消を目的にUberEatsの配達員を開始。
朝は子供と妻を送り出し、家事をして9:30からUber Eatsの配達員。
昼ご飯の配達のピークが終わったら、家に帰ってきて本が読めるスタバへ行って読書。
本の内容をFacebookにアウトプットして、家に帰ってきてYouTubeの撮影、編集、アップ。
夜は家族で食事をして、お酒を飲みながらアマゾンプライムを視聴。
金銭面は、FXの自動売買ツールで毎月50万円以上の収入。
それと自分のUber Eats配達員の給料と妻の午前中のパート代でお金の心配はいらない。
何のストレスもない生活がかなっちゃったのです。
けれども余計なお金と時間は持つものではない。
私はまた新しい投資に手をだし、結果歯車が少しづつズレていくこととなる。
3.投資を拡大。最も危険な成功体験とは...。
新しく手を出したは投資先は株。
しかもデイトレードという手法。とある投資コンサルを受けて開始しました。
最初は1日数千円の利益だったものが、コツをつかんで1日数万円。多い時には10万円程度稼げるようになっていきました。
さらには信頼する友人の勧めで行った仮想通貨のマイニングの説明会。
1日に数千万も稼げると説明を受けましたが、その仕組みは何から何まで全てがネズミ講の仕組み。
でもその時は調子に乗っていたのでしょう。
判断力が欠如していて、この話に乗ってしまうことになります。参加費用と運用するための資金150万円。後にあっという間に溶けていくことに。
FXの自動売買は資金を増やして、利益を拡大していく。けれども逆に損きりの額も多くなることが増えてきました。
お金の欲に目がくらみ、自動売買と同じように自己売買も取り入れ、株と併せていっぱしのトレーダー気分で調子にのる日々。
しかしこの時、すでに歯車は大きくズレていました。
まず、将来に禍根を残す成功体験をしてしまいます。
ちょっとした用件で数時間スマホから目を離しているスキにFXの含み損が80万円。
もうすぐで損きりの自動決済をしてしまう段階。私はここで決してやってはいけない決断をしていまします。
損きりの指値を外してしまうのです。
その後一時100万円以上の含み損を抱えながらも、後に相場は好転。最終的に20万円のプラスで取引を終了し事なきをえます。
こんな経験をしてしまったために以後全く損きりをしないようになってしまいました。これが最終崩壊のきっかけになる危険な成功経験でした。
4.手を出したもの全てが失敗。最後にたどり着いたのが...
妻がネットで見た無料情報で、DVD BOXのせどりを始めました。
これがそこそこうまく行ったので有料のコンサルを受ければもっと稼げるんじゃない?
そんな安易な考えで、妻がeBay輸入の高額コンサルを受けたのですがこれが失敗。
その頃の自分たちには本当の稼ぐマインドがまだ足りなかったのかもしれません。
まずは株の売買。
徐々に株の含み損が増え、塩漬け株で身動きができない状態に。
仮想通貨のマイニングも予想通り運営側の上層部がトンズラ。
そしてついに頼りにしていたFXの自動売買も終わりがやってきます。
イギリスのEU離脱問題
私はそれに見事に巻き込まれていました。そして全てを失います。
貯金も退職金も稼ぐ手段さえも。
ちっぽけなプライドはズタズタにされ、明日からどうやって生きていこうか。いや、明日なんて考えられませんでした。
ただ過去の自分への後悔。消えてしまいたい。逃げ出したい。生まれてきてごめんなさい。
自分のような人間を夫に持ってしまった妻。自分のような人間を父親に持ってしまった子どもたち。申し訳ない。
もう死んでしまいたい気持ちで、生きている心地はありませんでした。
死んだような毎日。何もする気が起きない。けれども高い固定費や生活費はかかってきます。
とりあえず公務員時代にハピタスにハマって作ったクレカを数枚。
このキャッシング枠でとりあえず足りない分を賄う日々が始まります。
このままではいけない。
なんとかすぐにお金になる仕事。
私は前職を活かして万引きGメンになりました。かと言って都心部に住めるような金額を稼ぐことはできません。
プライドはズタズタになっていき、毎日逃げることしか考えていませんでした。
そんな中、年度末で区の準職員の募集。
妻がそこでの就職を決めてききてくれました。高い給料ではなかったのですが、家賃分にはなる。保険にも入ることができました。
本当にギリギリのところでなんとか持ちこたえられたんです。
家の大きな収益源を失い、崖っぷちの中。なぜか妻がまた新たに物販スクールに入会すると言いだします。
自分にはもう賛成も反対も意見を言える立場もない。
好きにしたらいいと興味すら持ちませんでした。
妻が新しく入会した物販スクールは、アマゾンの国内物販。主におもちゃなどの新品せどり。
運が良かったのは、現金はなくとも私と妻を合わせれば10枚近くのクレカがあったことでした。
5.せどりより日雇いの方が確実だろ?
