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祖父の日記(サバン島抑留)041 演芸会・みどりいろの海

演芸会 八月三日

秋元という元ラジオの放送記者が軍属として此処に抑留されてい た。 
かつて自分がものにした野球実況放送を得意の声で今日の演芸会 に再現して見せ、皆を喜ばせてくれたが、此の外、ガマの油売り、 詩吟、剣舞、民謡、踊り等、多勢の人がいろいろとかくし芸を披露 してくれた。そして捕われの身もすべてを忘れて過した。 
楽しい演芸会が終ると直ぐ押寄せて来る空腹感、その上諦めきれ ない戦犯という暗い運命の波が、心の隅からヒタヒタと我々の胸を 冷たく越えてゆく。 
とらわれの人々寄りて星の夜に 演芸会見る楽しさもあり

八月四日~八日

腹這ひて作業なき日はのびのびと 
       日陰の部屋に寝そべりて見る 
カわざつづけて太る我が手指 
       曲げて伸ばして見凝めてみたり 
海荒れて浜辺の今日も白波の 
       泡立ち遠く運りつづく 
めし喰めば汗したたりて汁の実の
       塩辛き程の今日にありけり 
陽の落ちて夕月空にかかりたり
       黄色に近き色淡くして 
乾パンを噛みつついねる此頃の
       くらしに慣れし吾身となりぬ 
一掬の水の尊さ顔洗ひ 
       布切れ洗ふくらしに慣れぬ 
風の無きサバンの町は静かなり
       落葉松に似た木蔭に寄れば
一粒の米を探して喰む我は
       苦役に服す捕われの人 
遠い雲青い空かな野路菊の
       面影追へばゆめ見る如し 
椰子の実の固さに慣れて噛りつゝ
       額の汗を右腕に払う
ひるねせば海の面のまばゆかり 
       椰子の木立の間かすめて 
うねり立つ波に泳ぎてわずかなる 
       ひまによろこぶ我らなるかな 
うちぬれて庇のかげに憩いけり
       珊瑚礁砕く構内作業に
つる草の樹の下通る藪の道
       垂るる露冷え頰に当りて 
血まめ出来掌ひろげ見つめけり
       まだわが片手やわらかくして 

みどりいろの海

兵器投棄作業で小舟に乗る。
岸辺から沖へ出る時、光線の具合で海の色がまるで緑色に見える。此の深い海は灼熱の太陽の下で少しも水の温度を変えず、兵器を投げる度毎に上る飛沫が冷たく我々の肌を濡らした。舟の上からいくら瞳をこらして海の底を覗いても、深い海の底は見えず只みどり色の冷い色が一様に眼の中に拡がってくる許りだった。 
そして此のみどりいろの海が静かであればある程、心の波はグラグラと揺れて、日本へ帰れる希望を失った吾々には、此の深い海の底へ引きずり込まれる様な気がした。  

ひとところみどりに光る海なりき
       兵器を捨てる小さき舟の上 




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