見出し画像

ギフトには、勝ち負けとかリターンはないけれど。



ギフトは時間を超えて流通させていくもの


ぼくたちは 美しいもの、魂が喜ぶことを大切な人やその周りの人へ分かち合いたくなるいきものです。だれかへのギフト(体験やケアを含む)をぐるぐる流通させてきたことで、ぼくらは社会をつなげてきました。

でもねえ。鈍感なんですよ。「誰かから」のギフトは本人はそのときは気づけない。ギフトを贈る側も、その昔 誰かからギフトをもらっていたことにハッとして、次にバトンをつなぐ気持ちで、また誰かにギフトする。

ギフトは、過去に遡らないと真には受け取れない。
ギフトは、未来にならないと真には相手に届かない。

ギフトは時間を超えて流通させていくからこそ、等価交換ではなし得ないような、投資用語で言うところのアノマリー(変異・異常)が起きる。それを ぼくらは こりゃ奇跡だー、と呼んだりする。でも奇跡に見えることは、遡って辿っても贈り手が見つからないような、名も無い誰かからのギフトなのだ。


カジノを増やしても、世に面白い揺らぎ(ミラクル)は起こせない。



ギフトの対義語はペナルティだとされています。

でもぼく個人的にはギフトの対義語はギャンブル なのです。スーパー短期間で利己的な不等価交換が ギャンブル 。長期間で利多的な貢献がギフト。ギフトをするとセロトニンがじわる。でもギャンブルのように興奮はできません。ギフトには負けとか勝ちとかリターンはないけれど、回り回って世に面白い揺らぎ(ミラクル)は起こせます。

30代以降のぼくらおとなは、たくさん受け取ってきたはずのギフトを思い出し学び直し手繰り寄せるしかない。

そのためには、ぼくらはこれらの態度が求めらるように思います。

・先輩や先人が失敗や流血をも重ねながら育んできた文化・芸術・精神資産(ギフト)へのリスペクトの感性
・その資産形成のプロセスの中で「不完全だったこと」「犠牲になったこと」「未完了なこと」に対して向き合い学習する理性
・これまでのギフトそのものは全肯定しながらも、未来世代にとってベストなギフトを残すために、時にこれまでのギフトに対してクリティカルに捉える柔軟な姿勢

100年前の人が見たら現代社会はミラクル溢れる夢の社会だろうし。

そしてあらためて。
世界にカジノを増やすよりサンタを増やすようなお仕事、していきたいなあ。


だから チビッコたち、ワカモノたちは遠慮なく今はたくさん大人や先人からギフトを受け取ってめいっぱい謳歌すれば いいのだ。


<あなたのためを思ってしてあげているのよ>
こういう偽ギフト族の輩に決して近づくではないぞよ。
その人、本当はギャンブラーかもしれないぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?