元飲食店店長がビジネスを始めた理由
「独立して自分でお金を稼ぎたい。縛られずに生きたい。」
この思いを抱き始めたのは20代前半の頃だった。
僕の実家は100数十年続く天理教の教会だ。
いずれは後を継いでいくけど、将来のビジョンがずっと不鮮明だった。
「会社員をしながら?それともアルバイト?結婚は?子供は?」
働きだしても不安との闘いだった。
正直なところ、家賃収入などの不労所得に憧れていたが
「何もしないでお金が入るような環境じゃない」
と諦めていたのが当時の心境であった。
だけど色んなことを両立しながら稼ぐには「独立」が
手っ取り早い選択だというのは変わらなかった。
「どうせやるなら得意な事で喜んでほしい」
でも、「得意な事」ってなんだ??
ずっと自問自答しながら進んできて様々な経験を通して
念願の「独立」を果たしてビジネスをしていくことになった
ストーリーとなっています。
「自分の得意が分からない」
「人に喜んでもらいたい」
1ミリでも感じるものがある方は是非最後まで読んでくださると幸いです。
STORY1 とりあえず得意な事を生かせるとこに入社
2013年、某飲食チェーン店に契約社員として入社。
当時はお付き合いしていた女性と同棲中。
転勤を希望していなかったのでまずは契約社員で実績を積んで
それからわがままを言おうと計画していた。
入社した飲食チェーン店はフランチャイズ展開をしていて、役職に就くころには「ゆくゆくはFCオーナーになって一国一城の主を目指そう」
と、なんとなく「独立」というものに憧れを抱いていた。
時は流れ2015年、店長として登用されて期間が経った頃、
お付き合いしていた彼女と破局。
寂しさを紛らわす為にも仕事ばかりに打ち込もうと、
あれだけ拒否していた全国転勤を受け入れ、昇格を目標にしていた。
STORY2 気付けば店長クラス上位
全国転勤を受け入れた先には、結果を残すために
とにかくやれることをやった。
転勤の返事は全て「YES」。
関東地方に居たのにひとり静岡県掛川市に半年転勤したり、
少々荒っぽくしたけど新卒の指導には力を入れて
アフターフォローで食事にも連れて行ったりもした。
既存店売上№1の店も任され、
夏のボーナスも20代にしては多く貰っていた。
すべては「独立」するためだ。
会社からの評価も上々で取締役全員に顔と名前を覚えられていた。
本社で会えば「しっかり売ってこいよ!」
と声を掛けてもらえたり。
あとは結果を残して上級職位も経験すれば安心できる。
当時はそう思っていた。
当時は…
STORY3 全てが崩れ去る
「あと1店舗新店を開けて軌道に乗せてくれたらエリアマネージャーな!」上長からの期待ある言葉をやってのけられる自信があった。
だって俺は結果を残せていたから。
しかしその自信は徐々に崩れ去ろうとしていたのである。
新店舗を開けるために事前の新人パートさんの教育も頑張った。
面接も日に何件もこなした。
オープン前には自分の想いも従業員さんに話した。
ひとりの脱落者も出さずにキレイな形で次に引き継げれるように…
しかしそれは理想でしかなかった。
オープンしてからというものの、突然辞めると言い出す人が出て、
なんとか採用した人も急に居なくなり、頼りにしていた人からも
「あなたのような人のもとでは働きたくありません」
とメールが来て翌日から来ない。
残ったメンバーで頑張ろうとしても
右腕的社員を引き抜かれ、もはや翼のない鳥状態。
それでも頑張ろうと孤軍奮闘していたが、
ある土曜日に精神が崩壊した。
店でお客様の前で発狂し救急車騒ぎとなった。
そう、うつ病となったのだ。
SOSが出せなくなっていた。
「終わった…」
そう思った。
1ヶ月の休職を医師より宣告されたのである。
STORY4 ゼロからやり直し→退職
1か月の休職でなんとか日常生活を送れるようになって復職した。
会社からは謝罪と
「このままみすみすお前の職位をはく奪したりしない。本社の近くで今後ゆっくりやってくれ。」とフォローをしてもらいながら
本社近くの本店でゼロからやり直し。
ボーナス査定も最低クラスから。
なんとか半年やってこれたが
突然地方への転勤を命じられた。暇な店舗だった。
のんびりやってこいと言われたが
そんな余裕は3日で打ち消された。問題児だらけの店だった。
何度も開店前に泣いた。もう限界だった。
あれだけ「独立」にこだわって頑張ってきたのにダメだった。
2018年、会社を辞めた。
辞める時には社長まで出てきて大騒動になった。
それでも限界だった。
今思えばあの時離れておいて良かった。
そこから「何かに縛られない生き方がしたい」
と強く考え行動するようになった。自分を守る為に。
STORY5 コーチングとの出会い→独立間近へ
退職してからというもの、心の状態は全然安定なんかしていなかった。
焦って就職しようとして、上手く行かず負のスパイラルだった。
そんな状況を知ってか知らぬか、大学時代の友人から
「人間力の講座の体験会をやってるから来ない?聴き方や自己肯定感を学べるよ」
と誘われたのだった。
人間力?聴き方?自己肯定感?
