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2回目に見る夢 (海を夢見る人々の場所から)


ぼくらは叶えた夢を「もう一度」夢見ている


あなたはデジャブ(=既視感)を体験したことはありますか?
ぼくらの中にはたくさんの素晴らしい世界があり、時としてそれはふっとした時に顔を出したりするものです。

例えば。

自分のニーズ(欲求)が溢れてしまった幼児がつい暴れたり物を投げたりした時。すぐ目の前にいる大人が「そのムシャクシャした気持ちってきっとこういうことだよね。だったらこう言う風に解決できるよ。ほら、こうしたら上手くできたよ。」 そうやって今ここで「素晴らしい世界」を見せてあげる。

そうやって「夢を実現した世界」を目の前で見たその幼児は、そんな素晴らしい世界を何度も追体験したくなる。だからこそ、いろんな場面でデジャブを見るだろうし、いずれは自分でそれを実現するようになる。

つまり幼児だった大人が「夢見る」ということは、何かが手に入っていないから夢見ているのではなく、実はいつかどこかの「素晴らしい世界」ですでに叶えた夢を「もう一度」夢見ているのだ。

言い換えれば、何かを夢見たのなら、それは「もう1回」見てみたい夢。たぶん1回目は簡単に叶いすぎた夢。だから記憶喪失になっていて。2回目は汗かきベソかきガッツリ叶えたいのだ。

ぼくらがもし夢を見たのなら、それは汗をかいてもう一度叶えたい夢なのだ。だから近道しちゃ意味がないとも言える。


海を夢見る人々の場所から


瀬戸内国際芸術祭の舞台の一つでもある瀬戸内海に浮かぶ豊島(てしま)は、全国的に最大規模の不法投棄により廃棄物で汚染されていた島。

廃棄物処理プラントは役割を終え、今では世界各地から多くの観光客が訪れている島でもある。

もともとは湧水が豊富な「豊かな島」。
いまでは、環境の再生を目指した取り組みが加速する「豊かな島」。

ただし不法投棄された浜の土は 50年近く経った今も汚染されたままだ。

ぼくは ここに定期的に来て学ぶ度に、汚染の規模こそ違えど福島の方達が今ぶつかっている再生の道のりや、未来への希望を重ねあわたりしています。

海を夢見る人たちが座り、海を眺める椅子 オーストラリアを代表する現代美術家と建築家のユニットによる作品。漁網のようでもあり、流木のようでもある質感が鉄鍛造によって表現されている。地元から、あるいは遠く離れたどこかから、海を眺めにこの浜辺を訪れるさまざまな人たちが腰かけ、海や空をより身近に感じ、思考を浮遊させるための場所。


海を夢見る人々の場所 から。


ぼくらは記憶喪失の旅人だ。もし胸躍るデジャブを見たのなら、それはすでにあった素晴らしい世界の残像なのだろう。

だからぼくらが描いた夢とは、2回目に見る夢だったのだ。記憶に刻みつけたいほどガッツリ叶えたいデジャブ。

ぼくらは記憶喪失の旅を経て、やっと素晴らしい世界の案内人になれるのだ。




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