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落語「芝浜」を考える。

落語「芝浜」くらい知ってるっしょ?
「古典芸能?」「 知らなーい」
「興味なーい」「ワーワー」
だとしたら、古典や歴史を “嫌いにするため” の教育しかしない教師、文部科学省の役人を呪った方がいいよ。“何も変わらない人間” その全てを学べるのに。
そうだ!私の学生時代の担任は社会科の教師だったので、同窓会と称しおびき寄せ、市中引き回しにしよう!

でね☝️

芝浜については、ほぼ、談志師匠の噺しか聴いていないので、この話のメインラインはそこになります。
「まんべんなく聴けや」と思われますぅ?いや、談志落語に出会ってなけりゃあ、そもそも落語について考えるってことなんかなかったですよ。ハイ。

まず、談志師匠による芝浜についてのヤツ。

●三年目の酒を亭主に進める件も、ふとアドリブで口から出た “ねえ、お酒飲も…” と女房に言わせてみたのだ。これがいい…、いいんだ。

●まあ、もう一度、落語をやる機会があればね、「芝浜」のその先までやって、それでフィニッシュにしようかなと思っているんですよ。俺の「芝浜」は夫婦で酒を飲むまで行きましたよね。「ちょいとお前さん、飲もうよ」「いいのか」と。それでまあ、一応ルールだから、「なんだか知らねえけど、よそうじゃないか」 という形にしたけど。それをその先までやって、「よそうよ、お前さん。こんな奴の舌に乗って踊らされるの嫌だよ。 これからどっか飲みに行こう。鐘が鳴ってるけど、どっかやってんだろう。飲みに行こう」「もう帰ろうよ」というのがサゲ。夫婦二人が飲みに行って終わり。これやっておしまいにしようかな、と。

談志師匠の芝浜、後半のあたりに核がありますよね。
“亭主を裏切ったおかみさんの心の動き”
“夫婦の絆”
といった部分。

一旦、噺の最初の部分から考えてみましょう。この魚勝、三年酒を辞めて仕事に精を出すと従業員を雇えるまでに店が繫盛する。途中、おかみさんが言うように “そもそも腕の良い魚屋” なのです。なのに、何故堕落した生活を送るようになってしまったのか?

きっと、“ふと、なんかイヤになった” んでしょう、勝公は。
“鬱” と言えば話は早いんでしょうが、そのあたりあんま良くわからねぇから、そういうことでもなく “なんかイヤになった” んだよ。そこに酒が入って、昼夜逆転とかしちゃってグイグイ底に吸い込まれちゃったんだ。

勝公、何か昔にやりたいことがあったのかもしれない。役者とかね。なんだかんだで辞めることになって、魚屋になったら思いのほか腕がよかった。生活は楽になった。でも、あの頃のように日々に輝きがねぇ・・・。

ここを曲がれば店だ。曲がらねぇで、このまま真っ直ぐどっか行っちゃおうかな・・・。

月曜か・・・昨日の酒が抜けねぇや・・・明日から・・・木曜か・・・もう今週は休みでいいだろ・・・。

勝公、おかみさんがいたから上がれたんだろう。うるさく言われて、かすかに残っていた養う責任だとかが押し上げられた。独りなら落ちるとこまで落ちただろう。その後、三年マジメになって一番考えたのは、このおかみさんのことのはず。だから、おかみさんが謝る場面で勝公はああいう態度を取った。

そうなるとですよ

おかみさん、三年目の大晦日に酒ススメますかね・・・?
42両あってこの先は安泰だから?
ここまで頑張ってくれて生活が楽になったから?
まあ、今日くらいは?

いや、女性の心情として金銭的な安心は優先しないように思う。
二人の今の安心を優先するはずだ。
酒ススメられて断る魚勝の気持ちはわかる。
しかし、おかみさんの、女性の気持ちはわかんねぇや。

いや、結論は無いのよ。
どう思う?
お二人、今夜夢に出てきて教えてくれや。
2022/12/31


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