「宇宙船 アポロン5号」
向かいから小学生の下校集団がやってくる。この近くには小学校があるのか。わいわいしていて楽しそうだな、僕は毎日1人でとぼとぼ歩いていたな、なんて考えながら見ていると、気になる男子グループがやってきた。
低学年4、5人が何やら段ボールの工作物を御神輿のように担いでやってくる。ロケットだ。全長は彼らの身長ぐらいある。全体が絵の具で塗装され、正面には「アポロン5号」と書いてあった。
めちゃくちゃ良い…!!!!!!!!
めちゃくちゃ良いじゃないか!!
決して上手にできているわけではない。しかし、彼らが学校に材料を持ち込み、空き時間で仲良く制作していたことを考えるとめちゃくちゃ尊い。最高じゃん。
思わず「そのロケット、いいね」なんて声をかけてしまいそうになったが、通報まっしぐらなので踏みとどまった。
5号ということは1〜4号も存在したことが推測される。いくつかの試作を重ね、満足のいく出来になったから外に持ち出したのだろうか。
きっと公園で遊んだりするのだろう。
僕も幼少期は自分の宇宙船を所有していた。
自作したものではなく、実家にジョイントされていたものを僕が発見したのだ。発見当初は機体のコア部分が大きく故障しており、それを修理した僕がその功績により譲り受けた。という設定。
実際には実家の寝室を大きな宇宙船に見立てていたのだ。出窓部分がコックピットであり、その向こうに想像上の宇宙を投影して遊んでいた。乗組員もいた。分析員のおもち(しろくまのぬいぐるみ)をはじめ、めいちゃん(ひつじのぬいぐるみ)、パンダ(パンダのぬいぐるみ)などの隊員と冒険を共にしたのだ。
と、一通り思い出して感じたのは、さっき目にした少年たちと僕は全く真逆であるということだった。
彼らは友人たちと宇宙船を工作し公園で遊ぶというリアルな営みと関係性を楽しみ、僕は自宅で、自分だけの宇宙の旅を楽しもうと想像の世界に走った。
僕は人と関わるのが苦手で、1人で時間を過ごすことを好む。俗に言う内向型の人間だ。幼稚園でもずっと1人で耳を塞ぎ過ごしていたし、小学校6年間友達と遊びに行ったことすらない。
そのことを負い目に感じることもあった。自分はなぜこのように成長してしまったのかと。
しかし、彼らの姿を見て確信した。元よりそうなのだ。
僕の性格的な特徴は先天的なもので、僕がどんなに頑張っても彼らのようにはなれない。全く別の人種なのだ。
どこかで道を誤ったわけでもなく、外向的になるための性能が劣っていたわけでもない。「そういう人種」なんだ。
同じ「宇宙旅行ごっこ」という題材でも、こんなにも違いが生じる。だったら、生活や生き方に大きな差が生じて当然じゃないか。
確かに、この社会で生きていくには不便な性格かもしれない。でも、目立った欠点はそのくらいだ。
その代わり、音楽や物語など、ものづくりにおいてこの性格は一役買っている(気がする)。
僕の根本的な部分は、あの宇宙を旅していた時から何ら変わっていない。変わることができていないとも言う。
しかし、そんな必要はないのかもしれない。
自分に争うことなく受け入れ、そういう人間としてできることを続ければいい。
違う性質を持って生まれた人間には理解されないことばかりだ。馬鹿にされることだってあった。けれどそれはこちらも同じで、そういう目を向けてくる奴らのことを僕は理解できない。
自分は変われない。理解されない。理解できない。
そんな諦めが、1つの希望と活路になる。
「宇宙船 アポロン5号」が、そんな漠然とした気持ちを言語化する機会を与えてくれた。
ありがとう少年たち!
ちなみに「アポロン」とはギリシャ神話の太陽神であり、「アポロ宇宙船」のネーミングの由来でもあるらしい。
それをあえて持ってくるネーミングセンス、良すぎる。