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許された子どもたちを見て。
2020年公開の「許された子どもたち」
※ネタバレ注意
(簡単なあらすじ)
不良少年であった市川絆星(きら)は同級生の倉持樹(いつき)をイジメていた。
ある日、そのイジメがエスカレートした後に殺してしまう。
その後、警察へ自供するも母親の真理(まり)の説得により否認へ。
その結果、少年審判でも「不処分」が言い渡された。
世論はその決定に反発し、樹の遺族は民事訴訟で対応することを決めるが…
この映画は加害者家族の側目線で描かれている。
そのため、映画の口コミ欄は総じて胸糞やクズ親子だのと言ったものが多い。
確かに、強い言葉で非難することは容易だ。
だが、それで解決するのだろうか?
この映画はそう問いかけているように感じた。
この映画では結果として更生せずに社会へ野放しとなった非行少年とその家族が描かれている。
見ていて問題だと思ったのは主に2カ所だ。
1つめ:母、真理の抵抗
最初に事件が発覚し、警察が来た際に母の真理は絆星を庇っていた。そして、嘘の供述までして絆星が不処分になるよう動いた。
確かに、親が子を信じる気持ちは重々にしてわかる。
まさか、我が子が人の命を奪っているなんて想像もしたくないだろう。
しかし、子どもを自由の身にさせてあげることが返って子どもを不自由にしている。
例えば、母親が自供を変えず正直に話し、絆星の罪が確定していたら家庭裁判所では少年院送致が下されただろう。
少年院に行くことで自分の罪についてしっかり向き合う時間を作れ、ことの善悪を学べたかもしれない。更生することができたかもしれない。
母親が嘘の供述をしたことで絆星の権利が奪われたのだ。
2つ目:ネット世論
映画の世界だけでなく現実でもよく行われるのが特定そして晒しだ。また、付随して誹謗中傷もある。
特定や晒し、誹謗中傷を行う者は自己の正義感と満足だけで行動しており、一度始まると収拾がつかなくなる。
悪であるとされる者を叩くのは快感がすごいのだろう。
いくら叩いても反撃してこないし、叩くのは正義によるものだし、叩くことで世の中が守られていると感じるからだし…
では、それって正しいのだろうか?
この映画内でも出てくるが大勢が一人を潰すのはイジメと何ら変わらないのではないか?
仮にその一人が犯罪を犯したとしてもそのものを裁くことができるのは法律だけではないか?
近年よく起こっているのが、週刊誌やネット上のインフルエンサーによって悪人とされた者が晒され、私刑に処せられる現象だ。
晒す者も、私刑を行う者も皆、正義で行っているつもりだから一向に収まらない。
一向に収まらないため皆、「死」を選んだりする。対象者の反応はより過激になっていく。
まとめ
この映画は実際の事件を元に作られたという。
昨今、少年法を厳罰化しろや廃止しろといった論調は多い。
しかも、言いたいことが分からないでもない。
僕も数年前であれば同様の意見だっただろう。
でも、少年法を無くし、例えば映画の絆星のように人を殺した少年に対して通常の刑罰を与えたとする。
世の中は安堵し、平和は保たれたと感じるだろう。
だが、当該少年は何も分かっていないのだ。
何もわかっていない少年に懲役刑を与えても不満しか残らず、何の反省にもつながらない。
だからこそ、少年院でしっかり再教育を受け、善悪や反省を促すべきだ。
この映画を見て、少年法についての講義を受けても分からなかった少年法を真に受けさせる意義、必要性がよく分かった。
配信状況
U-NEXTなどで見ることができます。
内容が内容なだけにオススメはしません。
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