行政のまちづくりがおもしろくなりにくい理由
ここ数年は行政が進めるまちづくりをサポートする立場にたつことが多く、いろんな自治体に関わっています。そのほとんどでの私の役割は、課題を見つけて新たな事業を構想し庁内の連携を進めて実装する、というものです。自治体にとっては飛び道具のような使い方です。なかでも「実装する」段階がかなり難しいときがあります。そんな経験を経て、「なんで難しいんだろうか」というのを考えてみたのでまとめてみます。
「多数派」で決めていくことの限界
地方自治体の運営の仕組みというのは二元代表制です。選挙権のある市民が直接選んだ首長(執行機関)と議会(議決機関)によって企画から実装が遂行されます。当たり前ですが、首長も議員も選挙で1つでも票を多く取った人たちによって構成されます。できるだけ多くの市民の意見を反映するためにこの方法がとられているのでしょう。そしてどう実装されるかというと、執行機関から提案があり、これを議会が議決して実行されるわけです。つまり、反対より賛成が多くないと実行の段階にいかないのです。そうなると、少数派がおもしろいとおもって進めようとすることは理解が得られれにくく実装段階にすらいかないということが考えられます。これは執行機関の暴走を止めるという意味で大切な機能です。ただ、「できるだけ多くの人に賛成してもらおう」と思うと、その内容はどんどん八方美人的になっていき、突き抜け感のない政策になっていくと思っています。
「少数派」の実験をどう促すか
つまり、はじめは強烈におもしろいアイデアの事業でも多くの人が賛成する内容(多数派の意見)にしていく段階で、当初あったはずの強烈なおもしろさが失われているのではないかと思うのです。特に公金を使う場合は失敗ができないという空気感から、結局当たり障りない取り組みに落ち着く可能性すらあります。人口減少局面になり、そこかしこで課題ばかりが見えてきた社会において、当たり障りないことをやり続けることには発展はなく、ゆるやかな衰退になっていると思ってしまいます。これからは小さな実験を繰り返す中で未来への仮説を見出す必要があるのではないかと思っています。しかし、いまの地方自治体の仕組みでは、小さな実験を繰り返して実装することが承認されにくく、とても難しくなってしまっているように思います。つまり行政が実施する事業はおもしろくなりにくいということです。
有名な図であるイノベーター理論でも多数派がでてくるにはそれなりの時間が必要だと示されています。ただこれまで通りを繰り返していては未来が見えない中で、多数派となるまでの実験をどういった主体がどのように実装するかがこれからのまちにおいて重要ではないかと思っています。こうした小さな実験がない限り新たなまちづくりはうまれていかないでしょう。
笑顔のゲリラ部隊が必要
そのためにはある程度のリスクを背負いながら自分たちで実験してみるゲリラ部隊が必要だと思います。ただこのゲリラ部隊はどこかと喧嘩をしたり何かを奪取するわけではありません。 どこかから何かを奪い取るような行いではなくて、これからの次代に向けた新たなチャレンジなので、喧嘩する必要がないのです。笑顔のゲリラ部隊は信頼できるメンバーで時間、資金、体力、知恵を持ち寄りながら実践していきます。そこには課題解決する!という価値観というよりは、やってみたらおもろそう!という熱量が重要だと思います。そして、こうした実験には行政がかかわらない方が良い可能性すらあります。変に行政が関わることで実験の足かせになる可能性があるからです。良い実験も、行政が中途半端に興味を示したことで変な方向に行ってしまう例を何度も見ました。
予算措置より規制緩和と環境づくり
行政はそうした実験の支援を考えると、すぐに予算措置を考えてしまいがちです。ただ笑顔のゲリラ部隊にとってお金の優先度は高くありません。活動して良い環境やそのための規制緩和こそもっともお願いしたいことでしょう。お金は自分たちでどこかから集めてこられます。
そう考えると、行政が行政のアイデアでゼロイチをするのではなくゼロイチが得意な集団やチームが自らのリスクでゼロイチをやり、そこに公共性が出現しそうな場合、行政が施策化して1→10のスケールをする。これがこれからのまちづくりの肝ではないでしょうか。
実験が繰り返せるまちは強い
こうした議論をすると、「議会のレベルが低いからや」という話になってしまいがちです。ただその議員を選んでいるのは私達市民です。もし議会のレベルが低いというなら、自分が議員になって変えるしかないのでは?とすら思います。つまり議会のレベルというどうしようもない議論をすることより、まずは眼の前でできることをしっかりやることのほうがまちが変わるのではと思っています。行政による多数派のまちづくりはどうしても八方美人になってしまいます。21世紀の新しいまちづくりは小さな実験の繰り返しの中から見つけられると思っています。そうした実験を繰り返せるまちはレジリエンスが高まりおもしろいまちづくりができるまちになっていくでしょう。