YouTubeなんかでは聞いたことのあるワードだった。
「でも今の俺は自分自身が分からない。どうしたらいいんだ」
参加を決めていたがギリギリまで行くかどうか悩んだ。
でも藁にもすがるような思いだったので決心して
久しぶりに電車に乗って出かけた。
その講座の体験会ではコミュニケーションや話の聴き方
コーチングの導入部分の体験、今後の生き方などを
半日以上通して学ぶ場所だった。
それまでセミナーや講演会などの学びの場に参加したことのない僕だったが
一気に自分の人生が加速する感覚を覚えた。
途中、自分の本当の想いに気が付いてボロボロ泣く場面もあった。
「本当はどうしたかったの?」
「この人生が終わる時、どんな言葉を誰に届けたい?」
それはもう衝撃でしかなかった。
今までそんなことを考えることもなかった。
ただ何となく「大人として」生きてきたからだった。
「独立」も「縛られたくないから」最終ゴールにしていたのだ。
「このまま終わりたくない。生き切りたい」
そこから僕はまず「アルバイト」から再スタートをした。
「やりたいこと」を見つけて具現化するために。
2019年の夏ごろには
「リラクゼーションセラピスト」を目指し
某リラクゼーション店の研修を受けた。
何もかもが新鮮で、楽しいことだらけだった。
研修終了後には店舗に配属され、紆余曲折あったが
人間関係で悩まなくていい環境をまず手に入れた。
そこは「業務委託契約」で働く場所だったので
必然的に「開業届」を提出するのであった。
そう、「個人事業主」なのだ。
「独立」に大きく一歩進めたのだ。
その後、2020年からはご存じの通り
新型コロナウイルスの流行もあって世の中のあらゆることが
変化していったのだった。
1年はなんとかやり過ごせたが、収入はガクッと減った。
でも緊急事態宣言下の中で「動画編集」を覚えた。
「動画編集」は元々興味があったものだったが
友人のYouTubeを手伝うことになり
本格的に覚えるようになった。
パソコンも買い替えた。
スキルは全然まだまだだったけど、やる気だけはあった。
ボロクソに言われたこともあったけど、どうしても頑張りたかった。
この「動画編集」で稼げるようになった道のりは
別の記事でご紹介します。
独立→皆さんにお伝えしたいこと
2021年9月、念願の独立起業する運びとなった。
STORY5でお伝えした「リラクゼーションセラピスト」をしていたが
コロナ禍で客足がガクッと減った。
指名して下さっていたお客様も足が遠のいていった。
「このままではやばい」と思いながら、バイトを掛け持ちしたり
Amazonの配送をやったりしたけれど
「これって俺の思い描いてる姿か?」と自分に問い続けていく中で
リラクゼーションセラピストとして店舗のシフトに
入れなくなったのをきっかけに独立を果たしていった。
そのタイミングで起業塾にも入った。
そこでは「ファンづくり」を主軸に
マーケティングやLIVE配信を使った情報発信を
半年学んでいった。
ここまで聞くと「会社員したくないからなんじゃね?」
と思う方もいると思う。
でも僕には秘めている想いがある。
それは…
「強い想いはあるのに世の中で孤独だと思ってる人達の想いをカタチにする」
ことである。
ステキな想いがあるのに、世間の目や心無い発言で
「自分って無価値だ。自分なんかが想いを語っていいのかな」
と諦めてしまう姿を何人も見てきた。
僕もうつ病を発症した時には全てを諦めたことがある。
それでも「やっぱり諦めたくない!」という想いは
誰しもあるはず。
夢は語っていい。キレイゴトも語っていい。
そのためにビジネスを始めることは全然やっていいと思う。
ビジネスを始めてすぐに前職の元同僚がアンチになった。
「お前なんかが」
言われて傷ついたけど、そこでは諦めなかった。
それは、「一緒に頑張れる仲間」が居たからだった。
今思えばよくその段階で離脱せずに済んで良かったと思う。
これからビジネスを通して社会の役に立ちたいを思う方へ。
あなたのその想いは絶対に諦めないで欲しいです。
手段はいくらでもある!想いを消さなければ
あなたを応援してくれる人達や
あなたの展開していくモノで救われる方が
たくさん待っています!
早くその方たちに出会いに行きましょう!
僕はあなたの味方です。