変わらずに変わり続けていくということ
※本文は数年前に投稿用で書いていたものだが出しどころがなかったので、ここに吐き捨てることにした。その前提で読んで頂けると幸いです。
SEVENTEEN AGAiN「スズキ」リリース企画"リプレイスメンツⅢ"に寄せて
2017年9月2日 SEVENTEEN AGAiNの4thアルバム「スズキ」のリリース企画を見た。
当日、大阪から来た友人と合流し、東急田園都市線で駒澤大学 駒沢キャンパスへ。
土曜日の日中に大学のキャンパスへ行く、ということは大学時代サークルに入っていなかった身には全く経験がないのにどこか懐かしく感じる。ほぼ無意識なノスタルジーを振り切りながらライブ会場である8号館152教場へ向かう。入口でチケット替わりの缶バッチを貰い教室内に入るとトップバッターの2(THE SALOVERS古館の新バンド)が音出しを行っている最中だった。
教室の中は暗幕が貼られ、普段教壇があるだろう部分に鉄パイプで組まれた無骨な手製ステージがある。ライブハウスに引けを取らない爆音と照明、スモークまで備えたこのステージは駒澤大学 電気美術研究部による設営及び運営という完全にDIYな環境だった。僕が憧れ、今でも影響され続けているTHE STALINや村八分、GAUZEなど70's~80'sの日本のハードコア/パンクバンドは大学でよくライブをしていたという印象があって、それを追体験できているようで、否応なしにテンションが上がる。それがSEVENTEEN AGAiNのレコ発企画であるのだからなおさらだ。
2、CAR10、GEZAN、teto、NOT WONK、GOING UNDER GROUNDとライブは進んでいった。音楽性には何も共通点がないように見える対バンなのに、まるで一本のロードムービーを見ているような感覚に陥ったのは「SEVENTEEN AGAiNの企画」という事実によって、各バンドという点が線へ変化しているからだろうか。
SEVENTEEN AGAiNは僕ら世代のパンクスにとって特別なバンドだと勝手に思っている。
1992年生まれ、ゆとり世代ど真ん中の僕らはパンクヒーロー不在の世代だ。
物心つく頃にメロコア/青春パンクの波は過ぎ去り、ハイスタは活動休止。銀杏BOYZはほぼライブ活動をしていなかった。テレビにロックバンドは出ないし、クラスで人気の音楽と言えばオレンジレンジやエグザイルやファンキーモンキーベイビーズ、ロックを聴く人すら疎らな環境の中でパンクロックという言葉はもはや死語だった。今の10代には信じられないかもしれないが、SNSが無い環境というのは今の何倍も情報の伝達が遅い。mixiも一般化していなかったあの頃、パソコンも持っていなかった僕はCDショップもない街で一人黙々と峯田のおやすみBGMやSTIFFEEN RECORDSを漁り、下北沢屋根裏や西荻ワッツや渋谷ギグアンティックに想いを馳せながら、auのガラケーでは2分しか再生されない某動画サイトでその狂騒をひたすら後追いすることしかできなかった。
そうやって音楽を漁り続け、現行の音楽に全く目を向けずにいた僕を現行の音楽に向けてくれたのがSEVENTEEN AGAiNだった。GOING STEADYがカバーしていたMEGA CITY FOURのTWENTY ONE AGAINのオススメ動画に出てきたNobody Knows My SongのMV、音楽は元よりガラガラの箱で無理やりダイブを繰り返す映像にも度肝を抜かれた。自分が後追いするしかないと思っていた音楽を今この時代にやっている人がいる事実に驚愕して、すぐにディスクユニオンの通販から1stアルバム NEVER WANNA BE SEVENTEEN AGAiNを購入。全曲英詞でテンションが高く衝動だけが詰まっているようなそのアルバムは高校時代のアンセムになった。歌詞カードは読み返したせいでボロボロになり卒業する頃にはセロハンテープで補修を繰り返したこともよく覚えている。閉塞感しかない田舎町で、こんな音楽を好きな人はきっと自分以外にいないんだろうと思っていた生活の中で、お前は1人じゃないとずっと勇気づけてくれた。
進学の為上京した後、下北沢SHELTERで初めてライブを見たときの感動は今でも忘れられない。
SEVENTEEN AGAiNのライブは圧巻だった。
信念と真摯さが表れた、素晴らしいライブを見せてくれる。
メンバーや音楽性、あの1stアルバムから考えれば随分変わった。それはまぎれもない事実だ。もしかしたら2nd、3rdの時点でこのバンドから離れてしまった人も多いのかもしれない。彼らの音楽性の変化と僕自身の音楽的趣向の拡大がうまくハマっていることが音楽性の変化への違和感や戸惑いを薄めているのかもしれない。それでも雑多な要素をごちゃ混ぜにしてド真ん中からブチ抜いてくることは、1stからブレずになにも変わっていないと思う。アウトプットの方法が変わっても目的は何も変わっていないと感じる。変わる事を恐れず、それでいて常に最高を更新してくる。変わらずに変わり続けるとはどういうことなのかを体現している、その姿勢に僕はいつも心を打たれるのだ。
僕は地元には帰らず東京で就職し、3年目に入った。
東京のライブハウスシーンにどっぷり浸かっていた大学4年間、髪を赤に染め革ジャンに鋲を打ち、Dr.Martensをキツく結ぶ生活から、スーツを着てネクタイを結び、営業で飛び回る生活に変わった。朝も目覚ましもかけず起きれるようになったし、仕事終わりにスーツでライブハウスへ行く夜も増えた。あの頃我慢していた2杯目の酒も、躊躇せずに頼めるくらいには懐に余裕も出てきている。
その代償か、年々オールはキツくなっていき、次の日を気にしてアフター5の遊びも渋るようになった。
家と職場を往復するだけの時間だけが増えて、色々な出来事に無関心になり、感情の起伏も減った気がする。
あの頃確かにあったはずの感性が徐々に減退していく実感に対しても「まあ、これが大人になるってことか」なんて納得してしまいそうになる。
そんな風に自分にとって楽な方へ妥協して諦めてしまいそうになる度に、お前そっちじゃないぞ、こっちだぞと手を引っ張ってくれるのが彼らの音楽だ。自分を元の場所に戻してくれる。ネジを巻きなおしてくれる音楽だ。
どうやって生きていけばいいのか、何に命を燃やして生きるべきなのか、苦悩しながら生活を続ける中で折れてしまいそうになる瞬間、カーステレオからイヤホンからいつも聞こえてくる。
「罵倒してくれ 蔑んでくれよ 難しい局面だ 構う暇はないぜ
何度打ちのめされたって目指すところはただ1つさ FUCK FOREVER!」と。