5-13.動きだすアメリカ
日本開国提案書
1849年9月、アメリカニューヨークで法律事務所を営むロビイスト、アーロン・パーマーがジョン・クレイトン国務長官にあてに「日本開国提案書」を提出しました。パーマーは、政財界とのコネクションを強め、大陸横断鉄道実現と、太平洋を挟んだ東方アジアの独立国との交易拡大を主張するロビイング活動を活発に展開していました。特に、彼は日本との交易を実現することがアメリカの(そして自身の)利益につながることを熱心に主張し、自ら膨大な調査報告書を作成し、政府関係者に提案していました(出所:青羽古書店書籍目録『クレイトン国務長官への書簡:東洋の独立諸国についての地理、政治、通商に関する報告、ならびに東方におけるアメリカの通商を開き、拡張し、保護するための計画の提起』/ http://www.aobane.com/books/1224)
そこには、マカオの宣教師が、プレブル号グリン艦長の長崎での漂流民救出の顛末をまとめた「チャイニーズリポジトリー」(中国における欧文の最初の定期刊行物でアメリカ人宣教師たちの手によって刊行されていた)も添付されていました。パーマーがそれを使ったのは「漂流民は日本の役人にひどく野蛮な扱いを受けている」という情報が出ているからでした。「野蛮な扱いを受けている」は事実ではありません。しかし、パーマーにとっては、自身の主張を通すための材料となったわけです。アメリカ人漂流民の人道的保護と、捕鯨船の緊急避難及び補給修理のために日本を開国させなければならず、そのための交渉開始を提案したものでした。
交渉開始の条件
そこには、以下の条件が記されていました(以下出所:「「日本開国/渡辺惣樹」P166〜167)。
虐待された漂流民への十分な賠償、死亡した場合には遺族へ5千ドルの支払い、米国側の交渉に関わる費用を負担させること
米国船が悪天候の場合に避難できる港を提供すること、修理補給を日本の市場価格で提供すること、船が難破したばあい積荷は米国船に引き渡すこと、費用はアメリカ政府が負担すること
日本またはその支配下にある港を交易のため開港すること、外交関係を結び領事を派遣すること、外交特権を保障し侮辱的な作法を強要しないこと
サンフランシスコー上海間を結ぶ蒸気船の石炭補給基地を提供すること
両国の条約は清とのあいだに結ばれた望厦条約をベースにすること
対日戦争計画
これらを最期通牒として提示し、応じない場合には派遣する特使に、江戸湾封鎖の権限を与えることを提案しています。「対日戦争計画書」とよべるような内容でした(出所:「日本開国/渡辺惣樹」P166)。
1851年2月には、長崎から漂流民を受けとったグリン艦長も自身の経験をもとに、パシフィックメール蒸気船会社に、日本の港が太平洋を舞台にする彼らのビジネスの将来に極めて重要であるという趣旨の手紙を送っています(出所:「日本開国/渡辺惣樹」P183)。
5月にはアメリカ東インド艦隊を指揮することが決まっていたジョン・オーリックが、フィルモア政権(第13代大統領)下の国務長官に、サンフランシスコで保護されている日本の漂流民を使って、日本との開国交渉の材料に使ったらどうかと提案をします。ウェブスターは、この提案をパーマー、グリン艦長にはかり、ともに異存がない旨の回答を得ました。そうしてフィルモア大統領は、オーリックに開国交渉を任せる決断をします。
いよいよ、アメリカ艦隊が日本を「開国」させることを国家の意思として明確にしたわけです。これで「5.予兆」は終わります。当時のアメリカは、どんな国だったのでしょうか?それを明らかにしなければなりません。
タイトル画像:フィルモア大統領
続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?