身体表現性障害か線維筋痛症か、最大に痛かった頃からの話
私が8年半くらい前だろうか…もっと前かな…
突然痛みが出始めた
はじめは坐骨の痛みだった
整形外科に行った、レントゲンは問題なく、症状から見て坐骨神経痛だろうと言われた
痛みは増すばかりで、ボルタレンという強い座薬を使っても痛くてたまらなく、子供に隠れて廊下で倒れている…そんな状態だった
出産すら、あの頃の辛さには負ける
念のためにCTをとることになった
そこで卵巣嚢腫と言われることになる
思わぬ発見になり婦人科に行く事になるが、それはまた違う話になってくるので、今はやめておこうと思う
検査の帰り道に痛みと熱で倒れそうになった
救急車を呼ぼうか本気で悩みながら婦人科に行ったのを覚えている
子供が小さかった為に母が子供を見てくれ、父は仕事、夫も仕事
一人で心細く頑張っていた
倒れてても廊下が冷たくても…子供がいるから頑張れた
夫が何か実父を怒らせたのか…私が倒れているのをほっとらかしで、実父が夫に怒っていた事もあった
何で私は一人で倒れてるんだろう、寒い…助けてって思いながら動けずにいた
自律神経系かと心療内科に行った際に線維筋痛症、典型的だと言われた
そこから薬を飲み始め、辛いながら薬で誤魔化しながら生活をした
薬の飲み始めは急に体温が下がって、どんどん冷たくなって、あぁ、死ぬのかなと思って恐怖を覚えた
きちんと治してから実家から自宅に戻りたいと言っていたのだが、戻ることとなり数日で引っ越しをした、実家付近に
これも父が探してくれた、夫は払える家賃額を私に言っていた額より値切っていた、何故だかいまだにわからない
ここから時々発作が来る様になった
痛みに耐えきれず、救急外来に行く
行くと救急でどうにかなる病気じゃ無いから嫌がられたが、車椅子でないと動けない、タンカーで運ばれる、そんな事を繰り返した
月1とか2ヶ月に1回とかだろうか
嫌がられたけど、死にそうだったのだ
出先で車椅子、タンカー、杖、お世話になった
それが数年続き、今の主治医に出会い、救急に行くことは減った
メンタルがやられて精神科にも行った
今ここである
この間に、義理両親との揉め事もあったが自分で対応するしか無かった
義理の両親から助けられた記憶は一度もない
だから、今はまだマシなのだ。
強がって生きてないと生きれなかった、今はつらいって言える場所を見つけた。
つらいを夫にも言う様になった。