
この世に生まれた役割、なんて考えだすと迷子になる。
今朝目が覚めて、布団の中にうずくまっていたら、ふと思い出した。
去年の夏、ふらっと入った占いの館の、不思議なおばちゃん占い師に言われた一言。
「役割なんてないねん。楽しんだもん勝ち。」
最近、「この世に生まれてきた、自分の役割」みたいな話をする機会があって。
育ちが難ありだった私からすれば、それは生きてくるうえで(言語化せずとも)求めてきたものだったし、「なんのために生まれてきたのか」と問いたくもなる。その答えがないと、生きていくのはつらすぎた。
「あなたは、このために生まれてきたのだよ。」
と人生に役割や意味を持たせて、自分を奮い立たせる。
こんな役割があるのだから、今つらくても、我慢して、生きてくのだ、と。
しかしオトナになった今、それはある種のこじつけだったんじゃないか、とも思う。心が満たされないまま育っていく自分が、なんとか、なんとか、もがいて手にした「生きる意味」みたいなもの。言い換えると「生まれてきた私の役割」みたいなもの。
それがないと、生きてこれなかった、そんな自分を認めてあげたい、というのはあるけれど。
ただ、書けば書くほど、なんか違う、ってなる。
フツーに考えて、そんな「役割」なんてこと意識せずに、楽しく、ハッピーに生きていけるほうがいいんじゃないか、って思う。絶対にお得だ。
「役割が!役割が!!!」
って思えば思うほど、(仮にあるかもしれない)役割から遠ざかる気もする。仮に、役割があるとしても、それって、楽しくハッピーに生きた結果、
「ああ、これが役割だったかもね!」くらいの軽さであって。そのライトさがないと、なんか、なんか、なんか…しんどくない?
というツッコミを自分に入れた激寒早朝だった。
人生の折り返し地点を過ぎて、給水所でポカリ入れたくらいのタイミングである。楽しいかどうか、というものさしで生きていきたいよなー。
占い師さんにもらった言葉って、何年かたってから、とか、ふと降りてくるのがすごくいい。