直感想造研究会 オンラインサロン化計画

私が主宰する直感想造研究会。通称尾森クラブ。
名前が直球すぎる上、某タ○リ倶楽部のパクリなため、ふざけているように思うがいたって真面目な会である。
お美味しんぼの海原雄山の美食倶楽部よりも真面目だ。

この会では完成されたコンテンツを提供しているわけではない。
テーマを定めて、それに見合う稽古方法や検証方法を考えて、人とは何か、関係とは何かと問いを深めている。
その中で、「治療」ということに焦点を絞った会が治療クラブである。

こちらには、様々な職種が集った。
まず第一に検証したのが、職種の違いと「感覚」の違いである。
相手と対峙した時に、違和感を感ずる部位が共通するのか否か。もし共通するのであれば、職種によってその解釈やアプローチの仕方は違えど、互いが何に対して、何をしようとしているのかが分かるではないか。
とすれば、どのアプローチが最適なのかを検証することができる。こう考えた。

結果として、共通する場面もあれば、そうでないこともある。
我々の「感覚」や「違和感」というのは、一体何に根ざしているだろうか。
例えば、他者の言動によって過去に傷ついた経験がありそれに囚われている場合、他者の言動に敏感になる。それこそ、相手の発言が全て自分自身に向けられているように「感じてしまう」だろう。それは解釈の問題ではなく、実際にそう感じるのだ。逆に他者の言動に囚われていない場合はどうか。もちろん、無感動とは区別する必要があるが、自意識過剰による自己防衛とは異なる違和感を得られるだろう。
つまりは、「感覚」というものも自分の状態に修飾される。そんなことは言わずもがな当たり前である。

映画『燃えよドラゴン』にて「Don't think! Feel.(考えるな!感じろ。)」というブルース・リーの名台詞がある。
おそらく治療でもビジネスでも、スポーツでも色んな場面で引用されている言葉だと思う。
これを額面通りに受け取るから、「整える」だの「マインドフルネス」やなんかが流行るのだろう。

冷静に突っ込んでみてほしい。
「感じてどうするの?」
当たり前であるが、我々は感覚、そして言葉を通して世界を認識している。
つまりは、すでに感じているわけである。
それを置いといて、「感じる」を目的化してどうするの?という話である。
だから何なの?の最たるものだ。

とはいえ、これも当たり前であるが、感覚の精緻化は技術職に置いて極めて重要である。
それは感覚の精緻化そのものが重要なのではなく、とある目的達成のために、感覚の精緻化が必要になることが多いというのだ。
つまり、結局のところは「何をするのか?」の明確化が鍵となる。
それは尾森クラブのテーマでもあり、治療クラブはその専門化だ。
そこでこれからの治療クラブはまた方向性を変えようと考える様になった。

私の経緯はおそらく少し特殊かも知れない。
その特殊性は例えばこれまで読んできた本の違いがあるだろう。
「万葉集を読めば、感覚が鋭くなる。」
私が良く言うことだが、一般的には意味不明だと思う。「なぜ?」と思うだろう。
私としてはそちらの方が「なぜ?」なのだ。
生きている時代が異なる。政治を含めた社会情勢の違いがある。暮らしも全く異なる。俳句や短歌の位置付けが異なる。使う言葉や体系も違えば、語彙も異なる。
となると、こちらとしては想像力をふんだんに働かせるしかない。そのことをしないで、言葉の意味だけを理解して何になる? 過去の出来事を今現在の価値観で解釈して、良い悪いというそれ自体に何の意味もない。「良い」という場合も無意味だ。大切なのは、「良い」とするならば、あるいは「悪い」とするならば一体何の違いかを多角的に捉えようとするあり様だろう。そうでなければ、歴史に何の意味があるのだろう。
単なる昔話なのか。
この想像力を働かせるというのが、臨床に結びつかないわけないだろう。
想像力を働かせた結果、何かしらの察知する能力は磨かれるはずだ。だから、感覚が鋭くなって当たり前なのだ。


