TOMOO one-man live "Anchor"の感想
2024年12月13日(金)に開催された『TOMOO one-man live "Anchor"』at PACIFICO YOKOHAMAに行ってきた。
ライブから1週間が経ち、公式・個人問わずいくつものレポ・感想が出てきているが、公演中に自分が感じたことを残したく、消えゆく記憶を思い出しながら書いている。
セットリスト
全体
席は2階13列下手側(客席からみて左側)。ステージはやや遠く、TOMOOの姿が見えるときと見えないときが半分ずつくらいの視界だった。
ライブの随所に(とりわけバンド編成の曲で)TOMOOのボーカルの力強さを感じる瞬間があり、どっしりとしたドラム、ハードロックのようなアレンジのギターとベース、うねって上昇するシンセ、大きく動くホーン隊・ストリングス隊など演者のパワーを感じる場面が多かった。
TOMOOライブ史上最多の観客全員にしっかり音を届けるという、バンドとしてのテーマがあったのではないかと想像した。実際二階席からでも遠さを感じさせない歌と演奏だった。
また、バンドとしての一体感と、バンドメンバーの個の動きが両方発揮されているようにみえ、TOMOO(band set)というよりはThe TOMOO band だと感じた。
本編
予定より少し遅れて19:15ごろに開演。
単発の大きなライブはオープニングムービー等の演出があるかもしれないと思っていたら1曲目「エンドレス」が突然始まった(あとからSNSをみる限り照明のトラブルがあったよう)。ライブで初めて聴く「エンドレス」は生歌唱の迫力がびしびしと感じられ、無事ライブが開催された実感が湧いきて幸せな気持ちになる。
セッション風の曲繋ぎから2曲目「Super Ball」。楽器が少しずつ鳴り、だんだんと音が増え、次曲が何かわかった瞬間はとても気持ちいい(それが自分の大好きな曲だったりすると特に)。
今のところ、TOMOOのライブにセッション的な要素は多くないけれど、今後増えてくるのかもしれない。先日対バンしたBREIMENの影響があるのかな、なんて想像したりした。
そこから「酔いもせす」「Friday」と続く。「酔ひもせす」アウトロのシンセパートがものすごい勢いで伸びていってkey.幡宮さんの気迫のようなものを感じた。両曲とも、曲の終わりにTOMOOがキーボードの前に移動してピアノパートで締めるのがとても好き。
アップテンポな曲のブロックは、立ちたい気持ちもあったが、ホールの2階席ということもあり座って見る。周りでは数名の方が立って楽しんでいた。
人それぞれ好みの楽しみ方がある中で、自分が立つと後ろの人は半ば立つことを強制された形(あるいは見辛いのを我慢しなればならない)になってしまいはしないだろうかと気になってしまう。だからといって、全ての立つ/座るをTOMOOがコントロールするのも違うと思う。着席指定席を設けて普通の席はもっと立ちやすくするべきだろうか。難しい。
「あわいに」は聴くといつも魔法みたいな曲だなと思う。春を迎えて様々ないきものが動き出すように、各楽器が軽やかな音を重ねる。間奏で打楽器をポコポコと叩くTOMOOは季節が暖かなってきたのを喜んでいるかのうよう。それを見て観客の心も嬉しくなる。ああ、今日ここにいられて本当に良かったと思った。
「ネリネ」はとても寂しい曲だ。その印象は今でも変わらないのだけれども、今回の「ネリネ」は寂しい中にも希望のようなものがあるように感じられた。きっとTOMOOの歌い方によるものなのだろう。逆に次曲「雪だった」は温かみのある曲なのに、この日は淋しさが滲んでいるように感じた。
「ベーコンエピ」は間奏で数秒の静寂をブレイクして大サビに向かう演出が。静寂の間は客席に歓声を求めているのかもとよぎったけれども、いきなりそうはならんやろと思って黙って見ていた。でもいつか一回くらいこういう場面で「Make some noise!」と煽るTOMOOも見てみたいと思う。
「まばたき」曲名は知っていたけれどもほとんど未聴曲(過去動画で聴いたこと自体はあったかもしれないが記憶していない)。冒頭からゆったりした水面の風景が浮かんでくるのが印象的だった。
