自分の当たり前と他人の当たり前が違う認識をもつ No.1226
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2024年5月12日 「DayOne日記」No.1226
本ブログは、成果を出すためのヒントを365日、1日も欠かさず発信します。
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おはようございます。
先日、ある話を聞き
それが自分の頭の中から
離れなくなってしまっています…。
ふとした瞬間に
頭にそのことを思い出してしまう。
それくらい衝撃を受けたのです。
その内容は敢えてここでは書きませんが
その話と動画を見て
自分自身が不自由なく日常生活を
過ごせていることに有り難みを感じます。
家族がいて
住む家があって
仕事があって
同僚や仲間がいて
この当たり前だと思っている日常が
当たり前でない現実もある、ということ。
それを考えると、
本当に心が痛むと同時に今の状況に
感謝と有り難みが湧いてくるのです。
自分がいかに恵まれた存在であるか?
ということを。
日常生活が無意識化するからこそ
何も感じなくなってしまう。
でも、非日常になることによって
日常の大切さに気づくのです。
例えば、病気。
日頃は健康な体の有り難みを感じにくい。
でも、病気した時に、
その有り難みと健康でいれることの
幸せに気付けたりするもの。
ただ、人間は
病気している時はそう思えても
病気が治れば、
その感覚を忘れてしまう…。
ただ、完全に忘れてしまうというよりも
意識化に残らないのだと思います。
だから、気づきにはなっているはず。
その積み重ねが
別の視点で物事を考えていくことに
つながるのかも知れない。
だから、大切なことは
自分にとって当たり前が他人にとっての
当たり前ではない、ということ。
その認識が持つことが大事。
そして、自分自身も
無意識化ならないように、日常生活の
有り難みを感じて日々生活したいものです。
それでは、皆さん。
本日も良い一日をお過ごしください。