記憶
右ポケットに入れたiPhone6s。この4.7インチの画面に夢中になった思春期の三年間。
今になって同級生と話すとほとんど何も覚えていないことを指摘される。
「人に興味がないんだろう。」とも言われた。決してそんなつもりはなかったが、そう言われても仕方ないんじゃないかと思うくらいこの小さく大きい世界から流れる音楽、映像に夢中だった。たった5〜10分の作品ばかりだが、自分の価値観を壊すには十分だった。
遠い日のことを考え過ぎて歩けなくなった。
自分の未来、何が正解かわからない選択肢の連続。現実逃避か憧れか、近いようで遠いあの世界に惹き込まれた少年は自分にとって何が大事か考え始めた。
カッコつけでもなんでもなく、世界を変えたいと思った。
社会に蔓延る常識のサイクルから外れたいと思った。
地位も名誉も、経済力も影響力も、カリスマ性も魅力も、決断力も行動力もない人間だったが、世界を変えてやろうと思った。
と言ってもそこまで大それたことをしようとしたわけではない。自分の目に映る世界が変わればよかった。自分の世界に対しての見方つまり考え方を変えた時、僕の世界は一変した。
周りを変えようとする前に自分を変えなきゃならない。そうすると自然に周りを囲む人間が変わってくる。おそらく人数は減るだろう。ただそれでいいんだ。そう自分に言い聞かせた。
今、安定を目の前にして足が竦む。背筋が凍る。
安定した人生に甘んじてたまるか。幸せになんかなってたまるか。何度も心の中で叫ぶ。
何かを変えようと必死に考え、叫んだあの三年間の遠い日々のことを思い出せば、一生幸せになれなくたっていいと思える。目の前の長く安定したレールからだって、きっと小さな一歩を踏み外せる。