見出し画像

1人で生きていくなんて、もう絶対言わない。

俺1人で生きるから。人に干渉されなくないの。
京都にでも、住もうと思う。

12歳の少年は、そう言い放った。

そして12年後の今、僕は京都にいる。

庭

1人で生きていくなんて、もう絶対言わない。

そう心に決めた。

人間不信。

鞍馬山

中学校に馴染めなかった僕は、人間関係は利害関係で成り立つと理解をしていた。

人間は自分の快楽のために、他人を利用し、価値の高い人間は、周りから評価され、価値のない人間は淘汰されていく。

そして、僕は、後者の人間だ。
だから、他人は信用できない。

そう信じて疑わなかった。

同じ人間なのに、自分より才能と容姿に恵まれただけで、偉そうに生きている同級生と、年を重ねているだけで偉そうに語る大人が全員嫌いだった。

自分に才能がないことも自覚していた。

他人の成功法則が役に立たないことは十分に分かっていたし、実際そうだったし、それで何度も傷ついた。

だから、1人で生きるしかなかった。


1人でも、生きていける。

夕方の祇園

12歳で家出を誓った少年は、その目標に一途だった。

1人暮らしをするために与えられた条件として、

・国立大であること
・通学圏外であること

を与えられると、真っ先に志望大学を”京都大学"に決めた。12歳の少年が知っている国立大学なんて、3つくらいしかなかった。

”京都大学”に進学する人は、公立中だとしたら、大体学年No.1だろう。普通にテスト勉強をしても、学年No.1は先の先で、公立中のクラスで5番以内ですら、遠かった。

頭が悪いから、戦い方を変えるしかない。

そう察知した僕は、常識を信じることを辞めた。

学校の先生は無視し、過去問と脳科学と心理学の本を買い漁り、”1人”で試行錯誤を重ねたら、成績は爆発的に向上した。

やっぱり大人は信じられない。俺が正しい。

1人で生きていくことに、確信ができた。そこから先の人生は、何もかも、1人で意思決定をしてきた。

自分の好きを叶えるために、

最高峰の学歴(京大への進学)を、捨てた。
得意な理系を活かすのも、捨てた。
大手企業や公務員の安定も、捨てた。

その分、やりたいことは全てやってきた。

就活を境に、周りの評価も変わった。

・中学から自己分析をしていること
・中学から1人でPDCAを回していること
・中学から大きな挫折を経験していること

は、答えのない資本主義の市場において、明らかな強みだった。

1人で積み上げてきた財産は、大きなアドバンテージになり、仕事で成果を出すのは、今までに比べて難しくなかった。

俺は自分の力で生きていた。

そんな確固たる自信があった。


京都の夜の事件簿。

河原町

人間不信も治り、ある程度の自信と幸福を手に入れた僕は、次の目標をゆっくり考えるべく、かつて憧れだった街、京都へ来ていた。

その夜は京都に住む友人に、おすすめの店を紹介してもらい

・遠くの人と会える喜び
・鴨川の綺麗な夜景
・頂いた予想外のプレゼント

も相まって、宿に着くころには、すっかりと多幸感に包まれていた。さて、これから人生を振り返ろうか、、、

そこで、事件は起きた。

なんでこんなに、幸せなんだろう。

気付けば人間不信は治り、社会的な評価も昔よりは得られて、当たり前の日常を楽しめるようになった幸せが溢れてきた。

ふと、友人との会話を思い出す。

俺「この5年は本当に楽しかった」
友「なんで急に変わったんだろうね」
俺「運がよかったんだよね」

思えば、その前の5年は、もっと努力していたけど、幸せを感じることなんて、ほとんどなかった。

この5年は、大した努力もしてないけれど、「腕を振れば早く走れる」かのように上手くいくことばかりだった。

あれ、おかしいな。
本当に運なのか?

