第九十四回:陽光
今朝
は
準備が遅くなり、
腹を立てて
出ていきました。
途中まで
後ろ~のほうから
ついていった
のですが、
後から
来た
お兄ちゃんたち
に
囲まれるように
歩き、
お兄ちゃんたち
が
信号を追って
走り出すと
それを追うように
一番最後から
走って
ついていきました。
遠目から見ると
一緒に
登校している
ように
見えたのですが、
帰ってから
夫に
話す
と
今
の
上級生たち
は
低学年の子
が
一人で
登校していたら、
それとなく、
一緒に
登校するように
教えられている
のかもね
と。
教えられて
なのか
気遣い
からなのか
分かりませんが、
ほっこりする
風景
でした。
染め直し
してもらった
ワンピース
を
もう一度
母に見てもらい、
我が子が着たい
と言い出した
時に
身幅を広げられる
ように
できるか
相談しましたら、
とりあえず、
ボタンの位置
を
変えてみて、
それで
具合が悪いようであれば、
お直し屋さん
に
相談してみては?
と言ってくれした
ので、
お願いしましたら、
散歩に出ている間
に
仕上げてくれていました。
胸のところが
弛まない
ように
工夫もしてくれています。
母がお直ししてくれる
というのが
とても
嬉しくて、
心がほどけて、
つい
姉の悪口
を
言ってしまいました。
姉は
大学の修士課程
まで
二回出ており、
しかも
二つ目の大学は
私立
で
結婚するまで
その間
十年近く
仕送りをしてもらっていました。
さらに、
卒業後、
奨学金の返済
も
母に手伝ってもらった
ようです。
それに対して、
感謝の言葉や行為は
あったのか?
私は
すごく
気になっていたのですが、
そういうのは
今のところ
ない
と。
それを受けて、
私の
怒り
が
一つの沸点に達しまして、
うちの家族は
みんな
被害者
であり
加害者
である
と
私は
思っている
から
一人だけ
決定的な
被害者ぶって、
わが身の不幸ばかり
主張して
自分の都合のいいように
ならないと
泣きじゃくって
過去のあれこれを
引き出す
姉
の
そういうところが
大嫌いだ
と
言いました。
母
も
十分苦しんだ
と思うのです。
ひょっとすると
姉のことだけでなく、
私に対しても
申し訳ない
という
気持ちもある
かもしれません。
母に対して
決定的な
被害者
は
うちの家族にはいない
ということ
と
死んでからだけれど、
父にも感謝できるようになった
ことを
私の口から
伝えることができた
ことが、
自己満足かもしれませんが、
母の荷を下ろす
一助になったなら
いいなぁ
と思います。
親
になって
思うようになった
のは
子に赦される
というのが、
一番
親にとって
ホッとする
ことだ
ということです。
どんな親
であっても
赦せるように
感謝できるように
子どもは
うんとうんと
理不尽に対しては
怒る
必要がある
受けた理不尽の分だけ
幸せになる
必要がある
と思います。
それができない間
は
努力する方向
が
間違っている
のかもしれない
と
鑑みる
必要もある
と思います。
赦し
に
幸福
に
近づいている
と感じるなら、
誰かに
遠慮する必要も
負い目を感じる必要も
まったくない
と
私は
思っていますし、
そのことは
我が子にも
伝えようと思っています。