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祖父の日記(サバン島抑留)034 本格的な作業開始・重労働・荒みゆく心

本格的な作業開始 七月五日

将校及高等官以上の軍属は今日からキャンプ屋外での本格的作業を命ぜられ、一行四十名二台のトラックに乗せられてサバン港へ出る。指揮するのはオランダ軍人で、優しい面長顔の青白い二十八、九歳位の軍曹だ。我々の中には現地語を解する軍属も多かったので、オランダ人の命令、指示は一応判ったが、荷物の積載や積下ろしに急を要する時咄嗟に鳴る彼の言葉が判らず、一向に要領を得ないことが多い。赤茶色の髪、青い眼、茶色の瞳、彼が何か言う時、我々は彼の眼を見る。ところが日本人の黒い瞳を見慣れている吾々にとっては、彼の茶色の瞳孔が不思議に思われて、何か現実離れした、西洋人形の目を見る様である。今相手から自分が目凝められている実感が湧かないで、彼の怒鳴る声にハッとし、オヤ!人形の目ではない、と思い直すことが度々であった。あの茶色の瞳は、生きた人間の瞳として、自分には奇妙な錯覚を抱かせ、このことを同僚に話すと、同僚達も小生と同じ印象を持っていることが判った。 

自動車の上に背中をまるくして
       苦役に出でぬ港の町へ 
裸の背汗の流れて吐息して
       今日も波止場の風に吹かれぬ 

重労動 七月六日

今日の作業は、サバン島元警備の日本海軍が残した砲弾類の処理だった。草叢の中に積まれた八百キロ爆弾をトラックへ搭載するのだ。
地面からトラックに厚板を渡し、此の上を爆弾を転がし車台に押上げる。爆弾には中間に飛行機から吊る吊環があって、之が転がすのに邪魔となった。又、弾頭と尾頭の太さが異うので平均に転がって呉れない。爆弾など扱い慣れない吾々は、汗を流してこの代物に組付いた。爆弾は重いから、力を抜けば此方へ転んで来るので危ない。作業する者の気合いが一致しないと仕事は仲々うまく進行しない。苦しい為に力を抜くと監視兵は怒鳴りつけ足で蹴る。その上赤道下の灼熱の太陽は、此の鉄製の黒い爆弾をピリッと手が焼けるのではないかと思う程熱く照りつけた。此の為爆弾から伝わる熱気は吾吾の発汗をより以上に促進させ、互に苦しく吐く息と、汗に汚れた着衣と体臭が身辺にまつわりついて、正に苦役という実感がピッタリだった。 
只、四十才以上の軍属は此の重労働には相当応え、若い我々に比して一入哀れを催すのをどうすることも出来なかった。此の軍属達は日本に居れば県知事相当の人、又は現役の判事、検事のそうそうたる人達なのだ。それが断うして汗を流して体力以上の苦役に従事し、砲弾や爆弾に取り組む姿は、戦争の生んだ悲劇の一齣というて見過したままで良いのだろうか。
よく田村判事が、作業整列の時後に立って裸姿の小生の肩を軽く叩きながら、 
「大尉どの、良い体格だねえ」 
と冗談とも本当ともつかぬ言葉を洩らしていたのは、他人の躰の頑強さを羨むより、作業の苦しさの為、強大な力を要する苦役の在り方を振り返っての溜息であった様に思われる。 
特に巨大な八百キロ爆弾は、一人の力をあらん限り出し切って押してもビクともしなかった。此の一個の爆弾に汗まみれの吾々がヨタヨタと酔った人の様に組付き、しわがれた掛声をかけて車上へ押上げる姿は正に亡者であり、地獄図絵そのものだった。 

撥ね返す海のおもての陽のいろに
       今日も激しく身体つかるる 

荒みゆく心 七月七日

爆弾積載作業は、渾身の力をふり絞り且危険なので、各人は誰ともなく敬遠し、勢い此の爆弾に組付いても力の入らない個所へと廻ろうとするのは人情である。 
「彼奴は若いくせに力惜しみをしている」 
「彼奴は老令をかさにしてずるけている」 
等、言わず語らずとも其の動作に現われた。そしてその結果は作業能力の低下と、労費時間が多くなる。 此点監視兵は見逃がさなかった。そして足で蹴ったり、ビンタを張ったりした。 
この繰返しで吾々の心は荒んでいく。この苦役に服する人達は皆同じであろう。之とは別に、連合軍の戦犯容疑の調査はどの様に進行しているのか一向に判らない。そして予想外の人達迄が逐次検挙拉致されて行った。強制労働に依る肉体の苦しさと、何時何んな戦犯容疑で検挙されるか知れない不安は、此のキャンプ内で、常にオドオドした弱い目の光、やせこけた頬骨の尖った人達の数を増し、生きて行こうとする一つの執念が残り、何んとかして戦犯容疑の黒い魔手から逃れようとするあせりが見え始めた。その上食糧の制限は絶対カロリー量の不足を招来し、極度に吾吾をやせさせて餓鬼道へ追いやり、救け合う気持などうすらいで、只生きんが為にお互が醜く争う素因を生んで行くのではないかと危ぶまれる。

荒みゆく心を静め和やかな
       花に祈らむ野路菊の花 
岸を打つ波の響きのなつかしく
       佗みし儘故国を想ふ



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