ノイズって美しくない?

※この記事はオンラインの「さっきょく塾」のために書かれたものです。

(12月のさっきょく塾エッセイ課題)

 ピアノの鍵盤を普通に弾くとき、実は意外とたくさんのノイズが出ていてそれがピアノらしい音の一部になっているようです。ピアノの弦を指でミュートして演奏すると打楽器に近い印象の音になりますが、これは通常奏法と全く違う音を出しているのではなく、弦の響きを抑える事によってもともとあった打撃音にフォーカスするというものになっています。

ノイズはもともとそこにあった。

むしろノイズはどこにでもある。

情報を伝達するというのは、そもそもとても労力が必要で大変な事なのでそれを妨げるものは嫌われがちです。「ノイズ」という言葉で検索するとそれをいかに消すかという話がたくさん出てきます。

音楽でいうと、楽音をあやつる事がまずは難しい。ピアノの調律とか、バイオリンの演奏とか。まずはノイズの世界=下手という段階からはじまり、だんだん楽音の世界=上手になっていくというイメージが一般的です。ドラえもんに出てくるしずかちゃんのバイオリンみたいに。

「いやいや、ノイズも美しいんじゃない?」という立場が様々な音楽分野で出てきていると思いますが、楽音の社会的地位はいまだもって非常に高いと思います。

ピアノは演奏者にとって、安定した楽音を出すことのハードルが極端に低い楽器です。しかしそれは調律師という別のプロにお願いする事で成り立っています。調律がひどいライブハウスに行くといやでも思い知らされますが、安定した楽音がそこにあるのは本来とても貴重な事です。

楽音はもともと貴重品です。


この文章を書いている部屋の窓が結露していて、そこに日の光が当たってとても美しいです。この感覚を共有してくれる方は多いかもしれませんが、これを見に来るためだけにわざわざ僕の部屋に来る人はいないと思います。

美しいことと、そこに特別な価値を見出すかどうかはまた別の話。

普遍的なものに価値を見出すのはアーティストの優しい特徴だと思います。その価値を伝えるために工夫をこらすと作品になるのでしょう。(うちの結露もいい感じの写真に撮れば価値がうまれるかも。)

ノイズの中には美しいものもたくさんあると思いますが、もともと価値が見出されにくい存在なので、その価値を伝えるにはアーティストの工夫や情熱が必要なのだと思います。


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Yamada Ryo
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