さあ、一気にせどりが上手くいって人生急浮上!と言いたいところですが、世の中そんなに甘くない。
家には車がないので週末にレンタカーを借りて夫婦で仕入れ。
自分も妻の入った物販スクールのマニュアルをある程度学んで実践するも、ほとんど仕入れられません。
夫婦で一日中駆けずり回って得た見込み利益は1500円程度。レンタカー代にもなりませんでした。
日雇いの方が確実に稼げる
「日雇いでやれば1日絶対8000円は稼げるだろ。」
自分は日雇いの方が向いている。
落ち込む自分に、「これも経験経験」と笑顔で返してくれた妻にギリギリのところで救われていました。
平日の日中は、妻は区のお仕事。私は万引きGメンで昼過ぎから夜まで。帰りに家電量販店やドンキを回って仕入れ。
土日はレンタカーを借りて、夫婦で店舗を回る。休みなく毎日働く。そういった日々が数ヶ月続きます。
子どもとは一緒にご飯も食べれないし、土日も夫婦で家を空けっぱなしにして子どものご飯も適当に済ます毎日。
年に数回行っていた家族旅行。
そんなことももうできない。
今思えばあの時本当に可哀想だったのは子どもたちでした。
でも当時の自分はそんなことにも気づかずに、ただただ過去の自分を責め、今の現実から目を逸らして日々を過ごす最低な父親のままでした。
下を向きながら、それでも何とか前にだけは進み続けました。
徐々にせどりで日雇いの日給を越えるようにもなってきます。
妻が新しく入った物販スクールのチャットに上がった店舗取り置きの利益商品。行けるもの全てに手を挙げてもらいにいきました。
そこで実際利益商品が店内のどこに置いてあるのか。
「値札はどのような値札か。」
「時期は。」
「どうして。」
「なぜ。」
ただ利益商品をもらいに行くだけじゃなく、自分が利益商品を見つけた擬似体験を何度もして、自分の中に経験として落とし込みました。
その見取り稽古が良かったのか、たまにボウズの日もありますが、数ヶ月で日雇いの日給以上は稼げるよう。
そこで日雇いを辞めて本格的に専業でせどりをしようと決心。
けれども物価の高い都心部で住んで行くためには、まだまだ稼ぎが足りない。
このままのせどりスタイルではアタマ打ちなのではという悩みも抱いていました。
6.せどり“だけ”で食べていけるかもしれない。
そんなタイミングでした。
妻が入会していたせどりスクールの特別講師が同行仕入れをするということでそれに応募して私が参加。
その人がのちに現在のせどりのスタイルのきっかけになるせどりの恩師でした。
当時の自分にとっては決して安くないコンサル費用でしたが、妻は何も反対することなくコンサルに同意。
実際に妻がこのせどりの恩師のことを間接に知っていたので、むしろそこに入って、せどりを鍛えてもらえと言うのが当時の妻の見解。
とにかく恩師にせどりを教わり、一緒に恩師のスクールに入った仲間と高め合い、徐々に手元にお金が残るように。
仕入れの対象商品を広げ、仕入れ店舗を広げ、ボウズで終わるという日はこの頃にはもうなくなっていました。
そんな中、今後せどりをやっていく上で、自分の中には大きな疑問が育ち始めていました。
今でこそ販路として定着してきているヤフショ。
当時、私の所属していたせどり仲間で持っている人はまだおらず、ネット情報で学びながら申請してみることにしました。
すぐにヤフショのストア申請の許可は下りました。
ヤフショを作った当初は他販路が武器になるなんて考えてもおらず、ただただアマゾンのリスクヘッジになるだろうくらいの考えしか持っていませんでしたが。
7.多販路はあなたの武器になる。
運が良かったのは年末商戦が始まる直前の10月にヤフショが開設できたこと。
ストア構築やSEOなんてものはよくわからなくても売れる時期でした。
