私ってなんですぐに変われないんだ?①きっかけ
ある仕事終わりの夜。
マッチングアプリで知り合った友達(異性)と電話する。
某機械メーカーのマーケティング系の部署で働く彼女は、海外展開を推し進めるマーケティング会社への転職を無事に決め、今は有休消化中らしい。
きっと次の職場はキャリアアップとなるのだろう。フルフレックスで働きやすい職場らしい。
人見知りだという彼女は、控えめに言っても容姿も端麗。普通にかわいい。
地方出身で大学時代に関西にいた彼女は、方言交じりの言葉遣いをする。
仕事◎・容姿◎・言葉遣い◎
「こんな人が彼女だったら、 。」
あなたはこの空欄に何を入れるだろうか。
私の答えは、「自分のことが情けなくなる」だった。
仕事は頑張っている。復帰したばかりの職場だが、人間的にも尊敬できるメンバーと仕事ができている。
休職して以来、東京の家を出払い実家に帰ってきたこととコロナで都市部での行動が制限されることから、実家でのオールリモートワークをOKとしてくれる職場。
やりがいのある事業内容。立ち上がって一年足らずの事業を形作るためにパフォーマンス発揮を目指す日々。
充実している、と思っていた。
しかし、一般的に言う”ステータス”と呼ばれるものにおいては一切及ばない事実を前に、私は情けない、そう感じてしまった。
さらにその気づきと同時に、ある言葉が脳裏をよぎった。
「成功と幸福はイコールではない」
幸福だが、成功は手にしていない、と。
一昔前の一般的な成功と言えば、”一部上場企業で出世し、豪華な家・車、世帯を持ってお金と愛情に満ち足りた日々を送る”そんなところだろうか。
もう少し最近で言えば、”六本木のタワーマンションで豪遊”、”Youtubeやブログなどの副業で儲け、本業でも趣味のごとくイキイキと働く日々”みたいなことなのかもしれない。
一方で、今のご時世での”幸福”と言えば、”都市部から小1~2時間程度の近郊に住み、穏やかな暮らしと前衛的な仕事を両立する田舎と都会の半々生活”なんかも流行りかもしれない。
私は静岡という暮らしやすい街で暮らしながらスピード感や感覚は東京ナイズされた仕事をしており、ある程度満ち足りていて幸福を感じていた。
でも、ふと”成功”からは遠ざかっていたのかもしれない、と気付かされた。
私はどうしてもお金持ち、大きな功績、周囲からの大きな評価といった”成功”になれていない、なれる将来に近づいている実感がないことに縛られているのだと。
人間は面白いと思う。
なぜなら、そうは思っても、人は簡単に変わらないからだ。
なんで人は、その瞬間に恥ずかしい・情けない感情を得ても行動が変わっていかないのか。どうしたら人の行動は変わるのか。
次回は、人の行動変容について考えたいと思う。
続く
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