スクリーンに映写機の映像が流れる!「ロマンスをこえよう」の確定演出だ。心の中でガッツポーズ。TOMOOの地声から裏声に切り替わるくらいの声域が好きなのだが(恋する10秒の「(重)大ニュース」など。多分みなさんも好きだよね。)「ロマンスをこえよう」のサビがこの声域率が高くて最高。
今回間奏のフルートパートがなかった(あるいは僕には聴こえなかった)のが少し寂しかったかな。
「Cinderella」は今回も圧巻だった。いつもながら短いのにドラマのある大名曲。ライブ後に「ロマンス→Cinderellaは落差エグい」という感想を聞いて、自分は気づかなかったが確かにと思った。
ドラムの曲繋ぎを挟んで「Grapefruit Moon」へ。好きな曲が続いてヤバい。オレンジ色の背景が斜めに傾いていたのが、歌詞の苦しさや焦燥感を表しているようでぴったりだと思った。
「星が消えてしまっても光が届くように音楽も時間をかけて届く」(大意)という紹介で「スーパースター」へと続く。この曲振りはまさにTOMOOの自己紹介なようなものだと思った。
ここ数年で一気にファンを拡大してるTOMOOだが、その前に10年以上にわたる地道な音楽活動を続けてきている。3年ほど前にTOMOOを好きになった僕は、TOMOOがかつて人知れず光らせた曲を5年や10年の時間を経て受け取っている。
TOMOOがこのようなことを意識していたかどうか「ほんとうのことは だれにもわからない」が、10年後や20年後に(そのときTOMOOがどんな音楽活動をしているかはわからないが)未来のたくさんのリスナーが、TOMOOが放っている楽曲群を時間差で受け取っていることは想像に難くない。それどころか100年後、TOMOOが消えてしまったとしても、TOMOOの音楽は届き続ける。そんなふうに思った。
「スーパースター」を大箱ライブで聴いたのは初めてかもしれない。冒頭の声とピアノだけのしっとりしたパートが素晴らしいが、そこからチャカチャカしたギターやどっしりしたドラムが入って曲の力強さが増していくところがまた良い。星を表現した照明もとても綺麗だった。
続く「Should be」はTOMOO流の応援歌。だけれども「頑張れ」といったストレートな言葉なない。代わりに最後のサビで「まだ間に合うよ Should be」と歌う。この曲の「Should be」はまるで人格があり主人公との関係性が変化しているように聴こえる。はじめは自身を縛り付ける存在だった「Should be」が、自分が先に進むために一緒に歩んでいける存在に変わり、最後は「Should be」に語りかけるように歌う。サウンドとしては、バンド編成ということで爽やかな前向きさ強く感じた。
会場全体が立ち上がって盛り上がるブロックへ。
「オセロ」はスターターみたいな曲で、イントロがはじまってたった20秒ほど、TOMOOが歌い出す頃にはもう体があったまっている。「Ginger」はコールアンドレスポンスがめちゃくちゃ楽しい。大サビを合唱したかったけど、それはまたいつか。「Present」は観客の裏拍クラップにかなり安定感があって、みんなおの日のために練習してきたのかな〜なんて思ったり。詳細はよく見えなかったけどホーン隊が前に出てきてわちゃわちゃしている雰囲気も楽しい気分を増幅してくれた。
そういえば、ライブの終わりにTOMOO自ら「POP'N ROLL MUSIC」をやらなかったことに触れていた。ひょっとしたら、ここのブロックで入れることを検討していたけど、遠征の終電なども考慮すると構成上どうしても入れられなかったのかなと思った。(想像ですが)
「高台」では2度の弾き直しがあり、3回目で曲がスタート。ミスがあったときに中断するか、ミスなどなかったかのように続けるかは演者が判断すべきことで単純に良し悪しがあるものではないと思うが、今回はTOMOO史上最大キャパ、武道館ライブも発表され心情的に「遠くにいってしまった」感がある中で、You Tubeライブの一幕のような「おうち」感があって好ましく感じられた。
大観衆の前で連続して間違えると、TOMOO自身いっていたように(パニックになって)どう弾いていいかわからなくなりそうなものだ。しかし、あのときTOMOOは観客の期待に包まれつつも、自分だけの孤独な世界をつくりなおすことができたんだと思う。TOMOOの曲にしばしば登場する、他人との距離感や孤独という主題が、この場面にも現れているような気がした。
