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龍が如くドラマ版批判は本当か~『原作リスペクト』を考える~
龍が如くのドラマ版が、原作ファンから非難轟々である。
「原作リスペクトを感じない」「原作が冒涜されている」「キャラクターが大きく改変されている」とのこと。
個人的には、このドラマ版は大変意欲的に作られており、想像以上に面白かったと感じているのだが、「原作リスペクトを感じない」の非難が多すぎ&やや的外れな印象を強く覚えた。なんなら、全6話を見ずの批判も多い。
リスペクトしてないというが、実際には、一般ユーザーとは違う龍が如くのリスペクトの仕方をしただけでは?と見て感じたので筆を執る。
自身の背景
原作は1〜8プレイ済み
ドラマ版、6話視聴済み
よくある批判の内容
批判は、Filmarksやらそこら中にあるが、よくあるのは
原作リスペクトがない
改変がひどい
などいつもの実写化批判にくわえて、少し具体性のあるものを加えると
キャラの名前だけ使って、中身はほとんど違う設定
私の知っている桐生じゃない、風間じゃない、冴島じゃない、セレナじゃない、みたいな話
プロットがつまらない
などである。
原作リスペクトとは
そもそも、「龍が如くの原作をリスペクトする」とは何か。これに答えるのは意外と難しい。なぜなら、めっちゃ作品があり、多面的で多層的で、ファンによって大事にしている箇所が異なるからである。
ある人は、桐生一馬の人間性が好きかもしれない。ある人は真島かもしれない。ある人は、時折挟まれるコミカルさが好きかもしれない。重厚なストーリーが好きかもしれない。ヒートアクションかもしれない。神室町の雰囲気かもしれない。
龍が如く無印版がリリースされてから、20年の間で「それぞれの龍が如く像」ができているため、全員を満足させることなんて最初から無理なのである。
では最大公約数的な要素を抽出して、渋い男をキャスティングして実写化すればいいか。
否、その取組は、すでにやっている。そしてそんな評価されてない(filmarksのレビューを見る限り)
すでに原作をなぞった実写化をし、そんなにうまくいってないのである。それと同じことをドラマ版で新たにやる意味は何か。
きっとそんなことも考えて、龍が如くスタジオ代表の横山氏はこう説明している。
ワールドプレミア始まりました!
— 横山昌義 (@yokoyama_masa) October 21, 2024
そして10月26日(土)、一緒に1話目観ませんか?
よろしくお願いします!! pic.twitter.com/TkF1rihoKH
これまでの映像化や舞台化は、いかに龍が如くの世界観や設定を短く凝縮して表現できるかに挑んでいたと思います。
しかし今回のドラマが目指したゴールは真のリメイクなのではないでしょうか。
(中略)
新たな解釈による“完全新作としての龍が如く”を生み出して欲しいと願っていました。そしてそういうドラマが完成しました。 それが素直に嬉しかったです。
リメイクを考えたのだ。
ただ、リメイクなので、流石になんらかの龍が如くの要素を持ってくる必要がある。そこで何を持ってくるか。もっというと、原作のどの部分をリスペクトするか。
選ばれたリスペクト対象
制作陣がリスペクト対象としておそらく選んだのは、「心に穴が空いた者たちが、それを埋めようとする物語」や「家族(のような者達の)愛の物語」ではないだろうか。
実際、龍が如く(無印)においては、その傾向は顕著ではないだろうか。
桐生、錦、由美は親がいない。だから、兄弟のように互いに支え合うし、親代わりの風間をリスペクトするし、その後を追う。
桐生は親友が逮捕されるのを耐える勇気がなかった。それが、昔の友人の姿を失わせてしまった 。だからそれを取り戻そうとする。愛する人も失う。だから、その人が残してくれた娘を大事にする 。
錦も、親がいないなか、妹を失う。愛する人との関係も成就しない。桐生との関係も終わってしまい、格でも負けてしまう。だから、とにかく極道内で大きくなって、畏怖される存在となり、自己証明しようとする。
総じて、「心に穴が空いた者たちが、それを埋めようとする物語」と解釈できるのである。
だからこそ、制作陣も一番心に穴が空いた錦は丁寧に描いているし、賀来賢人がとても気合の入った演技をしている。
これはある意味で、大変に原作をリスペクトしているとも言える。
では何がだめだったか
龍が如く陣が、自分たちのファンの多様な龍が如く像をとらえきれず、また彼らが想像している以上に、ファンたちの実写化への不信感が強く、「龍が如く像」に対する思いも強いことを読み違えたのではないだろうか。
真島などもファンサービス要素もいくつかあったが、それだけでは不十分だったのであろう。
原作改変は悪なのか
私としては、20年もたったのだから、新たな解釈が生まれてもいい頃合いなので、もう少しファンも寛容になってはいいのではないだろうかと思う。
『シンデレラ』然り、『赤ずきん』然り、『ももたろう』然り、物語というのは時間をかけながら少しずつ時代に合わせて改変され、そのまま定着した例は創作の世界ではあちこちにある。
改変抜きにして、プロットがつまらないという原作ファンの声も聞くが、そういう人は冷静になって龍が如く(無印)のプロットを見直したほうが良い。あれもいいけど、ドラマ版をこけにできるほどのプロットではない。
いくつかの面においては、むしろドラマ版のほうが自然にとらえられたり、錦が絶望していくさまなどは、原作より説得力があると感じる人がいてもおかしくない描写ができている。
そういった側面に言及するレビューが大変に少ないのは、いかがなものかと思っている。
まとめ
これはリメイクである。そしてリメイク故、どこをコアとして選ぶかが制作陣に委ねられた。
選ばれたのは、「心に穴が空いた者たちが、それを埋めようとする物語」。
ファンによる龍が如く像は、多様&強いため、「解釈違い」が辛いのがわかる。だか、制作陣の選択も、それはそれで納得感のある選択である。
賀来賢人と河合優実の熱演もあいまって、一見の価値はあると思うし、「心に穴が空いた者たちが、それを埋めようとする物語」という観点で見ていただければ、見え方が変わるのではないだろうか。
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![村上僚](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/19788924/profile_dc0fd41a2134c3773e33552d1f75bc23.png?width=600&crop=1:1,smart)