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例えることが許される刹那の旬

「いや、○○じゃないんだから!」

日本人って、“例える” と笑いますよね。アレ、なんでおもしろいんですかね。漫才を構成している笑いどころの半分以上が “例え” なんじゃないでしょうか。日本以外の国でも “例える” と笑うんでしょうか。海の向こうにかぶれている奴に出会ったら聞いてみたいと思います。

そんな “例えと笑い” について能書きを垂れる話じゃあございません。 私が “ストックしている例え” と、“時代の流れ” について。

「声が大きい人」を例える場合。コレはもう、古今亭志ん生の落語『風呂敷』にあるフレーズ「お前は、うちの中で船を見送る声を出して」です。(古今亭志ん生とは、明治生まれの、まあ、昔の落語家さんくらいな紹介で)。そんな古い世代の人が言う例えですが、現代にも伝わるでしょう。

私は、例えに限らずこういう言葉のストックが溜まると、独り呑みに行き、店のオヤジや横にいる方に、そのチャンスがあれば放ってみるということをします。

同年代付近、それ以上の年齢の方には、「船、見送る時ぐらいの声のデカさっすよ!」

二十歳そこそこのお嬢ちゃんには「港でフェリーを見送る時に出す声くらいデカいわ」

と、内容は同じでも、世代別に言い方を少し変えて例える。ウケます、つまり “通じる” ってことです。

「よし、間違ってねぇ」と、確認する夜。


さあ、問題は「声が小さい人」を例える場合。ここのストックがですねぇ「カヒミカリィくらい声が小さい」しか持ち合わせてないんですよ。

“ちょいと他よりも音好きで、90年代を多感に生きた世代” にしか当たらないでしょう。例えというのは、“その通りだわ、しかしよくそんなところから持ってきたね度” が高ければ、それに準じてウケも大きくなります。なので、「カヒミカリィくらい声が小さい」の例えが通じた時点でウケることは約束されているのですが、その的の小さきことおびただしい。

「通じねぇどころじゃねぇ、その説明に大きく時を持ってかれたぜ。何か、他にいいの探して入替えねば」と、敗戦を繰り返しながら長きにわたり頭の片隅(手前側)に置いておいたんですが、やっと入れ替えられる例えがきました!

「ビリーアイリッシュくらい声が小さい」

コレは現代に通じるでしょう!そして、音楽的な方面から見ても「カヒミカリィ」が当たる的よりはデカいはず!入れ替え完了!

そして、ある日、そのチャンスが到来!今だ!

「・・・」

「・・・なんだっけ、あの声の小せぇ外人の名前・・・」

出てこねぇ!「あの声の小せぇ外人の名前」が、スッと出てこねぇ!そして、時代に無理をしている私の前から、例えることが許される刹那の旬は、無情にも過ぎ去っていく。その後も検索には屈せず、独り黙って我が脳内シナプスを絞り上げるが「テイラースウィフト」と「フレッドペリー」という似たような奴らが立ちはだかって「声の小せぇ外人」を表に出してくれない。

で、後日この「ビリーアイリッシュ」がいるうちに、スッと出せる策を練る。ストックしておく置き場を整える。90年代を多感に生きた私としては、「アイリッシュセッター」と同じ場所に置いておくほかなかった。

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なので、私が声の小さい人に出会う場面に出くわしたら、

(このブーツを頭に浮かべ 「アイリッシュセッター」・・・アイリッシュ・・・)

「ビリーアイリッシュくらい声小せぇな!」と、ワンテンポ、いやツーテンポ遅れて放つしかないのである。

間に合え、その短き “例えの旬” に。


あ、ついでにもうひとつ、呑みの場でウケるヤツを。

独りで吞んでると、同じような境遇のお隣さんとお話するって場面が多々あります。大体がはじめましてなもんで、趣味の話なんかになりますね。

「音楽、好きですよ」「どんなの聴くんです?」

こう返ってきたらいきましょう。

「けっこう幅広く聴きますよ、浜崎あゆみから倖田來未まで」

「狭いでしょ!」って、笑い、仲良くなって楽しい夜になるんですが、コレもまた通じなくなる夜がくるのでありましょう。

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