どうして私はヤクルトファンになったのか
「あんた、なんでヤクルトファンになったん?」
つい先日、母親から言われたひとことである。正直な話、明確なきっかけというのは無い。かといって、気づいたらファンになってた、というわけではなく、小さなきっかけが積み重なってヤクルトファンになっていったのである。ということで、今回は自分なりにヤクルトファンになった理由を振り返ってみたい。
そもそも私は元々は巨人ファンである。父親の影響を受けたものであり、自然に巨人ファンになっていたというのが近い。一昔前は、地方都市で放送される野球中継のほとんどが巨人戦であり、必然的に巨人ファンが多いという話を聞いたことがあるが、父もまたその1人だと思われる。
私自身については、恐らく小学校の間は巨人ファンだったと記憶している。ただ、小学校の野球チームに入ったことで野球を見る時間が減ったことや、他球団の主力選手をFAで強奪する2010年頃の巨人フロントのやり方に多少の不満を覚えた父の影響もあり、プロ野球自体を見る機会が自然に減っていった。
転機となったのは2015年である。この年、北陸新幹線が開業した。富山県民の私にとっては東京方面に非常に進出しやすくなったわけである。その記念に(?)叔父が神宮球場でのヤクルト対ロッテのオープン戦に連れて行ってくれた。これが私とヤクルトとの出会いである。
といってもこの試合の記憶は全く残っていない。前年ブレイクした山田哲人がノーヒットだったことだけは覚えている。当時の私はそれくらいの興味だったということである。
ところがこの年ヤクルトはリーグ優勝を果たし、日本シリーズへ進出する。富山でも流石に日本シリーズは放送され、山田、小川、バレンティンくらいしか知らないながらもテレビを見ながらヤクルトの応援をしていた記憶がある。たまたまオープン戦を見に行った年に優勝するという、あるのかないのかわからない縁については未だに感じている。
それから大きく心情が動く機会は2019年まで無かった。どこの球団が好きかと聞かれれば「まあヤクルトかな」くらいのもの。応援歌なんて山田哲人の前奏しか知らなかったし、監督が誰なのかも、2017年のシーズン96敗も知らなかった。
2019年、私は京都のとある大学に入学する。これまでより自由な時間が大きく増える中で何をしようかと考えた時、野球を見ようとなった。そして、ある1人の選手に目が止まった。村上宗隆、である。私と同い年の生まれ、学年でも1つしか変わらない19歳という若さでスタメンを勝ち取りホームランを量産していた姿に心を奪われてしまった。この瞬間、私はヤクルトファンになったといっても過言では無いのかもしれない。
長く読みにくい文書になってしまったが、こうして私はヤクルトファンになった。ヤクルトは良くも悪くもロマンの塊のようなチームである。そしてこの当時の私は、直後にリーグ最多タイとなる16連敗を喫することになることをまだ知らない……