日々の鬱憤


掃除機のゴミが溜まっていた。ゴミ捨てラインより大幅に超えていたので捨てる必要があるかと思ったその時、反対側をみると全く溜まっていなかった。見えていた側だけ溜まっていた。ものの見方はちゃんと360°見回す必要があるという教訓を得た。
でも、ちょっと腹が立った。



私はずっと彼が好きではなかった。自己開示の少なさ、人への興味の無さが癪で共感出来ない苛立ちとでとても好きになることができなかった。彼は私を信頼してくれていたようだが、私はとてもじゃないが無理だった。
でもわかった、私は彼に嫉妬していたのだろう。彼女がいて、大きな役職を持っていて、顔が整っていて、チヤホヤされて、カメラが趣味で、人生が充実している彼に嫉妬していた。何より、その「人に影響されずに生きる」姿が羨ましかった。そんなルサンチマンを認められず、ずっと彼を悪者にすることで、自分を正当化してきた。

この考えは彼への捉え方を変え、マイナスだったものを0にしてくれた。好きにはなれずとも、今までの勢いの悪口はもう出てこなそうだ。
彼になりたいと思ったことはないし、これからも思わない。今この嫉妬を受け入れて尚、仲良くしたいとも思わない。それでも彼に対するルサンチマンは、自分が本能的に求める、人に影響を受けづらい自分であるという姿が羨ましかったのだろう。これまで自分は自分が欲しいと思う、自分にないものを持っている人を尊敬すると考えていた。この場合、彼はこの条件に当てはまる。でも他の尊敬する人とは異なる。
自分の中で彼を尊敬したくないという、変なプライドが邪魔をしているのかもしれない。もしくは、この定義自体が間違っているかもしれない。
自分はどんな人を尊敬し、好きになるのだろう。

アイドルの話してる時に「この子可愛いよね!」って言ったら「いや、アイドルやからみんな可愛いよ」とかいうこと言ってくるやつ嫌い。そんなん知っとんねん。分かった上で言っとんねん。それ言ってどうするつもりやねん。

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