まちアド:佐伯亮太のプロフィール
改めて播磨町まちづくりアドバイザーの佐伯亮太です。2020年4月から播磨町役場企画グループに自席があり(2022年10月から協働推進課に異動)、週3日(主に水・木・金)、8:30〜17:15まで勤務しています。もちろん地域の会合に出向くことも多く、土日問わず動いています。
これまでいろんな活動でメディアに出ることも多く、見ていただいている方も多く、ありがたい限りなのですが、改めてプロフィールをまとめたので、お時間あるときにご笑覧ください!
0〜15歳 山の中で育ちました
実は播磨町には佐伯姓が非常に多く、7年前に引っ越してきた初日から、「お父さんの名前なんや〜?」と聞かれるほどでした。しかし、残念ながら(?)、僕は播磨町出身ではなく兵庫県豊岡市(旧城崎郡)日高町出身です。神鍋高原といえば、合宿やスキーにいらっしゃったことが一度はあるかもしれません。15歳までは神鍋の山の中で過ごしました。
15〜20歳 下宿して明石高専へ
中学卒業とともに親元を離れ、明石高専に進学しました。これは僕の人生を大きく変えた出来事の一つです。進学した建築学科では、建築家を目指してよくわからない専門用語と戦っていたのを記憶しています。ありがたいことに、高専在学中に学内にも学外にもたくさん友達ができました。このときの付き合いはいまもつながっていて、一緒にまちづくりイベントを開催する仲間もいたりします。
20〜22歳 山口県宇部市で暮らす
高専卒業とともに山口大学工学部感性デザイン工学科という、名前を聞くとすごそうな大学に3年次編入しました。高専から大学に進学すると、いきなり3年生から入学できるのは、意外と知られていない仕組みです。山口大学工学部のある宇部市は宇部興産のまち。人が暮らすことよりも企業がどう回るかが考えられたようなまちで、とても不思議に思ったのを覚えています。たまたま所属した都市計画系の研究室は、大学の中に研究室が無く、中心市街地の3階建ての小さなビルを借りていて、そこに僕たちの机がありました。まちなかに出ながら学んだ経験は、今思えば様々な活動の原点だったように思います。
22〜24歳 横浜で建築家を目指して勉強!
大学で研究するのがおもしろくなり、もっと勉強したい!と思って、横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSAに進学しました。この学校は新進気鋭の大学院で私が4期生でした。マニフェストは「建築をつくることは未来をつくることである」で、これからの社会をつくるために建築家として何ができるか、どんな社会を目指したいかを叩き込まれました。もう一度あの頃に戻りたいような、でも絶対イヤやな―と思うような、苦しくでも楽しい期間でした。
この時期に、僕がまちづくりにのめり込んでいくきっかけがありました。それは大学の地域連携プロジェクトで関わり始めた洪福寺松原商店街の活性化プロジェクトです。横浜のアメ横と言われるほど賑わいのある商店街で、今もなお定期的にテレビで特集がされるような商店街です。たまたま先輩に誘われて参加したこのプロジェクトで、アカデミックな世界と地域の隔たりの大きさに気づきました。そして、もっと地域のことをやってみたいと思うようになりました。
24〜27歳 明石高専で地域連携コーディネーターに
不思議な縁で、大学院博士課程の途中で明石高専の特命助教になりました(その後、博士課程は退学)。ここでのミッションは地域連携プロジェクトの立ち上げ。競争的資金を獲得しており、そのプロジェクトをすすめる役割でした。ちょうどアクティブ・ラーニングが叫ばれだした時代と合致し、結果的に地域連携プロジェクトに収まらず、カリキュラム改革までを担うことになりました。このとき、ファシリテーションの技術や組織を動かすストラテジーの立て方をイチから身につけていきました。
播磨町に転入してきたのはちょうどこの頃です。地域での連携先を探す中で、偶然出会った不動産オーナーの人柄に惚れ、住んでみます!ということで播磨町ぐらしが始まりました。それがコーポラスはりまでした。ここでの暮らしで様々な経験をしたことが今につながっています。この頃から、いろんなところに講演会で呼んでいただいたり、雑誌などの取材依頼が来るようになりました。
28歳〜 がっつり地域づくりに関わりだした
ちょうどその頃、明石市の外郭団体の一般財団法人明石コミュニティ創造協会に声をかけていただき、アドバイザーとして関わり始め、結局正職員になりました。この法人では、明石市の小学校区単位のまちづくり組織の支援を進めており、そのノウハウを学ぼうと思っての転職でした。同時期にウィズあかしの指定管理立ち上げもあり、指定管理の立ち上げってどうやってやるのか知りたい!と思ったのも転職した一つの理由です。ちょうどこの頃、自分の法人も持ちたいなと思っていたところ、偶然であったビジネスパートナーとRoof LLCというまちづくりシンクタンクをつくりました。この法人では、兵庫県から依頼を受けて、多可町、上郡町、佐用町、たつの市など県域で自治会等地域組織のアドバイザー業務を行っています。
32歳〜 播磨町まちづくりアドバイザーに
こんな人生を歩んだ結果、播磨町まちづくりアドバイザーに就任しました。就任前には、HTTF(Harima to the Future)というまちづくりカードゲームを多くの方々と一緒に作ったり、地域でサロンを主催したりと、一市民としていろんな活動を進めていました。就任後は、播磨町町制60周年を機に発出した「協働のまちづくり宣言」や、市民活動団体の立ち上げサポート、各種計画づくりのアドバイザーなどを担っています。
35歳〜 佐用町縮充戦略アドバイザーに
さらに、播磨町でやってきたことを評価いただいたのか、2023年4月に佐用町役場縮充戦略アドバイザーに就任しました。縮充は縮充とは、人口や地域のいろいろな団体や活動などが縮小しても、なおこのまちで豊かに暮らしていく作法のことを言い、これを旗印にまちづくりを始めた自治体は全国でも初めてだと思います。まだまだ具体的な成果は無いですが、新しい価値観をつくるために、日々動いています。
現在
現在は播磨町に住んで9年目。妻と長男と長女と4人で播磨町内で暮らしています。
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