経験をたくさん積めて、さらにはいろんなことを試しても成功しやすい時期。おかげでストア自体も強くできて、自分自身も成長。
アマゾンで販売できない商品。
これをメルカリではなく、ヤフショに当てはめるとメルカリ相場の1.2倍から、いい時は2倍3倍の価格で販売。
アマゾンで突然消えた商品ページもメルカリで処分価格で販売しなくても利益をのせてヤフショで売れる。
いやむしろアマゾンより高く売れたりする。
これってもっと突き詰めたらいいようになるのでは。
この経験を物販仲間に話すとすっごくいい反応がもらえて、とても嬉しかったことを今でも覚えています。
別に特技とかではなく、便利なツール紹介な気分でシェアしたし、武器になる自覚は当時の私にはまだ全然ありませんでした。
年末商戦も終わり、年明けには楽天も開設。やっとアマゾンに依存しないせどりも考えられるようにもなりました。
恩師の物販スクールも次第に規模が拡大。
初期メンバーにはせどりから今後のマネタイズという話が出てきます。
仲間にはそれぞれ特技があり、教えるものがたくさんあるけど、自分にはいまだ特技はない。
せどりでマネタイズなんて想像できませんでした。
思い悩む自分に、恩師がかけてくれた言葉が自分の武器に気付くことになります。
あーそうですか、って答えながら内心では多販路なんて販路持つだけじゃないか。
多販路が武器になるのか?
ただの方法論でしかない。こんなことに需要があるのか?
疑心暗鬼でした。
けれどもこれでマネタイズしようということで恩師の協力を得て、自分に何ができるのか、どうすれば他販路を活かすことができるのか。
普段のしている工夫は?
それをどんどん明確化し言語化。
そして方法論に過ぎないと思っていた多販路せどりにもニーズがあることがようやくわかってきました。
恩師の提案でスクール内に期間限定のヤフショに特化したコンサルをさせてもらう機会をいただきます。
そこで人に教えることで感謝される喜びと、それ以上に自分の実力を成長させてもらえるということを実感。
人に教えることがこんなにも自己成長につながるんだという経験をさせてもらいました。
その後、auPayマーケットやQoo10なども開設。
正直すべての販路を活かしきっているわけではないですが、多販路せどりを今でも日々研究中。
現在はツイッターでせどりについての情報発信。
自分の知識や経験を役立ててもらい、さらに自分を高めていこうと楽しんでいます。
本当はここには書けなかった失敗が一つや二つでない数でまだまだありますw
本当に挫折を繰り返して、絶望ばかりをしてきた弱い自分ですが、決して行動することだけは諦めませんでした。
そのおかげで今の自分があると信じています。そして素晴らしい人たちと要所要所で出会うことができたからこそだと感謝しています。
今回もあなたとこの場で出会えたことに感謝です。最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
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最後に...
このnoteを読んでくださったあなたへ。
記事を読んでいただき、少しでもいいなって思ってくれたらスキ❤️ボタンを押してくれると励みになります。
また今後はせどりやTwitterのことについても有意義な情報を提供していこうと思うので、見逃さないためにもフォローをお願いいたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
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