②ババア論 その2 ~ヤツらの視野について~ 1/2
公共性の無さ。
ババアを語る上でこのテーマは外せないだろう。ババアは周りが “見えていない” のか? “見ない” のか?この2つは似ているようで大きく違う。そしてババアには “見えていない” があてはまるだろう。 “見ない” だとそこにあるものを、あえて見ずに行動するといった感じがするが、ヤツらにそんな器用さは無い。
いくつか例をあげてみよう
1.ボリュームつまみの欠如
自分たちのことで考えてみよう。例えば、山の中。こういった視界のヌケが良い場所での会話のボリュームは大きくなりがちだ。広さもあって第三者との距離を見ても、迷惑にはなりづらい。
では、場所を電車内や喫茶店内に移してみよう。限られた空間の中にいる自分たちと第三者。そこで会話をするときに感じる “反響する自分たちの声” “第三者との距離” 僕たちは、そういった環境に適したボリュームで会話をするだろう。場合によっては “会話をしない” ということもある。
しかし、ババアは違う。どこでも一緒なのだ。山の中だろうが、電車内であろうが、喫茶店だろうが一緒なのだ。自分の中のボリュームつまみを調整することができない。いや、そんなつまみは人生のどこかに落としてきてしまっている。そして、そもそも第三者なんて見えていない。目の前にいる話し相手(ババア)しか見えていない。
2.順番は “自分の目的”が最優先
ババアに常識は通用しない。「構内 右側通行」と張り紙がされ、床、壁に進行方向を示す矢印があっても左右なんて関係ない。自分が行きたい方に向かうだけだ。電車、エレベーターなどで流れる「降りる方を先にお通しください」というアナウンス。関係ない。乗りたいから乗る。
以前こんなことがあった。
目的のフロアでエレベーターの扉が開き、僕は降りようと足を一歩踏み出す。すると、ババアが僕を押しのけ乗り込んでこようとする。そこで僕は、尊敬する立川談志師匠の言葉を思い出した。「出るのが先だから “出入口” って書くんだ!」 かましてやった。キマるパンチライン。ババアは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。まあ、ヤツはそれを理解できたということだろう。まだましなババアだ。そこが欠落してるババアなんて山ほどいる。
つづく
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