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脱ポジティブから見えてくるリーダー論



ちょいとここで「リーダー論」について呟いてみます。


生けられた花の方こそ


「あれこれポジティブに動く人ばかりが未来を切り開いている。」

これは、思い上がりってもんだ。
ぼくはこういうポジティブな人が社会をよくするという考えを揶揄して「ポジティブ教」と呼んだりします。


花瓶に生けた花を見て、その花が出来るだけ長く咲き切れるようにマメに水切りをする。これはポジティブに動いているといえるのだろうか?

いや、そうではない。

動けない花の方こそが能動的なのだ。

その花の魅力に動かされて
・ぼくたちはせっせとテーブルをきれいにする。
・家で交わす振る舞いにいつもより少し優しくあろうと意識する。
・忙しない雑な振る舞いに気がついて、少しだけ気配りが生まれてくる。

そう。生けられた花の方こそがポジティブなのだ。

ぼくたちはそれを愛でるようただ行動変容させられているのだ。

生けた花のおかげで、生活においてケアをする行動が増えていく。一人一人のその受動〜能動の行動変容プロセスを(小さな進化)と呼んでみることにしよう。


品種改良された小麦の方こそ


ユヴァル・ノア・ハラリさん著作の「サピエンス全史」にも似たような考察があったのを思い出す。

人間が小麦を選んだのではなく、小麦が人間を選んだ。

つまり 人類が能動的に進化して、品種改良した「小麦」を使って農業を起こし豊かな社会を作ったのだーーーめでたしめでたし・・・ではなく。

小麦の生存戦略として、人間を使うことで品種改良され圧倒的に世界を支配できた。という考察だ。

歴史的に見ればたしかに実際、農業が世界で行われるようになってから、「ポジティブに小麦を栽培し豊かになったはずの人類の方は、実は、小麦栽培を手に入れる以前と比べ、貧富の差、飢餓、戦争、疫病が増えているのだ。

つまり小麦こそが勝者。
人間の力を借りて一気に進化したわけだ。
人間は小麦をケアするために、必死にポジティブにさせられてきたのかもしれない。

しかしポジティブ教の人(ぼくらを含むほぼ人類みんな)は、それを人類だけが農業を起こして進化したのだーっっ、とまるでフリーザ様ばりの王様的認識をしてきたものだ。なんとも愚か者かつ幸せ者である。


手が掛かる赤ちゃんの方こそ


日本語訳が出たらちゃんと読んでみたい本がある。霊長類学者・社会生物学者ラ・ブラファー・ハーディさん著作「Father Time」 だ。
(A Natural History of Men and Babies)


人(とくにオス)のもつダーウィンの暴力本性論をひっくり返す内容のようだ。

(以下、山本浩司さんのXでの書評を引用しつつまとめると)

✔︎ 例えばチンパンジーは縄張り拡大のために他のグループの赤ちゃんの命を奪うことがある。こういった暴力性は、結果、メスの授乳行動を減らして繁殖に向かわせ子孫を増やしやすく作用する。

✔︎ ところがこういったオスの「暴力性」について哺乳類の場合、攻撃型からケア的行動に「切り替わる」ことがある。

✔︎ 特に人間がどうやってケア的行動が増え社会性を身につけ進化してきたか、というと「赤ちゃん」の生存戦略がそうさせた。

✔︎ 「赤ちゃん」がどんどん「手が掛かる方に」進化した。そして 母はもちろん父や他人の助けを「動員」できるようにしてきた。

✔︎ その赤ちゃんをケアすることで、攻撃的なテストステロンが出る大人のオスはオキシトシン(愛情ホルモン)が出るように脳も変容させてきた。


そうなのだ。やっぱり。

何もできない赤ちゃんや乳幼児そのものが最も能動的かつ未来的なのだ。

「手が掛かる」ことが、オスたちに内在する暴力性をケアをする方へ「スイッチ」させ、ケアをする方へ大人たちの進化を促し人類の社会性を育ててきたのだという。 

だとすると。やっぱり。

ぼくらみんなの未来を切り開いている本質的なリーダーたちは、ポジティブ教の人たちではなく。

「赤ちゃん」であり「手が掛かる誰か」であり「手を掛かけないと消えてしまう生き物すべて」であるともいえる。

受動的に見える存在=Babyたちこそ、もっとも能動的に進化してきた姿なのだ。

そしてそんな「リーダーたち」のおかげで、ぼくらは 世のMotherたちとともに Father Timeをようやっと持てるようになる。


世の多くのぼくらオッサンたちよ。

溢れる力とやるせなさをFather Timeに注いでこそ活路があるのだーっ。

そう思えたら、なんだか嬉しいぞ。




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