第34回 ツール・ド・おきなわ市民140km オープン 13位 現地入り~当日編
目標
優勝
無謀に思えるが、出るからには挑戦していく。
課題点
イナーメの佐野さんからも指摘してもらったが、勝負所での力の使い方が未熟すぎるため結果を残せていないと考えられた。
そして140km 獲得標高2600mのラインレースに相当する経験は全く無かった。練習は重ねてきたが、実際のレースではどのような強度となり、自分がそれをどのポジションでこなすかは分からない。
経験の少なさと、それを補って余りうる能力が無いことが大きな課題点となる。ほんとに超無謀ですが、目標は高く掲げないと結果はついてこない。
計画
現状で展開を作る力もセンスもないことはこれまでで理解している。展開を作ろうと動いたとしても勝負所で足が残っていなければ、勝利を狙う上では利用されて終わるだけだ。
ホビーレースに共通することだが、ほぼ毎回絞り込まれた小集団でのスプリントとなっている。決まった作戦は設けず、有力選手が作り出す流れへ最小限の力で合わせ、その時々の展開に乗り遅れないことをプランとする。
コース変更があったが羽地が大きなポイントととなることに変わり無いだろう。そこまでお前レースに居たっけ?と思われるくらいまで存在感を無くして温存し、踏むべき時に全てを出し切ることが出来たら一番良い。
試走
11/11に現地入りした。学校坂〜羽地が走りたかったが、普久川の下り〜海岸線付近での落車が多いため、実走でのコースチェックはここを優先した。大人数の集団内で思惑やスキルにバラつきがあることが大要素だと思うが、コースを知ることで不要なリスクを軽減したかった。
翌日は車で普久川以降の南下していくルートを試走。助手席でコースマップを片手に注意すべきコーナーやポイントを路面状況やRの深さなどと共に細かく書き込んで頭へ叩き込んだ。運転してくれた友人には頭が上がりません。
コーナーの特徴以外にも、どのアップダウンは番手を下げて休んで良いか、踏み込んで行くべきか、どのような力加減なら最小労力で速度をキープすることが出来るかをイメージしていった。
補給
最新型グリコーゲンローディングに則り、2日前から高糖質食をこころがけた。1日4食ほど食べたが、正直なところ過剰だった。前日の就寝前は完全に体がむくんでおり、当日朝の体重は下手すると72kg以上はあったかもしれない感覚。
当日は4時間前にパスタを100gほど。3時間前にエネ餅1つ。それ以降はゼリーを2時間前と1時間前、スタート直前にマグオンジェルとエネ餅を1つ食べた。
電解質に関しては、3日前からポカリスエットを1.5 L/day ほど摂取した。一度に大量に飲んでも腸管で全て吸収されるわけがないため、ちびちびと口にするだけ。2RUNも起床時と就寝前に1パックずつ。
上記の補給内容に加え、レース中にはSTCのno clampを学校坂前とゲサジ前に25mlずつ。羽地の2個前でウィンゾーンのカフェイン入りジェルを一つだけ。ボトルはVAAMとパラチノースを混ぜたものを950mlと750ml用意した。これでエネルギー切れや足攣りの気配は全くなく、加えて水分もレース中は1.5Lほど飲んだだけであった。
一般的にグリコーゲンは水分と糖質が結合した状態で貯蔵され、消費される際に水分を血中に放出する。グリコーゲンローディングにより結果的に運動中の循環血流量の低下を防ぎ、比較的少量の水分摂取で済んだか。あくまで仮説だし専門家から怒られそうな内容だが、コントロールできれば心強い武器になりそうだ。後述するがやりすぎは序盤の登りで地獄をみるためおすすめしない。
エネルギーについてはDNSのニュートリションガイドが分かりやすくておすすめ。身体づくりに関しても有益な情報が沢山あります。
スタート~フンガワ
早めに自転車を置き、シード選手のほぼ後ろあたりからスタートした。スタートしてしばらくは道幅が広く路面も綺麗なため、パレード走行で最前列付近に難なく上がる。
数分で1回目のフンガワが始まる。足が動き始めるまで時間がかかるのと、浮腫みで体重がヤバいため特に体感強度が高かった。
KOMを過ぎて降りに入る。試走した情報を元に絶対に転ばないスピードとラインどりで走る。サイコンにはルートナビを表示し、レース中は基本的にこれを見ながら走った。
海岸線と奥の登りを淡々と走り、フンガワに再突入する前あたりから土砂降りになってきた。コーナーで100kmの小集団と重なりそうにもなり、リスク回避で早めに踏んで前へ抜けておく。クライマー勢やKOM狙いの人達のペースメイクで1回目より速いが、足が動き余計な水分も抜けてきたため楽にこなすことが出来た。心拍数も2回目の方が落ち着いている。
