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【プロトタイプ版】老害列伝② 出井 伸之
本ページにおける老害の定義:
社会的に高い地位に上りながらその地位に相応しい言動ができず、立場を退くのが公の利益になるのに、自ら退くことができない人・振舞のこと
つまり自浄作用がなく、地位にしがみついた人物のこと
出井 伸之の略歴
出井 伸之(いでい のぶゆき、1937年〈昭和12年〉11月22日 - 2022年〈令和4年〉6月2日)は、日本の実業家、企業経営者。
ソニー株式会社社長、同社最高経営責任者などを歴任したのち、クオンタムリープ株式会社を創業、代表取締役会長を務めた。
大雑把に言うと 1995-2005 でソニーのトップだった人(社長: 1995-、CEO(兼任): 1999-2005、会長: 2000-2005)。
出井 伸之は老害だったか
老害判定のための主な論点は以下の3つである。
そもそもなぜ社長に…🤔
ソニーショックと『プロフェッショナル経営者』
後継者指名
そもそもなぜ社長に…🤔
そして95年3月22日、運命の日がやって来ました。臨時取締役会が開かれて、大賀社長が後継者に私を指名したのです。
発表の記者会見では、大賀さんは私を選んだ理由を「消去法です」と明かしたほか、「出井君一人で社長業ができるとは思っていない」と集団指導体制を示唆するなど、納得できないでいる社内と世間に向けての説明に苦慮している様子でした。
こんな紹介のされ方をしたらやりにくいことこの上ないと思うが、、そもそも大賀社長が納得してないように思える。
しかしいったいなぜ、大賀社長はこんな紹介をしたのか?
このあたりの事実関係は永遠にわからないと思うが、興味深い記事があったので引用する。
その故盛田氏の妻、良子氏が3月14日死去した。享年85歳。ソニーの古手役員やOBたちの間では「ミセス」が通り名だった。1982年から95年まで社長を務めた大賀典雄氏は、しばしば良子氏の呼び出しで東京・青葉台の盛田邸を訪れた。良子氏に詰問され不機嫌になって本社に帰ってきた大賀氏を、何人もの社員が目撃している。
95年に社長に就いた出井伸之氏は、良子氏の覚えがめでたかった。欧州に留学していた盛田氏の長男と長女の面倒を見たことから、盛田家と家族ぐるみの付き合いに発展した。盛田氏の長男の妻は、出井氏の従兄弟の娘である。血のつながりはないが、出井氏は盛田ファミリーの一員と見なされ、「盛田家の家庭教師」と言ってはばからないソニー幹部も多かった。出井氏が社長に就いたのは、良子氏の強い意向が働いた結果だといわれている。05年、出井氏が後任に指名したハワード・ストリンガー会長兼CEOへの申し送り事項の中に、「良子氏をリスペクト(尊重)せよ」という内容が入っていたとされる。
この記事だと、出井が社長になったのは良子夫人の意向であり、その理由は創業家に近い存在だったから。そしてその決定に大賀社長含むソニー社内は納得がいっていなかったのではないか。
いかにもありそうな話である。真実はわからないが、もしそうだとしたら問題があるだろう。この良子氏はソニーの取締役ではない。大株主ではあったが、特定の大株主が現役社長を呼びつけて次の社長を事実上、指名するようなことがあっていいのか。
もっとも出井は、自分が抜擢された理由をプロフェッショナル経営者だからと言っている。
私はソニーで初めて、ファウンダー世代ではない経営者、つまり「プロフェッショナル経営者」として抜擢されたわけです。
一般的にプロ経営者(この表現もちょっと変だが)というと、社長として会社を渡り歩く人のようなイメージがある。出井はソニーの生え抜きで、一般的な意味で考えると変な感じがするが、しかし創業者と経営者では必要なスキルが異なるというのはわかる。
それでは、出井は本当にプロフェッショナル経営者だったのか。
ソニーショックと『プロフェッショナル経営者』
経営者時代の出井の動向は様々で(たとえばラスベガスでのイベントについては批判的に語られている)賛否両論はあるようだが、いずれも老害というには微妙な話だ。
企業戦略の常識に照らせば、やたらと端末の数が多いというのは決定的におかしかった。コンシューマー向け製品を扱う会社が新製品を発表するときには、顧客(あるいは自社の営業担当)を混乱させないように、できるだけプレゼンテーションをシンプルにしようとするものだ。通常は特定の分野ごとに一つの製品しか出さない。今や伝説となった初代ウォークマンでソニーが採ったのもまさにこの戦略だった。しかし今回は一つではなく二つの、それもそれぞれ異なる独自技術を使ったデジタル・ウォークマンを発表した。