また、MCで「高い音を響かせたいとき、下を意識する(大意)」と言っていたのも印象的だった。(これは何事にも「反作用」のようなものがおこるものだと思っているのだけれども、まだうまく言葉にできない。)
「高台」終わりの拍手が鳴り止まない中TOMOOがさらっとはけていき、そのままアンコールを呼ぶ拍手に移り変わる。
アンコールの新曲(タイトル未定)は、過去曲かと思った。何かしらの物語のタイアップになっていそうな雰囲気。しかし、そもそもTOMOOの曲はどれもドラマチックな普遍性を帯びていて、どの曲を聴いてもそのように思うのだろう。
アンコール2曲目の「夢はさめても」が終わるとまたもやさらっと裏にはけていく。その後キャリアの振り返りのような映像が始まったので、ああこれは到達点となるような重要な発表があるんだなと思った。武道館公演の5文字を見たときは、なんて喜ばしいことだろうと思うと同時に、TOMOOの音楽の素晴らしさと近年の勢いを考えれば当たり前の通過点だろうとも思った。
武道館の発表が終わると最後の曲振り。この時間はライブの序盤と比べて最後の曲前は少し緊張感がある。なんの曲だろうとあれこれ考えを巡らせる。
最後の曲は「夜明けの君へ」。先の発表で気持ちが高揚していたこともあって詳細な記憶がなく、素晴らしい歌唱と演奏だっということだけ覚えている。
イマジナリーホーム
「高台」の曲振りのときに「横浜は高いところに家があるイメージがあり、それはイマジナリーホームである(大意)」と言っていた。
横浜に住んで10年以上になる僕はマジでそれなと頷きつつ、この「イマジナリーホーム」はまさにTOMOOの曲の素晴らしさを表した言葉なのではないかと思った。
TOMOOの曲には、生活の一場面を切り取った描写がたくさん出てくる。
例えば「ベーコンエピ」のパン屋や最寄りの駅からの道、「ロマンスをこえよう」の映画館や夜道、「地下鉄モグラロード」の地下鉄モグラ道、「恋する10秒」や「いってらっしゃい」の駅のホーム、「Grapefruit Moon」のコンクリートやコンビニ、「17」の暗いビルやエレベーターなど。
これらの曲を聴いた人は自然とその場面を思い出したり想像したりする。そんな経験はないにもかかわらず。その場面はなんだか懐かしくて、こどものような純粋な気持ちを取り戻した気分になる。TOMOOの曲は想像上の「故郷」になるのだ。
もしかしたら一般的に「故郷」というと田舎の田園風景を想像するかもしれない。しかし、TOMOOの曲で描かれるのは、(おそらく郊外)住宅地の一場面であり、比較的多くの現代人にとってほんとうの「故郷」だ。(僕自身、埋立地の郊外住宅地で育っており、人工海浜に懐かしさを感じるような人間だ。もちろん、人によって何を「故郷」だと思うかは異なる。)
TOMOOの曲には現代の多様化した「イマジナリーホーム」が描写されており、それこそが聴く人を惹きつけてやまない理由のひとつなのかもしれない。
この「ベーコンエピ」なんかは特にそう。「17」も特にそうだと思う。
TOMOO自身の「故郷」については、生まれがカナダであること、出身が東京であることしかわからないが、いつかもっとTOMOOの世界観のルーツの話を聞けたら嬉しい。
ところで「故郷」といえば思い出すのは1914年(大正3年)の唱歌「ふるさと」の一節「兎追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川」だ。
僕は小学校の音楽の時間にこの曲を知り(当時は「兎追いし」の意味がわからず兎っておいしいのかな??「小鮒」を「子豚」と空耳して豚は釣らんくね??と思っていたけど笑)、ずっとこのような風景が「故郷」( = イマジナリーホーム)を象徴するものだと思ってきた。
しかし、ひょっとしたら今から100年後くらいに、令和の「故郷」を象徴するものとしてTOMOOの歌詞が参照されているかもしれない。そんなことを想像したが、そろそろ収拾がつかなくなってきそうなのでこのあたりで終わりにします。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ぼんにゅい!!!