論文紹介:ボランティア・スポーツ指導者のドロップアウトに関する社会学的研究 : 指導への過度没頭と生活支障の関連及びその規定要因について(松尾 他, 1994)

今日は、直近でご縁があった松尾先生の論文を読んでみました。私自身がスポーツと関わるきっかけとなったボランティア・スポーツ指導者に着目した論文で、読みながら過去を振り返ることとなりました。

読んだ文献

松尾 哲矢, 多々納 秀雄, 大谷 善博, 山本 教人, ボランティア・スポーツ指導者のドロップアウトに関する社会学的研究 : 指導への過度没頭と生活支障の関連及びその規定要因について, 体育学研究, 1994, 39 巻, 3 号, p. 163-175, 公開日 2017/09/27, Online ISSN 1881-7718, Print ISSN 0484-6710, https://doi.org/10.5432/jjpehss.KJ00003392027, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpehss/39/3/39_KJ00003392027/_article/-char/ja

要約

本研究は、日本の地域スポーツにおけるボランティア指導者のドロップアウト問題に焦点を当て、指導への過度な没頭が生活支障を引き起こし、それがドロップアウトにつながるメカニズムを明らかにすることを目的としています。
具体的には、指導者の社会特性、指導環境、指導意識などの要因が指導への過度な没頭度にどのように影響するかを調査し、生活支障との関連性を分析しています。また、ドロップアウトを回避するための要因についても考察しています。

特に関心を持った箇所

スポーツにおけるボランティア指導は主体的営為の要求が強く、かつ自由裁量の可能性の高い役割である。しかも、集団から要請される指導への役割期待は、明らかにされた期待認知度の高さからもわかるように、一方では指導者自身によって高く評価され、役割遂行の必要性が強く自覚されているにもかかわらず、他方ではボランティア指導という性格上、その役割期待は余暇の範囲内で完結すべきことを原則とするものである。このため、ボランティア指導という役割期待は、役割遂行に対する強い期待と余暇の範囲内での完結性を同時に要請されるという矛盾を有し、葛藤を引き起こす可能性を内在するものである。

家庭が協力的態度であると同時に、指導を継続することで、指導対象から強い肯定的サンクションを獲得し、指導者自身も高い満足感を覚えていることの結果として、高い役割評価がなされ、強固な役割観念を形成していることが明らかにされた。従って、指導者は、他者からの役割期待の実現のみならず、約6割がボランティア指導を生きがいとしているように、他の生活領域では充足され難い自己実現や承認欲求等を充足させることで自らの役割遂行を肯定的に評価する一方、「役割修正」位相レベルでは、より積極的・肯定的な方向に役割観念や役割遂行を変更し、時には余暇時間内で完結すべきという本来の原則を軽視したり、指導に伴う生活支障さえ容認する自己犠牲的態度の役割観念をも形成することになり、それらの結果として指導への過度没頭が惹起されると考えられる。

換言すれば、指導当初は主体的で相互的な役割形成が可能で、柔軟な対応ができ、また一定の役割距離をとることができたにもかかわらず、集団の継続化に伴う組織化・制度化、あるいは競技志向化の増大に伴い、ボランティアでありながら本来の意図とは異なる役割遂行に巻き込まれ、指導への過度な没頭が余儀なくされ、また他の生活領域とのアンビヴァレントな関係をも生起させることになっていると考えられる。

自分にとっての学び

私は学生時代卓球に打ち込んでいたのですが、それを支えてくれていたのは本論文で対象となっているようなボランティア・スポーツ指導者の方々でした。毎日夜遅くまで練習に付き合っていただいたり、試合会場まで送迎してもらった記憶が蘇ります。
当時は10代でボランティア・スポーツ指導者の方々のライフスタイルについて考えることは少なかったですが、年齢を重ねた現在は相当な負担をかけていたことに気付きます。
論文中には「指導への過度な没頭」という文章がありますが、それにより競技生活に打ち込めてきた自分自身がいるのも事実です。たまたまご縁があって読んだ論文ですが、私のスポーツとの関わりの原点を捉え直す良い機会となりました。

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