⑫ババア論 その5 ~撲滅~ 3/3
ババア撲滅のためと、先のようなババアの忌々しき所業をこういったSNSに書いたところで、まずSNSをやっていないだろうからババアの元には届かないだろう。
もし、SNSをやってたとして何かの流れでこういった記事、つぶやきを目にしたところで “自分はそうではない” と思うだろうし、そもそもヤツらに理解できない事だ。
では、ババア撲滅は不可能なのか?
ヒントとなる出来事があった。
去年、僕の実家 北海道から母が東京に遊びにやって来た。どこどこが見たい、どこどこに行きたいと言う母を連れて都内各地を案内して回った。
僕の母について言うと、ババアには取り憑かれていないと思う。公共性を考えた行動をできる人かなと。まあ、母が自身の友人たちと一緒にいるところを見たことが無いので、集団になった時にどうなるかはわかりませんが。
そんな母と東京の街を歩いていた時、それは起きた。
込み合うデパートの通路で母は何かのパンフレットのようなものを見つけ、その場に立ち止まりそれを手に取った。そうなると、後ろから続く人たち、前から来る人たちの流れは母を避けるような流れとなる。「おいおい」と思いながら見ているとそこには、その流れに乗れないチビッコがお父さんお母さんに置いていかれ、一人たたずんでいた。
これはダメだ。
後ろノールックの完全なるババアのプレイ。
「ちょ、後ろつっかえてるよ!」と僕はすかさず母に注意。母は少年に「あら、ゴメンね」とその場を避けた。少年は走ってお父さんお母さんの元に駆け寄っていった。
この事例は、広い北海道から狭い東京に遊びに来ていて、その土地に慣れていないということから起きたことでもあるのだが、やはり自分の興味あることだけに集中して周りが見えなくなるのは、ババアが心に忍び寄ってきているということであり、その先には自身が完全にババアになってしまう未来が待っている。
この出来事に僕はババア撲滅のヒントを感じた。
人がババアになってしまうのを防ぐのはやはり “身内が注意する” ということが一番効果的なのではないかと。ここまで多くの例をあげてきましたが、見ず知らずの人に注意されたところで自己中心の極致であるヤツらにとってそれは “注意” と捉えることができない。
この項の初めに書いた “SNS” について。このヒントを踏まえるとSNSにも可能性はある。
僕は電車などでババアwith荷物で座席を2つ占拠しているババアを見つけた場合、その荷物とババア(顔は切れるように)の写真を撮って「嫌いだわー」とつぶやきを添えてTwitterなどに上げるようにしている。
先のとおり、ババアには届かないのでは?
いや、それを見たそのババアの子供に賭けるのだ。その荷物とババアの服装を見たTwitterアカウントを持った、そのババアの子供にリツイートなどで届くことに賭けるのだ。
「お母さん、こういうのやめなよ・・・」と注意してくれることに。
“家庭という水際での阻止” ババア完全撲滅への道はこれしかない。
そうだ、忘れることのできない1人の勇者の話をしよう。
それは僕の仕事先の先輩だった人のことである。あれは暑い夏の日の出来事だった。
その日はその先輩の家で呑むことになっていた。仕事終わり、一緒に電車で先輩の家の最寄り駅に向かった。電車はやや空いていて、僕らはあいていた席に向かい合うように座り、各々スマホを見たり音楽を聴いたりしながら、電車が目的の駅に着くのを待った。
すると、途中の駅で先輩の隣の席があき、その駅で乗車してきたババアがグググイッとその席に座った。短気な先輩はそのババアをチラリと睨む。
暑い夏の日だった。
ババアはカバンから扇子を取り出し、自分の顔を扇ぎだした。その風下には先輩がいる。2、3扇ぎしたところで 先輩「おいババア!香水臭せぇんだわ!扇子しまってくんねぇかなぁ!」
僕は “GoooooooD!!!!!!!”と過去最高の力を込めてサムズアップを先輩に向けた。
ちぎれるほどに立った僕の親指は、夏の燃える太陽を指していた。
「ババアじゃない人たちだけ!長生きしてください!」
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