泣いちゃだめなのかな?
とある人(以下: Kさん)から、こんなことを尋ねられた。
「泣いちゃだめなのかな?」
すぐさま自分は「そんなことないよ」と答えたのだが、自分の中でその根拠は?と疑問に思ったので、考えながら書き起こすことにしてみた。
まず状況としては、Kさんが上手くいかなかったことや落ち込んだ事があって、ご家族に泣きながら電話をしたところ、「いい歳してメソメソするんじゃない」的なダメ出しをされた、とざっくりこんな感じである。
Kさんは泣くことが度々あるようで、泣きながら誰かに話を聞いてもらう事がストレス発散になるらしい。
「泣く」という行為自体は、私には何ら問題のない行為に思える。
犯罪でもなければマナー違反、モラル違反でもなく、単なる「感情の昂り」だと思うからだ。
では、なぜダメ出しをされてしまったのか。
Kさんのストレス発散方法である「泣きながら誰かに話を聞いてもらう」という行為を細分化すると、「泣く」行為と「話をする(聞いてもらう)」行為の2つが掛け合わさって構成されている。
ここで言う「泣く」はやはり「感情の昂り」であると思うので、Kさんの正確なストレス発散方法は「興奮状態で他人に話をする(聞いてもらう)」ことと言い換える事ができる。
つまり、とても嬉しい事があった時も、とても辛い事があった時も、そのままのテンションで起こった出来事や感じたことを他人に話したい(話すことで落ち着いたり、心が前向きになれる)ということなのではないだろうか。
そして、「話をする(聞いてもらう)」という行為には、当然話を聞いてくれる「他人」の存在が必要不可欠である。
自己完結しているストレス解消法ではないため、やはり「他人がどう思うか」は重要な判断要素となり得る。
私は、Kさんのストレス発散方法がダメ出しをされてしまった理由は大きく2つあると思う。
1つ目は、他人から「感情のコントロール」ができていないように見えてしまっている事だ。
「泣く」という行為自体は決して悪いことではないと私の意見を先程述べたが、ここに対して真正面から反対してくる人はそう多くは無いのではないだろうか。
「泣く」行為自体が悪なのであれば、既に世の中から映画もドラマも本も音楽も消滅しているはずである。
では、一体どんな「泣き方」が周囲の人達に良くない印象を与えるのだろうか。
それは、「感情のコントロールができていない」と他人に感じ取らせてしまうような泣き方が良くないのではないかと思う。
多くの人は、年齢を重ねるにつれて冷静さを身に付け、一時の感情に身を任せず、冷静に物事に対応できるように成長していく。
幼い頃は欲しい物が買ってもらえなかったり、お腹が空いていたり、好きなおもちゃやゲームを取り上げられたりするだけで、すぐに泣き出してしまったものである。
大抵の人は皆少なからず共感できる部分があるのではないだろうか。
そんな幼少期から、学校や社会に出て、他人との関わりが増えていくなかで違いを受け入れなければならなかったり、何事も自分の思うように行くわけではないという事を知り、思い通りに行かなかった時に泣くだけでは何も解決しない事に気が付き、泣く以外の方法でどう対処すべきかを学び、自分の感情をコントロールする術を身に付けていく。
つまり、大人が「感情のコントロール」ができていない(あるいはできていないように見える)状態で泣いていたり暴れていたりするのを見ると「大の大人がみっともない」「いい歳して情けない」というような感覚に陥ってしまうのではないだろうか。
だから、Kさんが泣きながらご家族に連絡した時には「そんな歳にもなってまだ感情の一つもコントロールできないのか」という所からダメ出しに繋がってしまったのだと思う。
2つ目は「泣くタイミング」である。
そうは言っても、辛い事だってあるし、大人だって泣きたくなる事もあるだろう。
全く泣かないことが本当に良いのかと聞かれたら、私は甚だ疑問である。
他人と関わりを持つ上で「感情」はなくてはならないものだと思うし、中々感情が表に出ない人は「つまらない」と言われてしまうだろう。
(実際に私がそうなのだが。笑)
「感情」とは喜怒哀楽と様々な感情を全て含めたものを指している。
嬉しい事があれば他人と共有できた方が良いし、悲しい事があれば他人が慰めてくれた方が立ち直りが早いだろう。
時には怒りの感情表現も大切かもしれない。
だが、日本社会においては、他人に「感情」を見せない事を美徳とする文化が存在しているような気がする。
電車で大声で電話している人にイライラしていても黙って堪える事が多いし、素晴らしい事を成し遂げて褒められても「皆様のおかげです」と喜びを素直に表に出さないのは日本ではよく見る光景だ。
「感情」とは少し異なるが、日本には「縁の下の力持ち」ということわざがある。
日の当たらない場所で人知れず苦労や努力をすることは良いことと捉えられているように、辛い事があっても気丈に振る舞ったり、人前で涙を見せない事が正義とされているような風潮だ。
Kさんの「泣きながら誰かに話を聞いてもらう」という行為は、言ってしまえば他人に自分の弱みを晒すような行為である。
日本人らしい発想で考えると、「泣く」と「話す」を同時に行うのではなく、セパレートする事が正しいとされているのではないだろうか。
誰にも見られないところで人知れず涙を流し、一通り自己解決して、ある程度落ち着いたタイミングでようやく他人に話す。
これがKさんのストレス発散方法が周囲に受け入れられないことの根源にあるのではと思うのだ。
上記の2つの理由が、今回Kさんがダメ出しをされてしまった大きな理由となっているのではないかと私は考える。
結論、Kさんの「泣いちゃだめなのかな?」に対する私の「そんな事ないよ」という返答は間違ってはいないと思う。
ただ、もし「泣きながら誰かに悩み相談しちゃだめなのかな?」と聞かれていたら、「だめではないけど…」と言葉に詰まっていたかも知れない。
自分のありのままを曝け出せるのは、私は良いことだと思う。
その方が他人に自分を深く理解してもらえるし、弱みを見せ合える仲の方が関係性としては良いと思うからだ。
ただ、何事においてもそうだが、世の中の全ての人がそれを理解して受け入れてくれるわけではない、という事は分かっていなければならない。
人によって違う考えや価値観を持っているのは当然の事で、育った環境や出会ってきた人、影響を受けた作品などによっても変わるだろう。
それを理解し、相手を受け入れた上で、自分を表現して行ければ、きっと素敵な関係を築けるのではないだろうか。
もちろん、時には妥協して相手に合わせてあげることも必要だし、ここは折れないという強い意志も必要である。
完全に分かり合える人間はいない、分かってくれたらラッキーだ、ぐらいに思っていれば、少しはKさんの心も軽くなるのではないだろうか。
私には泣きながら話しかけてくれて構わないので、もし今度泣きたい時は、私にご一報頂ければ幸いである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?