新宿マーブルと僕

新宿マーブルのドネーショングッズが届いた。
僕はシャツとステッカーと缶バッチを購入。
2011年の後半から大学卒業まで、大学時代の多くの時間をここのホールと階段で過ごした。歌舞伎町の端、文化センター通りに面した地下のライブハウスは僕らにとって文字通り家みたいなものだった。

昔友人が言っていたことを引用するに、僕がライブハウスに居つくようになったのはあの頃のマーブルの連中は揃いも揃って全員自分勝手だったことにある。
待ち合わせて一緒のライブに行く事なんてなかったし、プライベートで会ったこともそんなになかった。自分勝手な奴が自分勝手に集まった自由度の高いコミュニティ、そうした自分勝手さが重なった時の純度の高い連帯感、酔っ払ってるときだけ優しい奴ら。

バンドも客もごちゃ混ぜで、勝手に地べた座り込んで呑みだすノーボーダーな感じ。その快適さと、されど客としての一線は超えないような微妙なラインがとても心地良かったのだ。

大抵ガラガラだったこのライブハウスでいいライブも悪いライブもクソほど見たが、一番多くの時間を過ごしたのはやはり、中ではなくてあの階段だろう。
扉の外だけど、いい塩梅で音漏れが聞こえてきて耳に優しく興味があればホールに出れる環境は勿論ガラガラだったからこそできたことだ。この階段で僕らは沢山の話をした。本当に沢山話した。そしてその大抵はほんっとうにどーでもいい与太話だった事も付け加えておく。

あのバンドはパンクだ、あれはクソだ、あれは何だ、これがどーだ…そうやって若さをドブに捨てながら290円の生ビールを何杯も飲んだ。余裕がある時は瓶のコロナビールを。何でだろうな、本当にどうでもいい時間だったのにそんな時間がずっと忘れられない。

コロナ禍できっと沢山のライブハウスが無くなる、もう既に無くなった箱も出てきているように。そうした状況を踏まえた時にどうしてもなくなって欲しくないと思ったのは新宿マーブルだった。喜怒哀楽入り混じった記憶、希望と絶望、感動と落胆、吐瀉物と胃酸、出会ったバンド、忘れられないライブ、死んだ仲間の顔。全てがここにあった。

近年ロクに顔出せなくなったりしたけど、それでもずっと大切な場所だし、たとえ足が向かなくともそこにあり続けて欲しい。大変身勝手なことを承知で、それでも願わずには居られない。

京王線の改札を抜け、西口から大ガードを潜る。西武新宿の横断歩道渡って駅沿いに歩く。見えてきたファミリーマート。仲間達が溜まってる。星くんお疲れと口々に話す声。今誰やってるの?アダムスかな?バンクスもSELFISHもケツの方だってさ。そうか、じゃあ俺も一本飲んでから入るよ。電話が入る、星くん溜まってないで早く来て!

あのバンドは無くなった。僕らもう会うことは無くなった。それでも新宿マーブルにはずっとそこにあってほしい。そしていつかの僕たちのようなガキどもに同じような時間を過ごさせてあげてほしいと切に、願う。

#新宿マーブル #ライブハウス #ぼくらの遊び場

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