時計

「明日やろうはバカ野郎」

なんて言われても今日やっても明日やっても同じ事だってあるし、正直ただの理想論だとずっと聞き流していた。

だが最近この言葉についてよく考えるようになった。

「バカ野郎」なんて言われるとつい反抗したくなってしまう性格なので突っ放していたが、真意としては時間や機会の大切さといったものなのだから良い言葉ではあるのだろう。

時間というと時計やカレンダーをよく見る。時計は淡々と針を進め回っていき、一日経つとまた同じ場所に戻ってくる。(針の位置なら半日だが、最近はデジタルも増えたり、同じ時刻としたら一日で一周。)カレンダーも一週間経つと同じ曜日になり、一年経つとほとんど同じ場所に戻ってくる。(正確には全く同じ日付曜日になるのは400年周期らしいが複雑なので割愛。)

時計やカレンダーは無機質で、これにより一巡すれば同じ所に戻ってくるという安心感が生まれる。四季のある日本は一年経てばまた夏が来るというように季節もわかりやすく巡っていくためこれもまた安心感を覚える。

気づかないうちに自分もこの安心感に甘えてしまっているのだと思う。安心と不安は表裏一体で、自分を安心させた分、その後に不安となって返ってくる。明日があるからと安心していると次の日には前日のせいで不安になったりする。

一年一日一分一秒として同じ時間は訪れない。かといって「その時間を無駄にせず積極的に生きろ!!」なんて薄っぺらい言葉を残すつもりもない。そんな言葉が響く奴はすでに積極的に生きれる奴だ。代わり映えのない日々でもどこかに違いがあるはずだし、そんな人たちもそこで必ず何かを吸収し成長している。誰もが後退することなく前に進んでいる。たとえ小さな一歩でも歩み続けている。

いつかそんな時計を作りたいと思うようになった。同じ場所に戻ってくることのない、どんな人でも時間と共に必ず前に進んでいるという勇気をもらえるような時計を。毎日を有意義に過ごせる器用な人よりも、自分のような平凡なありきたりな毎日を過ごす人たちに光がさすような、頑張るためではなく生きていくための耐え抜くための時計を。

喜劇王チャールズ・チャップリンは、「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である。」という言葉を残している。恥ずかしながら自分の座右の銘でもあるこの名言にもあるよう、躓いた日も、落ち込んだ日も、涙を流した日も、何もしなかった日も、それはあなたの小さな一歩であり、そんな小さな一歩しか歩めなかった日も楽しい人生の1ページと思えるような、そんな時計を作りたい。

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