降りをマイペースでこなす。集団が伸びても補給所で一瞬落ち着くことは分かっているため余計に踏まずに合流し、その後のペースアップに自然に合わせていくのみ。
時折危ないなと思うポイントや楽に速く走りたいときに他の選手へ声を掛けながら走る。主に自分がレース中などに指摘してもらった点をそのままお返しする感じ。
学校坂
降りで登りに入る前にポジションをあげ、前目で学校坂に入る。
麒麟山の田崎さんを中心にペースがカチ上がる。
体感強度としてはレッドゾーンに入る手前といった感じ。強度に対して心拍数が自然に上がってくれて、ここで調子の良さを感じた。
その後のダラダラと続く緩斜面に備えて前に上がるが、強度を維持したままローテーションしても後ろが離れることがあった。事前ではここで本格的にセレクションが始まると考えていたが、集団は完全にサイクリングモードだった。流れに反して余計な力を使う必要はないため、足を緩めて休息に努めた。
ゲサジ、カヌチャ、羽地
いつもの千葉の道をトレースしたようなコースが続く。残っているメンツもなんだかいつも練習してくれる人達が中心で、初めて走るレースなのに既視感を覚えていた。
海岸線沿いで鵜沢さんがアタックし、雑賀さんが嫌な位置で緩めてギャップを広げようとする。他者に任せることと自然にローテーションすることを天秤にかけると、この強度の中で追う必要が無い人の後ろで足を止めても利益が薄いと考えた。ペースは上げなくて良い。ただ自然にローテを回せばよかった。その後も散発するアタックと吸収を繰り返し、落車により車線が狭まった後あたりで古谷さんと数名で抜け出していくのが見えた。
羽地の登りはバルバの井上さんをきっかけにハイペースで進み、逃げを吸収していく。トンネルまで進んだ段階でペースが若干緩む。ここでドカンと上げきることが出来たら本当に強いんだろうな。実際に直面するとそこで踏む勇気は無く、羽地を登り切る段階でローテが回ってくる。有力選手達が足を使ってくれた後でペースを緩める理由はなく、ハイペースのままアップダウンを突き進み、降りへ入る。
最終コーナー 〜 フィニッシュ
枚数を残しているのは湾岸のみ。温存していた石橋さんを発射するために最後はトレインを組むだろう。石橋さんの番手に入りたかったが、井上さんはそれを見越してか湾岸の番手に入っているように横目で見えた(色々と違っていたらすみません)。スプリントするなら湾岸トレインからの井上さんの番手を死守すべきだろう。
しかし最終コーナーに入るまでずっと考えていた。このままスプリントに参加したとして、瞬発力に優れる選手相手と真っ向勝負して勝つ事は100%無い。
最後の1.2kmをもがき切る方が比較的マシだった。同じような選手と飛び出して早駆けし、集団が牽制してる内に逃げ切ろうと思った。
最終コーナーを抜け、インからの立ち上がりで鵜澤さんが抜けていった。番手に着かせてもらい、早めに前へ出てそのまま加速する。スプリント体勢の集団にスピードで勝るはずが無いため、アレ誰?誰が追うの?と考えている間に速度へ乗せる必要があった。同時にこのまま行く意志を伝える。鵜澤さんがチームのために下がったとしても、他に同じような考えの人が来てくれたらと思った。
2人なら維持出来るできるギリギリのペースで速度へ乗せたら先頭交代を要求。ここで誰も居ず1人となる。すぐ加速し直す。残り200mの看板を過ぎ100mの看板が見え、集団に追い越される。踏みやめてフィニッシュラインを超えた。
振り返り
全体的になんとも消極的だが、勝負所まで力を維持するにはこれで正解だった。最後は早掛けを選択していたが、その選択肢が浮上する時点で敗北はほぼ決まっていたと思われる。
絶対的な力に劣る自分は最後まで残ることに加えて、自分が有利となる展開に持ち込む力が必要となる。それもうまく周囲の力を使って。麒麟山の田崎さんをはじめとして、抜け出したい意志のある選手は数多く居た。チャンスはあったはずだ。
勝つためにはどこかでリスクを負う必要がある。パワーのマネジメントやリスクの負い方を学び続けることで、レースの中での選択肢を広げてくれるだろう。
最後に、このご時世において公道レースの開催に繋げてくれた運営団体は想像できないほどの苦労があっただろう。日ごろから協力してくれる友人達、練習環境を提供してくださった方々、周囲の人たちの協力で最高の舞台を楽しむことが出来ました。まだまだ伸びしろしかないヒヨッ子ですが、どれだけ成長できるか楽しみにしてもらえると嬉しいです。