違う、違う、運じゃない。
サプライズで貰った手紙を読んで着想した。

手紙

何もなかった俺はここ5年間、周りの人に引き上げてもらって、ここにいるんだ。

自分の力で生きてきたなんて、大嘘だ。

溢れる多幸感の意味を、「俺の力」だけの因果関係で説明をするのは、無理があった。受け止めきれなかった。

その多幸感は、今までお世話になった方々への感謝へ、即時的に変換された。

人間関係における「ありがとう」の大切さは、何度も説いて、何度も実践してきた。

でも俺は、心の底から生まれる「ありがとう」の意味は、理解していなかったのだと、初めて知った。

今まで、こんな当たり前のことにも、気付けなかった。


やっぱり1人では生きていけない。

夜の祇園

改めてここ5年間は、人に恵まれていた。

自信がなかった僕が、自信を持てるようになったのは、肯定してくれる優しい人が周りにたくさんいたからだ。
楽しく走り続けられたのは、「こんな人になりたい」と思わせる素敵な人が周りにたくさんして、エネルギーを貰い続けられたからだ。
チーム活動や仕事が楽しかったのは、自分の才能を信じてくれて、何も言わずに任せてくれた先輩・同期がいたからだ。

人の才能なんて、急に変わらない。
にもかかわらず、

何をやっても上手くいかなくて、自分の才能を責め続けた日々。

何をやっても上手くいって、もしかして才能があったのかも、と思う日々。

に変わったのは、自分が自分らしく活動できるように、サポートしてくれた周りの人たちのお陰だと、やっと気が付けた。

そう考えた時に、今の幸せな状態は、自分1人の力で作られたのではなくて、数多くの人の存在の力を借りて作り上げられたのだと、実感した。

というか、自分の力なんて1%もない。

1人で生きていけるなんて、大嘘だ。

1人で生きていくなんて、もう絶対言わない。


これからの生き方。

嵐電

京都の夜で、これからのキャリアプランを考える計画は、脆くも崩れ去った。

それより、大切なことに気付いてしまった。

早く行きたいなら1人で行け。
遠くへ行きたいならみんなで行け。

奇しくも、キャリアプランでは、リーダーとして早く力を付け、先に進んでは周りの人を牽引し、誰かを導く存在になるための道筋を、ずっと描いていた。

でも、それは違うのかもしれない。

どう考えても、これまでの道のりは、自分の力ではなかったし、周りの人に支えられて進んできた。これから自分1人で突き進もうだなんて、いい度胸だ。

俺は、もっと遠くに行きたい。

そのために僕が設計する必要があるのは、キャリアプランではなく、生き方だと思った。

傲慢で、自信家で、そのくせ小心者な性格はすぐには変わらないけど、心からの愛を持っている人が周りにたくさんいる今、本当に意味で他人のことを思って生きれる日が近づいた気がする。

そうなった時、きっと、もっと綺麗な景色が見られるはずだ。

資本主義の歪みが露わになった世の中で、これから人間が価値を残していくのは、論理と力でなく、感情や人間らしさだと思っている。

明日から、そんな生き方をしよう。

1人で生きていくなんて、もう絶対言わない。


消えない炎の心。

伏見稲荷

1人で生きていく限界を知ったのは、1人で生きることを突き詰めてきた強固な心があったからだと、回想する。

何度も水を浴びて、消えそうになった。
時には周りの草を燃やしてきた。

それでも今、その炎は、感謝の電気信号を送るエネルギーとして、居場所を見つけた。

お前は自分に何もないと思っているけど、特別な「消えない炎の心」を持ってるから、絶対これから上手くいくよ。だから、間違ってもその火を消さないでね。

12年前、家出を決意した少年の「消えない炎の心」に、僕は感謝を伝えたい。

<言葉の企画:第5回課題>
あの感情に今、名前を付けるなら。


サポートだなんて必要ありませんので、よかったら反応いただけますと嬉しいです!