NewLocalができるまで ~都市 x テクノロジー から 地方 x リアル へ~ (1/3)
まちづくりベンチャー 株式会社NewLocalを創業してから10ヶ月になる。本当に充実した時間で驚くほど色々なことがあった。このタイミングでNewLocalのいままでとこれからを整理しておきたい。
長くなってしまったのでポストを3つに分けた。
ぜひ全部読んでいただけますと幸いです。
まずは改めて自己紹介を。石田遼、株式会社NewLocal 代表取締役。1986年東京生まれ東京育ち、ばりばりの都会っ子だ。
東京大学で建築を学び、外資系コンサルティングファームで国内外の行政のプロジェクトに携わり、スマートビルのプラットフォームを提供するIoTベンチャーを起業。場づくり・まちづくりという領域に設計→コンサル→テクノロジーと役割を変えて関わってきた。
旅行が好きで暇さえあれば飛び回っている。
コロナ以降は海外に出にくくなったため、国内で面白そうなまちづくりをしている方を訪ねはじめた。毎週末のようにいろいろな地域に行っては突撃アポで仕掛け人の方を訪ねてお話を伺った。この経験や人脈がNewLocalの糧になっている。今、新しい地域を開拓するときに行っていることは基本的にこの延長だ。
2017-2021に僕が経営していたMYCITYというIoTベンチャーは、センサーやアプリを使ってオフィスや住宅を使いやすくし、そこから得られるデータを活用して生産性や快適性を向上させるという事業をしていた。僕たちの事業は正直言って伸び悩んでいた。テクノロジーだけでリアルな場にインパクトを与えることの限界と、都市のビルでの生産性を数%向上させることがどのくらい日本の未来に寄与できるのかという疑念を感じ始めていた。同じころ、Googleのカナダ トロントでのプロジェクトが中止され、トヨタのウーブンシティはトーンダウン。世界的な資本と知力を持ってしてもスマートシティは難しいということが見えてきた時期だった。
そんな中、地方で出会う経営者たちはとんでもなく輝いて見え、そこには未来の希望を感じた。前橋の田中仁さん、三豊の古田秘馬さん、庄内の山中大介さん、西粟倉村の牧大介さん。他にもたくさんの方々とお会いした。自分もこんなことをしたい、こういう人になりたい、という漠然とした思いが募った。都市 x テクノロジー から 地方 x リアル へ。だが、東京生まれ東京育ちの自分は、ここで勝負をするという地域とまだ出会っていなかった。
考えれば考えるほど、地方 x リアルというチャレンジは途方もない意義とインパクトをもっているように思えた。21世紀、世界の殆どの国で人口が減る。でも人類は人口減少の世界におけるハッピーシナリオをまだ描けていない。そのシナリオを日本人である自分がつくることには意味があるのではないか。そして、自分に特定の「地元」がないのであれば複数地域に関わればよいのではないか。むしろ、自分が様々な地域で出会ってきた希望をつくる人々と連携し、またそういう人がもっとたくさん生まれていくような仕組みをつくればよいのではないか。
居てもたってもいられなかった僕は、多大な迷惑をかけながら自身で立ち上げて経営をしていたMYCITYの代表を退任し、地方でのチャレンジを模索しだした。地元のキーパーソンと共創すること、ファイナンスを活用すること、ひとつの地域でなく多拠点で行うこと、NewLocalのアプローチの仮説を少しずつ組み上げた。なにものでもなく、先も見えない中、本当につらい時期だった。
そんな時に相談したのが岡雄大だった。彼は株式会社Stapleの代表として広島県尾道市瀬戸田で素晴らしいまちづくりを展開している。長年の友人でもあり、尊敬する経営者の一人だ。「日本には瀬戸田のような場所がもっとたくさん必要だと思う。瀬戸田を10個つくらないか。」瀬戸田のサウナでそんな思いを彼にぶつけた。
その後雄大と議論を重ね、彼は取締役として僕がつくる会社に入り、逆に僕はStapleの非常勤取締役になった。
2022年7月にNewLocalを設立した。
NewLocalという社名は彼が「新しい地元民」という意味で雄大が使っていたニューローカルという言葉からつけた。
僕は想いと構想はあるが、実績が全くなかった。雄大というパートナーとの出会いで構想にリアリティーが生まれ、物事が動き出した。
(その後NewLocalとStapleの業務領域が当初予定していたよりも似てきたことから、雄大はNewLocalの取締役を外れアドバイザーとして関わることになった。僕もStapleの取締役からは外れた。今でもプロジェクトごとに連携はしているし、オフィスもお隣さんだ。何より雄大の助けがいなければNewLocalは生まれていなかった。この場をかりて御礼を言いたい。そして、これからもよろしく。)
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