とある研究では人間の脳の構造そのものは15万年変わっていない。
しかし、生活環境は全くと言っていいほど変化した。そこで疑問に思うのは、それは単に生活環境が変わっただけで、人間そのものは何も変わっていないのではないか、だ。
もしかするとそうなのかも知れない。
であれば、歴史にしかり、昔話にしかり、そこにあるのは単なるエピソードの蓄積ではなく、人のあり様である。だから、現在に通ずるわけである。

なぜ古典が今も愛読されているのだろうか。
こんなに時代背景が変わっているのに。
今現在発刊されるビジネス書の内容は、古典に書かれていることの廉価に過ぎない。
それも独自の解釈があるというわけではなく、単なる「分かりやすさ」を優先した結果だ。
これを辛辣な見方をすれば、バカを相手にした商売をしているということだ。
分かりやすくなければ売れないのだから。

これは一体どういうことなのか。
一つに、「わからない」「出来ない」に耐えられないのだろう。だから、今すぐに分かりたいし、出来るものしか選ばないのだ。
逆に時間をかけて「わかる」、「出来る」自分になりたいという欲求や考え方を持っていないのかも知れない。

私自身は、この時間をかけて「わかる」、「出来る」という土壌をこれまで育んできた。
それが思い込みだとしても構わない。
その真偽はこれから検証していけば良いだけだから。

そして、一つの方向性を持って「治療」ということに取り組む過程を共有する。
そのことをタイトルの「オンラインサロン化計画」として取り組もうと思っている。

以下はFacebook上での直感想造研究会のグループページに投稿したものを引用する。

さて、このルームを通して、やろうと思うことができた。
それが皆さんに質問していくということである。
それがこのクラブにおいて、そして今現在の私における皆さんへの応援になる。
何か気づくこともあるかもしれないが、心を折ってしまうこともあるかも知れない。
最近、ヒポクラテスの古い医術について、という本を読み始めたが、冒頭ですでに心折れかかった。
もちろん、時代背景等の違いがあるが、同じ「医療者」ともし括ってもらうとしたらあまりに私は無知である。
それは知識量や情報量、そしてその正確さの問題ではない。
問いの質による無知だ。
そんなことを話題に、今日もルームを開こうと思う。
さて、もう一つお知らせ。
現在尾森クラブは上記したような事情を踏まえて、応援したいと思える人をグループ内に増やしていこうと考えています。
私の直接的な知り合いでなくとも、皆さんの応援したいと思う人をぜひこのグループに案内してください。
そして、今後治療クラブをオンラインサロンにしようと思っています。
何をするのかはこの先に煮詰めますが、私が「治療」ということを考える、あるいは具体化していくプロセスを全共有しようと思います。
もちろん、すでに構築されたものもありますが、それは一旦放棄する覚悟もあります。
つまり、ゼロから「どう問いを立てていくか」をもととして構築し直そうと思うわけです。
このオンラインサロンは定員を50〜100名程度にしようと思っています。
価格は月額1000〜3000円程度にしようと考えていますが、応募者が多ければオフラインで活用できる研究所もどこかに設立することも妄想しています。
またオンラインサロン登録者は、尾森クラブ、治療クラブともに参加費を無料にします。
2〜3人程度のオンライン会員しか集まらず、またクラブにオンライン会員しか来ないということを想定すると、顎が外れそうですが、なんでも顎をはめ直して苦手なしゃべりを頑張ります。
今までいろんな質問をぶつけてくれた皆さんとともに進歩する仕組みを私なりに考えていきたいと思います。
間違いなくいろんな質問を受けたことで、私の考えは深まりましたし、世界は広がりました。そして、視点の転換も身につけさせてもらいました。
牛歩かも知れませんが、嘘みたいに早い牛を目指します。


https://www.facebook.com/groups/614124275414923/?ref=share


これ紹介するときに使ってください。


このブログをご覧いただいている方で、Facebook上のグループに参加されたい方はお気軽に申請してもらえれば幸いです。
誰でもというわけではありません。なんせ、私も私なりに応援させていただきたいですから。
年度末あたりから少しずつ動けたらと思っておりますので、よろしくお願いいたします。


直感想造研究会 – 自身の直感を、自身で役立てるために
http://omosan-world.com

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