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ひとり

「北千住 バスケットゴール」で検索してでてきた場所に当たりをつけて、ボールをかごに入れて、最近かったチャリにまたがった。

ラジオを聴きながら向かおうとイヤホンをつけて出たけれど、今日は特別いい天気で河川敷の風の音も心地いいから、何も聴かないほうを選択した。


昔からいろいろなところに一人で行くことが多い。一人でサッカーを観に行く、焼き肉も食べる、カラオケにも行ったことがある。
「一人のほうが楽だよね、誰かといたら気を使っちゃうし」と十代から自分に言い聞かせるけれど、たぶん違う。
一人でも楽しいことはあるけれど、誰かとのほうが楽しさの最大値は高い。
更に一人でいても、気は使う。一人での行動が恥ずかしいと思ってしまっているから、周りの視線に普段以上に敏感になる。
ようは単純に友達が少なくて、一人で行動せざるを得なくなっているだけ。


バスケットゴールがある公園までチャリで25分程度。そのほとんどの道程が荒川沿いだった。
川の真横の道より、少し上がった土手沿いを走るほうが景色が広がり気持ちがいいことに途中で気がついた。
後半は疲れてきて、ケチってギアなしの安いママチャリを選んだ自分を恨みながら進んだ。

ようやく着いた公園はグーグルマップで見た感じよりショボくみえた。すでに大学生が二面のハーフコートを使用していた。
長引きそうだし、このあと自分が一人でシュートするのも恥ずかしいから、諦めて帰ってもよかったけれど、ベンチでのんびり待つことにした。


運動はしなきゃなと思い、ジム通いやランニングをやってみたこともあったけれど、長続きはしなかった。
今考えるとそりゃそうだと思っている。ジムもランニングもまったくやりたくなかった。やりたくないものをやらなきゃだけで自分を動かせるほど高尚なメンタルは持ち合わせていない。

それでもサッカー・バスケならやりたいと思っている自分がいることにふと気がついた。
すぐにサッカーボールとバスケットボールをどちらも買って川沿いで一人で遊んでみた。
残念ながらサッカーは下手すぎて満足感は高くなかった、けれどバスケはボールをついているだけで楽しく感じた。
これはバスケゴールがあるところでやったらより楽しくねと一人で盛り上がっての今日がある。


三人組が帰って、一面が空いた。

空いたことにすぐに気がついたけれど、ちょっと時間を置いて、別に待ってませんでしたよ感をだしてから動いた。
空いたコートにあるゴールのネットがほぼ外れていた。シュートが入ってもあまり高揚感がなさそう。バスケには様々な要素があるけれど、ゴールにかかったネットは重要度が特に高い方だと思う。

ドリブルからジャンプシュートをした。
レイアップシュートもした。スリーも狙った。

シュートが入らない。
中学バスケ部時代から大して入らなかったけれど、あのときよりもっと入らない。
本当に入らない。レイアップすら入りません、悲しいです、これは老いですか。

落ち着け自分と言い聞かせ、まずどうやったら入るのかを考えることにした。中学時代から体力は落ちたが、考える力は上がっているはずである。
まずフォロースルーが甘いからボールに回転がかかっていない、さらに上ではなく前にジャンプをしているボールに正しく力が伝わっていない。原因に二つの仮説を立て、改善を試みた。

上にジャンプして、フォームを意識して回転をかけてシュートを重ねた。

それでもほとんど入らなかった。
入らないんかい。

入らないシュートを重ね、気がつけば疲れていた。周りの大学生はいなくなっていた。疲れに気が付かないほど、他者の視線も気にしないで没頭できたみたいだ。
やりたいことに没頭できて清々しい気分だった。

自分が行きたいところ、やりたいことがわかって、それに素直に行動すれば、周りは自然と気にならなかった。
ただ当たり前の一人の楽しみ方を知らなかっただけだった。


帰り道は遠く感じた。景色も川沿いの気持ちよさにも慣れてしまっていたからだろうか。
そんなときはラジオである。聴きたかったラジオをタイムフリーで聞いて没頭できたおかげで、バスケ後の気持ちよさを心にパッキングしたまま帰宅ができた。

あー疲れた、このあとは何をしようかな。
てかアメリカみたいに日本にも、もうちょい各所にあればいいのになバスケットゴール。
実際アメリカに沢山あるのか知らないけど。

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