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たが屋の衝撃

吞み屋なんかで独り呑みをキメてますと、お隣さんと仲良くなることが多々ある。マスターを介して趣味の話になったりしますね。

私は落語が好きなんですが、只、好きってわけでなく、立川談志師匠が好きでありまして、私にとって “神” と言えるお方であります。

“神” 論については、誰しもが生きてりゃあ何かに帰属してるでしょう。解りやすくいえば宗教であり、仕事、家族、アイドル…個人の “信仰“ とまでいかなくとも、信じている物事、「このために生きてんだァー」ってな事よ…長くなりそうなので話しを戻して。

なので、“落語が好き” なのではなく、“落語家・立川談志” が好きなのでありまして、軽く「落語が好き」なんてお隣さんと話が始まったら、ライトな受け答えで右から左へ、時には左から右へ受け流す次第。だって、コア過ぎるでしょう…。コチラが悪い。談志師匠以外の落語、ほとんど聴いたことないからねェ…。

そういうモノってあるでしょう。“アイドル” が好きじゃねェんだ、“乃木坂の、さらに○○ちゃん” が好きなんだ。“読書” が好きじゃねェんだ “村上春樹” が好きなんだ。そういうこってす。

談志師匠を知ったのはー、なんだったかなァ?落語からは入っていないのはたしかで、私が二十歳そこそこの頃に何かのTV番組で見て笑って、“ジイさんなのに、スゲーおもしれェ“ と思ったその感情は覚えています。

“歳を取ると、おもしろくなくなる” そう信じていましたから、二十歳の人間をジイさんが笑わせられるなんて思ってもいなかった。(当時、談志師匠は65歳くらいのはず)

そのあたりから、色々探り出しましてね。“芝浜“が有名なのか… と、ツタヤで借りてきたり。渋谷のツタヤは落語作品のレンタルが豊富にあって大変助かった。サンキューツタヤ!

そこで、談志百席というCDが10枚入ったBOXセットを見つけて、

当時は演目なんてわかりませんから、“沢山入ってて、お得だね!” くらいの感覚でレンタルしてきまして。

その中に、この note のタイトルでもある『たが屋』という演目が入っていました。あらすじは、Wikipedia先生にお任せいたしましょう。先生、どうぞコチラへ!

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安永年間、川開きの当日は花火大会が開かれており、両国橋は大勢の人でごった返していた。そんな中を馬に乗り、お供を連れた侍が通りかかる。身動きが取れないのだが、侍達は町人達を無理やり掻き分けて通ろうとした。

と、反対方向から道具箱を担いだたが屋が通りかかる。唯でさえ混雑している上に侍の登場だ、たが屋はあちこち振り回された上に道具箱を落っことしてしまった。その途端、中に入っていた箍(たが)が弾けてその先が侍の笠を弾き飛ばしてしまう。

頭に来たのはお供の侍だ、謝るたが屋を手打ちにすると言い出し大騒ぎ。町人達が許すように言っても聞こうとしない。とうとうたが屋も堪忍袋の緒が切れてしまい『斬れるものなら斬ってみろ!』と開き直ってしまった。

気圧された供侍が斬りかかってくるが、刀の手入れが悪い上に稽古もサボっていたせいで腕もガタガタ、あべこべにたが屋に刀を叩き落されてしまった。慌てて拾おうとするが、たが屋が手を伸ばすほうが早く、供侍は切り餅みたいに三角に。

焦った主侍が、中間から受け取った槍をぴたっと構える。今までの奴と違って隙はない、そこでたが屋はわざと隙を作ってみた。そこへ侍が突きかかってくる、焦ったたが屋は槍をつかみ、遣り(槍)繰りがつかなくなった侍は槍を放して(槍ッ放し)刀に手をかける。が、たが屋が斬りかかるほうが早く…。

侍の首が中天にピューッ…。見ていた見物人、思わず…

「上がった上がった上がった上がった上がったィ!どうでぃ綺麗じゃねぇか、たァが屋ァ〜♪」

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これでよいか?

