#2 自分で考えた方がいいこともある
どうも、おもさんです。
今チャレンジラボでは、障がいのある方と一緒に仕事をしていますが、その中の一つに清掃作業があります。清掃作業については、弊社が事務所としてお借りしているテナントビルの定期清掃から、アパート共用部分の定期清掃、入退去に伴う空室清掃、エアコンクリーニングや草刈りや草木の伐採作業まで幅広く「きれいにする」を仕事にしています。
エアコンクリーニングについては解剖学で培った知識をいかしまして、丁寧にパーツを分解しています。使用する洗剤についても、生理学の知識を用いて汚れを見極めたうえで適切な洗剤を厳選しています。
まさかそういった知識がエアコンクリーニングで活きるとは思ってもみませんでした。ほとんど勘違いかも知れませんが。・・・別に言われなくても分かってるし。
さて、本題にいきましょう。
自分で考えた方がいいこともある
昨日のnoteでは真似ることから始めようと書きました。
真似ることってよくよく考えると、こちらに真似ができる素質がないと出来ないってわかりますか?
昨日のnoteでも書きましたが、「真似をするときに自分なりの解釈を挟んではいけない」、「いいとこどりなど都合の良い受け取り方をしてはいけない」というルールを書きました。
真似する対象は自分とは違うわけですね。そして、だいたいの場合真似する対象は一歩も数歩も先を歩いている先輩です。
その人の言うことは、今の自分で解釈せず、言われたままにやってみる。やってみたことを報告して、次の言葉を待つ。そして、自分に出来そうだと思うものだけチョイスするのではなく、とりあえずやってみてどうかを実験する。
真似事はよくないという風潮もありますが、わざわざ脳みそにミラーニューロンというものがある以上、真似をするということは生きる上で重要なこととして組み込まれているわけですよね。その機能をいかんなく発揮するのは、悪いことではないでしょう。
まずは真似ることから始めよう。
で、真似をするプロセスの中では、真似の対象とした相手とは異なる課題にぶち当たることがあるんですね。
そして、そういう課題に対しては「自分で考えた方がいい」こともある。そういう理解はとても重要になります。
療法士として新人の頃は、周りの先輩のやっていることに対してとにかくなんでも吸収してやる!という気持ちでいました。一人特別な先輩もいて、その人とは技術面でだけでなく、生き方とか趣味嗜好まで色んな話もしました。とにかくその人みたいになりたかった。
その人を追いかけた道は、確実に自身の成長を加速させてくれたと思っています。けれども、「あれ?」と思うポイントも出てくるわけですね。
その「あれ?」という疑問は私の進んだ道で発生したことですよね。
ということは、その疑問に対しては自身で回答を得るしかないんですよ。
もちろん、すでに他に回答がある場合もあります。
世の中の悩みごとの大半はすでに自身より優秀な人々が相当考えつくしているからですね。
プラトンとかアリストテレスとか読んでみてください。
でもですね、一つの疑問に対する回答って、言われたから納得できるというほど単純なものでもないんです。
掘り下げて考えれば「人は何をもって理解したといえる状態になるのか」に対する考察が必要になりますが、まぁそう小難しく考えずとも相手の話が腑に落ちたり、納得したりするときって自身の体験に裏付けされるときなんですよね。
とすればですよ?
自身の課題や疑問について、誰かに教わるということをしても、正解らしい何かを聞いたにしかならない。その課題や疑問に対して自身なりの経験を積んで、頭から火を噴いて考えたぬいたというプロセスが回答を得るためには必要なんですね。
なので、私自身が人の話を聞くときも、何か質問されたときに「それは自分で考えるべき」と一見突き放したようなコメントをすることがあります。
それは実は見たまんま突き放しているんです。そう、冷たい男なんです。自分の無知を知られたくないんです。僕はどうしたらモテますか???助けてください!!!
すみません、取り乱しました。
自身で考えることの重要性を知った私は、これは「あなた自身が考えるべき課題だ」センサーが発達しています。方法論的なもので解決できることは提示しますし、相手の状態によって助言内容も変えたりしてます。まぁ当たり前の話ですね。でも、私には持ちえない疑問等に触れたときには、自身で回答を得てほしいと強く思うことが多々あります。話は聞く、でも回答は自身で得てほしい。そばにもいる、でも回答は自身で得てほしい。そう伝えます。
先急ぐことはないんです。もちろん、もやもやは早くに解消したいでしょうけど、その場しのぎの納得感は現時点での自分にとって都合のよい逃避をしているだけなのかもしれない。
いやいや、汗水垂らしましょうよ。垂らした鼻水の分だけ強くなれるよ?
きっと、その努力してきた痕跡が自身を支えるバックボーンになるんです。あ、背骨ですね。ついつい英語使っちゃうんですよね。バイリンガルなんで。あ、私関西からの帰国子女なもんでして。外国かぶれなんです。
ということで、「これは自身の課題だな。自分から湧いてきた疑問だな」と思うことがあれば、迷わず迷いの道に入り込みましょう。
納得いく回答が得られるまでどれほどの時間がかかるかは分からない。
考えても仕方がないことも山ほどあったりもする。
自身の課題として取り組むべきこととサクッと解決していいことの分別をつけることは、とても重要だと思います。
納得を得ずに前には進めないよ~と嘆きたい方。
安心してください。特効薬があります。
納得なんてどうでもいいから、やるかやらないか決めましょう。
結局、決定を納得感に帰属させるからいろいろと不安になるんですよ。大事なのは先に決定すること。そのうえで、その決定に納得できるようにしていけばいいわけですね。
次回はこの辺りの思索を書いていきましょうか。
今日はこの辺で途中下車したいと思います。
それでは、明日も。
ごきげんよう。