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#2.ココロに ”埋められないピース” を持つことの強みについて。

こんにちは。これは役に立った、と思うことの第2回目です。

今回は『ココロに ”埋められないピース” を持つことの強みについて。』です。

それでは早速いきましょう。

注意:今回は自分の体験ベースなので自分語りが多分に含まれます。   その辺りをご配慮いただいた上で、どうぞこの記事をお楽しみ下さい。

何故か自分に欠けていた気がした ”当たり前”

僕は『他の人が当たり前のように持っているモノを自分だけ持っていない』というような感覚を小学生の頃からずっと持ち続けていました。

その原因が家庭環境にあるのか、自分自身にあるのか、それとも社会にあるのか今でもハッキリとは分からないんですが、とにかくそういう原因不明の気持ち悪さにずっと不快感を覚えていました。

それでそうにか社会に認められようといろいろ自己表現をしました。具体的には小学校の催し物でスロットマシーンを作ったり、落ち葉で秘密基地を作ったりしていました。

作ったものに関しては評価されてとても嬉しかったんですが、自分自身を認めてくれる実感はなく(友達の親がやたらと僕と自分の子を比べ始めた)、あらぬ誤解を受けていじめにあったり、それが原因で人間不信になったりと色々な失敗をしてきました。

そんでまた最近適応障害になり、今までの自分からは想像できなかった自分を見て、ある時突然 ”埋められないピース” という言葉が浮かんできました。

”埋められないピース”

思えばずっと、与えられた課題や自分に足りないものを完成させることを周囲から強要されてきた気がします。言うなれば『ピースが足りないジグソーパズルを完成させる』ような感じでしょうか。

今までずっと、部屋のどこにあるかも分からない小さなピースを血眼になって探しているような感覚だったな、と思っています。

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そんで部屋中のどこを探してもそんな小さなピースが見つかるわけもなく、その度に『こんなに必死になって探しているのに、どうして見つからないんだ』と嘆いていました。

周囲の友達に聞いても、大人に聞いても、自分自身に聞いてみても、確からしい答えは返ってこない。この『ピース探し』は、高校生になっても続きました。

その頃にはもう大分扱いに慣れてきて、軽音部に入って好きなだけギター弾いて、放課後は建築の雑誌を読んだりして、学校生活をそれなりにエンジョイしていました。楽しい学校生活のはずなんですが、やっぱり時折こういう言葉が頭をよぎるんですよね。


それでも自分には ”何か” が欠けている。


この得体の知れない疎外感をすぐそばに感じながら、華の高校生活を送っていました。

暗闇から見つめて気づいた、埋められないピースの重要性

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時は流れて大学2年の冬、去年の11月に適応障害を患いました。      それによって今までの考え方の何もかもひっくり返されました。ひどいうつの気によって自分というモノを見出せなくなったり、信じるモノを失ったりしました。

今まで大好きだった建築の負の側面をみて、自分が信じることのできる唯一の頼みの綱を失ってしまったことへのショックは本当に大きかったです。 ストレスで過呼吸になったその日から3日間、今何がしたいのかさえ考えられず、自分の体をどう支えていいかも分からなくなっていました。

このうつ状態というのは、いわばピースを探す部屋そのものがなくなったような状態でして、自分がいまどこに立っているのか全く見当がつかない空間に突然ブチ込まれたような、そんな感覚を覚えるんですよね。      自分の無力さをこれでもかという程痛感させられます。

そうなると今まで探していたピースがどうとかっていうコトより、まず自分がどこに立っていて、自分の部屋がどこにあるのかを把握することが最重要事項になるわけです。

その部屋に戻るときに必要なのが、まさにこの ”埋められないピース” なわけです。

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埋まらないピースを見つけ出そうと何度ももがくことで、少しずつ自分がいる部屋のことを理解できるようになります。

机と壁の間にちょっと隙間があるからここは落とし物が見つかりやすい、置く場所に困ったモノはこの辺に置きがちだ、とかそんな感じです。

そうやって自分の部屋というものの特徴を掴めるようになると、僅かな手がかりから自分の部屋がどこにあるのかが分かるようになります。それが得体のしれない空間から自分の部屋へ戻るための撚り糸になります。

自分の部屋の特徴、すなわち ”自分のクセや特徴は何か” を余計なモノが 一切見えない暗闇から考えることで、手がかりにすべき ”本当の自分の強みや個性” を見つけ出すことができます。

それこそが ”埋められないピース” すなわち ”自分に欠けているモノ” の本当の価値なんだと思います。

欠けたままでいい、そのままの自分を生きよう。

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ここまで長々と自分語り失礼しました。ですが、このことは生きていれば誰もがぶつかる問題だと思ったので、こうしてお話しさせていただきました。

誰しも『欠けているモノ』を持っていると思います。そしてそれをどうにか埋めようと日々奮闘していると思います。

時には上手くいかなかったり失敗したりする日もあります。そんな自分の境遇を嘆きたくなる瞬間も、生きていれば必ずあると思います。

そんなときにこの ”埋められないピース” の話が役に立てばいいなあと思います。

いつだって、”埋められないピース” それ自体ではなく”埋められないピースを探すこと” に価値があるんです。

何度も挫折することで、次戻る時は前よりも早く戻ることができます。  そうやって余裕ができると、自分の中の暗闇でさえも徐々に理解できるようになります。そうなれたらもう怖いモノなしですよね。

だから、欠けていることを恥じないでください。周囲のことなんて気にせずにもがいて下さい。いつだって、そのままのアナタを生きていいんです。

大丈夫、その経験が必ず活きる日が来るから。


といったところで、今回はここまで。この記事があなたの役に立てば嬉しいです。

ちょっと重い話だったけど最後まで読んでくれてありがとね!それじゃ!



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