では何が重要なのか?それはソニーショックとその対応である。これこそが老害判定に重要である。
私は、ソニーにバランスシート重視、キャッシュフロー重視の経営を導入しました。しかし、一般の株主の方々に対して、従来からの経営指標である損益と、バランスシートやキャッシュフローとの関係を説明し、時には短期的な損益を犠牲にしても健全なバランスシートを保つことが会社にとって重要であるということを、この時点までに十分メッセージとして伝えられていなかった面はあるかも知れません。実際に、あの頃は在庫の引き締めに格別力を入れており、市場や為替の動向を見ながら、かなり厳しく在庫調整や生産調整を行っていました。バランスシートを健全化させるために生じた損益へのマイナスの影響が、当初の予想以上にきつく四半期決算の数字に出てしまい、あらかじめ発表していた年間予測との乖離が大きくなってしまったのです。
ともあれ、ソニーショックで株価を急落させ、株価評価に基づく企業価値と、信頼感やブランド力を毀損した、という批判を私は甘んじて受けました。株価的には確かにその通りだからです。また、この年の4月24日の記者会見で、「金融部門を除く事業で売上高営業利益率10%を目指したい」と口にしたところ、この数字が一人歩きしてしまい、その後に大きな批判を招く原因となってしまいました。社員の皆さんにもずいぶんと苦労をかけてしまったと思います。
しかし、私が10年間にわたってソニーにさまざまな仕掛けをこらしたすべてを総体的に見ていただければ、10年先に振り返って、そこに意義と価値を見出してもらえると信じています。
決算で期待値(専門家のコンセンサス)を下回ることは、経営者にとって最も避けるべき事態である。経営者の評価というのは、突き詰めてしまえば決算と株価しかないわけだからだ。
だから経営者は決算を何とかしようとする。時には勢いがつきすぎて、前回の西田のケースのように不正が行われてしまう。不正はもちろんダメだが、利益を出すためにみんな必死なのだ。
その決算で大コケし、株価が大暴落したというのに…出井の振り返りはあっさりしすぎじゃないだろうか?説明が不十分だったとか、そういうレベルの話じゃない。プロフェッショナル経営者がそれでいいのか?
しかし同時に考えたことは、出井はそもそも投資家の期待や決算、株価というものが、自身を評価する唯一の物差しだとは考えていなかったのではないか?…という仮説である。
つまり彼は創業家の後押しで旧経営陣の反発を押し切って社長になった。だから彼が常に意識するのは創業家からの評価である。創業家=大株主と言いたいところだが、盛田家の長男・英夫氏が手掛けた事業の失敗で、ソニーショックが起きた2003年時点では、盛田家は大株主ではなくなっていた可能性が高い。彼はすでに株価について大きな注意を払っていなかったのではないか?だからソニーショックもあっさりと起こせたのではないだろうか?
後継者指名
ソニーショックを受けて、出井は責任をとって退陣!…せずに、後継者選びに2年かけている。この点において、出井は(少なくともソニーショックが起きた2003年から退陣する2005年まで)老害だったと判定した。
責任を取るべき時にとれず、ダラダラと時間をかけてしまっては立場に相応しいとは到底、言えない。この点については議論の余地がない。
選ばれた後継者については、いろいろな議論が可能であるようだが、、それはまた、別のお話。
ソニーの誰かが東京から深夜に電話をかけてきたんだ。誰だったか正確には覚えていないよ。日本ではいつもそうだが、何度も同じような電話がかかってくるのでね。そこでCEOになりたいか、と聞かれたんだ」とストリンガーはのちに語っている。「どうかしているんじゃないか、と思ったよ。どうみてもおかしいだろう。彼らには繰り返しこう言ったよ。『私はあなた方が求めているような人間じゃない。日本語はしゃべれないし、住まいを日本に移すつもりもない』。二〇〇〇年の時点でこんな事態を予測した人がいたら、月に工場でもつくるような話だと言ってやったかもしれない
結論
出井 伸之は(少なくともソニーショックが起きた2003年から退陣する2005年まで)老害だった。このページではそのように判断しましたが、皆様のご意見はいかがでしょうか。
ご意見・ご感想などコメントいただけますと誠に幸いです。