ベルリンの壁に関する勘違いをしていた話
勘違いについて。
11月9日はベルリンの壁が崩壊した日です。
グーグルのホーム画面でそれを思い出しました!
ここで最近自分にあった勘違いについて皆さんにシェアしようと思いました。
同じように勘違いしてる方も多いんじゃないかなと思って笑
以前自分はベルリンの壁は東西を分ける象徴として捉えていたので壁が南北を巡りi一直線に建てられたものというイメージがありました。
しかしこれは間違いなんですよね
実際はこうです
東京書籍の世界史Bより引用
ベルリンは東側に位置するのでソ連の管理区域であってベルリンの西側を円のように囲い込んだのが壁なんですよね。
直線ではなく円です!
多分「鉄のカーテン」のイメージが強すぎた結果この勘違いが生まれたのでしょう笑
ベルリンの壁建設の経緯
第二次世界大戦後、連合国は枢軸国を軍事占領し戦後処理を行っていました。
その中で米、英、仏、ソの4カ国で西側を分割占領し
ポーランド、ソで東側を分割占領します。
また、首都ベルリンも同様に分割占領されます。
しかし東西の関係が悪化し、西側が西ドイツで政府を樹立することを前提として通過改革を行うとソ連はベルリンを封鎖します。1948年の出来事です。
空輸作戦の写真はとても印象的ですね〜!
このような関係の中、 東西の生活水準に差が出てきます。東側は貧しく豊かな西側へ移住しようとベルリン経由で亡命する人が出てきます。
それに危機感を持ったソ連が壁を1961年に建設するんですね。
ベルリン封鎖とベルリンの壁建設は同じではないです!
ベルリンの壁崩壊の経緯
軍需産業の肥大化、消費財産業の停滞、官僚の腐敗などでソ連の危機に瀕すると共産党書記長ゴルバチョフはペレストロイカをかかげ対策に打ち出しました。
ソ連の統制下にあり経済が停滞していた東欧諸国はペレストロイカが始まると大きな政治社会変動が起きます。
東ドイツでは改革反対派ホーネッカー政権が崩壊し1989年 ドイツ分断の象徴であるベルリンの壁が撤去されました。
まとめ。
どうでしょう?
あなたは壁について勘違いしていましたか?笑
以上ここまで読んでいただきありがとうございました!