「謝ったから、非を認めたことになる」は妥当な考えか/ここは西欧ではない
ブラック・マジシャンが超絶強化されててカッケ―。やはり初代三大バニラモンスターの一角ですな。遊戯王を知らない人に向けて説明しておくと、「力の青眼(ブルーアイズ)」、「可能性の真紅眼(レッドアイズ)」、そして「技のブラック・マジシャン(師匠、マハード)」が無印遊戯王で主人公たちが使役していたカードたちです。それに対して、OCG発・三大(要介護)バニラモンスターは
モリンフェン、レオ・ウィザード、シーホースで決まりだ!!(異論は認める)
最近長文ぎみ(私としては)ですので、思いついたことでサクッと一記事書いてみますか。
「"謝った"ら自らの過ちを認めることになるから、簡単に謝ってはいけない。」というフレーズを聞いたことがあるかも知れません。
これは、"欧米で手軽にexcuse meなどと言ってはいけない(戒め)"という類の話に影響されてるのかも知れませんが・・・、奥さん、ここは日本ですよ(´・ω・`)
本当は”バカじゃねーの、ここは日本だよ。お前、日本人の振りした外国人か?” と、煽りたいところですが、穏便に済ませたいので、この程度にしておきましょう。
日本には昔から「取り敢えず謝っておいて、ことを穏便に収める。」という考えがあります。問題の原因を明らかにせず放置しがちになるという欠点もありますが、これで無駄な争いをせずに出来るだけ穏便にことを収めてきました。
もちろん、本当に謝罪を慎重にすべきときというのもあります。製品や食品による事故、事件などの場合は、実際の原因を究明してから、責任の所在が明らかになってからの謝罪がいいでしょう。
しかし、接客業などで一般のお客との対応などでは、”不快な対応をさせて申し訳ない”という意味で”申し訳ない”を使うことは普通にあります。
そんなケースにまで”気軽に謝罪をすべきではない”という考えを持ち込むのは、如何なものでしょうか。その考えが絶対に正しくないという訳ではないんです。ただ個人的好みの問題で、少なくとも私はイヤだ。
「謝罪」と「非を認める」こととの話になると無視できないのが、最近の(昔からの)国際情勢。政治的な話で眉を顰める方もいるかも知れませんが、「日本は謝罪した。だから日本は戦時中やっぱり悪い事をしたんだ。」と報道する人たちがいるそうです。
”謝罪をしたから事実を認める”、のではなくて、”今こうして不快な想いをさせてるようだから、とりあえず謝る”というところが日本にはあるんですよ。良くも悪くも。
勿論、外交では"内の感覚"ではなく"外のルール"を考慮して動くべきです。
しかし、だからといって殺伐とした国際社会のルールや常識を国内の、それも日常にまで持ち込まないでほしい。何でも西欧のルールに従えばいいってもんじゃありません。
この辺、今流行りのグローバルスタンダード(世界基準)に合わせなければいけない、という無意識下の呪縛があるのやも知れません。
この呪縛は教育から来てるのかと思います。日本の教科書で勉強していると、何となく日本は明治維新やGHQ、西洋社会のおかげでまともな国になったように思えてしまいます
実際は私も小学生の頃は、江戸時代を「士農工商、えた・ひにん」に表されるような身分差別の酷いカースト制度下の国だと思っていました。
しかし当時の教育・文明・衛生・人権感覚(当時としては)の高さを知るにつれ、「いやこれ、カースト制度の元じゃ無理だろ・・・。」と思うようになりました。この辺、勉強し直すと面白いでしょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?