イョォッ!先生!名人!ありがとうございます!さすが!またぜひ!お帰りはアチラでござんす。

とまあ、古典落語としての噺のあらすじはこんな感じ。

ちなみに、たが屋の “たが” はコレ↓ね。桶を丸くたもつためのアレよ!竹で出来たのもあるね。


しかし、当時の私は 古典落語そのままのあらすじなんて知っているはずもなく、談志師匠の語る落語が古典落語なのだと思って聴いていたわけです。

談志師匠の『たが屋』のラストは、ラスボスの侍が放った刃で “たが屋の首が血潮を吹いて上がる” とこうなる。真逆でさァね。そこまで威勢の良い啖呵を切って、お供の侍を倒してしまったたが屋の首があっけなく斬り飛ばされる。そのどんでん返しというか、衝撃的なラストに私は当時、爆笑してしまいました。

この爆笑ですが、落語を落語として、おもしろい話として笑ったのではなく、“衝撃的” だったということで笑ってしまったという感覚は覚えています。伝わっているでしょうか?

(しかし、談志落語の『たが屋』の衝撃は、こんなもんじゃあなかったんだよォー。)

そして、談志師匠の『たが屋』のおもしろさは、両国橋の上にいる見物人の描写。この見物人たちが、たが屋を煽る煽る。

ーーーーーーー

失礼をしたたが屋、それを許さないという侍

見物人たち

「命乞いならもっと気の利いたことを言えェー」

「諦めろォ」

「最後に屁をしろ、威勢のいい啖呵の一つも切ってから、斬られて死ね!」

そうして、たが屋が威勢のいい啖呵を切って、侍たちに挑んでいく。この啖呵もいいんですよ。

「よォ、たが屋、俺が付いてるぞォ」

「どう付いてんだ?」

「まあ、なんとなく…」

「馬鹿侍、帰って小便して寝ろー」

「馬鹿ァー」

「間抜けェー」

「おいおい、よせよォ。何か言っちゃァ頭を引っ込めるない。侍が俺の顔を睨んでらァ」

お供の侍が刀を抜く。

「謝っちまえ!」

「ノコギリで戦え!」

ひとり目の侍を倒したたが屋に、ふたり目のお供の侍が切りかかる。

「たが屋は殺られますかネ」

「殺られます」

「おーい、たが屋、もう駄目だってえぞォ、ひとり殺ったんだから諦めろ」

ふたり目のお供の侍も倒してしまったたが屋。

「強いですネ、たが屋は…」

「そうですネ」

「さっきあんた、“もう駄目だ” と言ったんだよ」

そして、ラスボス。馬上の侍登場。

「やーい馬の上の侍、たが屋に斬られろー」

「死んでしまえ!」

「大馬鹿野郎!」

「たが屋、あとひとり、あとひとり」

「馬ごと川に放り込めェ」

そして、たが屋「かかってきやがれ」しかし、馬上の侍が横に払った一文字、たが屋の首が飛んで行く。それをみて見物人

「上がった、上がった、上がったァー」

「たが屋ァー」

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と、談志師匠が語るとこうなる。大まかにですがネ。

この噺が好きで、何度も聴いています。昨年は、江戸東京博物館に行って再現された両国橋を見にいって、より脳内再現度を高めたりもしました。


談志師匠の落語作品はモチロン、著書も集めていまして、現在手に入るモノはほぼ揃っています。

今年、談志遺言大全集という全14巻からなる著書を買い集めていたところ、その第7巻「書いた落語傑作選七」に『たが屋』が!

おお!たが屋だ!と嬉しくなり、さっそく読み進めていく。上記のような、たが屋、侍、見物人のやり取りが進められていく。

このシリーズには、数多くの「書いた落語」が納められており、各演目の後に談志師匠の解説が載っているのです。

『たが屋』その解説のラスト1文、頭の中に “ガツン” という音が聞こえるほどの衝撃。

『たが屋』は、強者に対する弱者の抵抗なんて浅いもんじゃァない。むしろ花火観客という、大衆の無責任さに落語の凄さがある。だとすると、たが屋の首ィ斬ったほうが自然であろうが…。



ああ、私はあの時両国橋にいて、権力に立ち向かう同じような境遇のたが屋を、それに投げかけられるヤジを楽しんで、最後に死んでいくたが屋を笑っていた、無責任な大衆の一人だったんだ。現代、名無しがネットに書き込む無責任な誹謗中傷コメント、コレと本質は何も変わらない。私の中にもそういった部分があるのだ。

読んだその夜は、なんだか眠れなかったなァ…。


と、こんな落語の話を今吞み屋で出逢ったお隣さんと話せるわけもないのです。

談志落語、イイヨー。聴いてみなされ。

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