哲学の道は「舗装」されるのか
ご無沙汰な記事となります。
10月29日付京都新聞
京都市左京区「哲学の道」アスファルト計画を住民が懸念 「ただの道になって誰も歩かなくなる」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1360294
という記事をはじめ、報道各社のニュースをみて、たくさんの方々から問い合わせをいただいておりますので、ここで現状をお話させていただければと思います。
結論:すべては未定 工事しないという選択も
見出しの通りでありますが、この「哲学の道」舗装計画については、2024年11月5日現在、「まだなにも決まっていない」状態です。
長くなるので箇条書きで先に書いてしまいますが
・過去の舗装が傷んでいるし、地元から要望もあるから検討会議を設置
・工事すら未決定。住民の意見によってはなにもしないこともありえる
・そもそも舗装=コンクリではない
・工事期間、材質、デザインすべて未定。
アスファルトになるかもしれないし、砂利を敷きなおすかもしれない
・全ては地元住民と市民の声次第
こういうことのようです。
ご存知の方もおられると思いますが、この哲学の道(正確に言えば、哲学の道に沿って通る公道。遊歩道は別にあります)の舗装計画はもう何年も前から地元で議論されてきたことで、1985年頃と1996年度に一部区間で舗装工事が実施され、うち一部は反対意見により見送られてきた経過があります。
今回の報道は、以前アスファルト舗装した部分が剝がれてきて危険な状態の部分もあるということをふまえ、「哲学の道デザイン検討会議」が設定されたことを受けてのものだと考えられます。
しかし、この会議はあくまで「前やったアスファルトが傷んできたわけですが、どないしましょうか?ついでに他のとこもやりますか?」と相談し今後の方針を決めるというもの。地元住民や委員の意見の中には全部アスファルト舗装を、という声も確かにありますが、全てを灰色ガチガチのコンクリやアスファルトで固めます!と決まったわけでは決してありません。
この会議で舗装は中止!となれば無論、工事は実施されず哲学の道は現状のままとなります。
担当課「アスファルトで固めるとは一言も言ってないです」
つまり、アスファルト化か?!と見出しをつけている報道があれば、それは早とちりというか事実とは異なります。担当課の方も「我々はアスファルトで固めるとは一言もいってないのですが…」と困惑しておられた様子でした。
アスファルト化はあくまで、検討会議の中で出てきた地元住民からの一案でしかなく、多くある検討材料の中の一つという扱いです。京都市が「アスファルトで固めますわ」といった事実は一度もないのです。
「舗装」=アスファルトではない
加えて、
「舗装=アスファルトで固めることだから、哲学の道は黒いアスファルトや灰色コンクリで固まってしまうんだ」という不安の声を多数お聞きしますが、京都市建設局土木管理課曰く「舗装というのはあくまで砂利やレンガ、コンクリ、アスファルトなどを用いて歩きやすく整えること」とのこと。
ウィキペディアなどをソースにするとそれでも公人かと怒られそうですが、確かにネット検索してもそう書いてあります。
つまり、舗装する!と決まったとしても、情緒ある砂利道になる可能性もあるし、砂利っぽい色のコンクリやアスファルトになるかもしれない、場合によっては黒いアスファルトや武骨なコンクリートになるかもしれない。ということなのです。
僕自身もきちんと舗装の意味を調べたことがありませんでしたので、勘違いする方々の気持ちはとてもよくわかります。
先に担当課の困惑についてお伝えしましたが、そもそもこういった誤解を招くおそれがあることを、京都市はしっかりと認識しておくべきでした。
結局工事するの?しないの?するならいつ?
冒頭にも書かせていただきましたが、全くの白紙ということであります。
デザインによって工法や材料、工事期間も異なりますし、そもそも現状維持という風に決まれば舗装もなく、ただ傷んだところを部分的に補修して終わり、ということも想定されます。
本当は出来レースで工事ありきなんじゃないの?
僕も正直にこう聞きました。
本当はもう工事するベースで裏で話してるんじゃないですか?!と
「まだ何も決まっていない、そこは信じてもらいたい」という担当課の弁を信じたいところですが、こればかりは実際のところはわかりません。
しかし、何をもって「やる」と決めるのか、「やらない」とするのか、それすらもこれから考えていくということですから、本当にゼロベースなのでは…と推測はしております。
冒頭書きましたように、舗装は地元の要望でもあり、実際に砂埃などで苦労されている方もいらっしゃいます。
地元だけで決めていいのか?
しかしながら、もはや世界的な観光地ともいえる哲学の道。
現在担当課は地元住民と検討会議の意見以外に広く意見募集する場を設ける予定はないとのことですが、この道が持つ公共性は生活道路の域を超えていると個人的には感じています。
地元には酷な話ですが、地元のみならずせめて京都市民には広く意見を募るように求め、今後も会議の内容や予算の動きを注視していくほかありません。
行政にありがちな「検討を進めてまいります」の弊害
結局のところ、
やるも未定、やらないも未定、でも早めにご意見は募っておきます。
こういうことらしいです。
京都市のみならず行政にありがちな進め方ですが、
本来は何か新しい事業を検討する際には、進む、戻るの基準をある程度決めてからでなければ、市民はただ混乱するばかりだと思います。
一般企業や団体が新規事業を実施する際に、細かいことは何も決まってませんしやるかやらないかもわからないけどとりあえず消費者の意見だけ聞いときますから協力してください!みたいことをするでしょうか?
中途半端な情報発信は反対派も賛成派も意見を硬直化させ、聞き入れてもらえなかったほうは恨みを募らせる、憎しみと誤解の連鎖を生みかねません。
検討してまいります、という言葉は便利ですが、表に情報を出す以上、
表現には責任を持ち、進め方のロードマップを設定すべきだし、
今回の報道の様な誤解を招く内容には毅然とした対応を取るべきです。
僕は市民の皆様にも市職員の方々にも変に恨みやストレスを抱えてほしくはありません。ステレオタイプなやり方ではなく、もっと先々を想像した打ち出し方を実行してもらいたいものでありますし、それを実現することが僕の使命だと思っております。