夏のジョウビタキ
「ジョウビタキの幼鳥を見かけた」と聞いて驚いてくれる人は、私と同レベルのバードウォッチャーなのだろうと思います。日本でジョウビタキは冬鳥。繁殖期は夏。幼鳥とは繁殖から間がないのですから、つまり、「冬鳥を夏に見かけた」という意味なのです。驚いてもらえたでしょうか?
調べてみると、どうやら10年ほど前から、八ヶ岳の麓などではジョウビタキの繁殖が確認されているそうで、そういうことなら、私のフィールドで夏にジョウビタキを見かけることも、時間の問題ではあったのでしょう。それにしても驚きました。
「あなたの驚きはどこから?」
「私は思い込みから」
そうです。なんとなく勝手に、渡り鳥は本能に導かれて飛んでいく、と思い込んでいたのです。深く考えた上での結論ではありません。漠然と、「過去も未来も星座も超えて」飛んでいくのが渡り鳥だと思っていたのです。
そもそも「本能」とは何なのでしょう?遺伝子レベルで完全にプログラムされた行動。少なくとも私はそのように理解していました。どうやら、この理解は少々単純化が過ぎるようです。
いくつかの遺伝的特性、たとえば「体内時計」であり「地磁気感知能力」。これらの特性が「渡り」に適しており、あるいは「渡り」を動機づける。種としてそのような傾向があることは事実ですが、個体差や環境要因によって、必ずしもすべての渡り鳥が「渡り」を行うわけではないようです。
これまでの私の理解では、冬鳥の行動をこう考えていました。冬鳥は、寒いのが好きなんだけど、冬の北国は寒すぎる(雪で閉ざされてしまう)ので、温暖な土地に渡ってくる。そして、春には北へ帰って行く。そんなふうに素朴に考えていたのです。
しかしここでおもしろいのは、温暖化が進んでいるという点です。温暖化が一因となって、北国も雪で閉ざされることがなくなり、渡りをやめる、ということなら理解できますが、温暖な南国に居残るということは、「寒いのが好き」という前提では説明が困難です。
これらを総合して考えると、温暖化を含む環境変化の影響によって食性が変わり、長距離移動に適した筋力が発達せずに、結果、渡りを行わない個体が現れてきた、という仮説が浮かび上がってきます。もっとも、これは単なる私の思いつきであって、科学的な根拠はありません。実際には、もっと複雑な要因が絡み合っているのでしょう。
ともあれ、ジョウビタキの幼鳥との衝撃的な出会いでした。この出会いによって、「本能」というものについて改めて考えさせられました。そして、もしかしたら、私はジョウビタキの適応過程や、長期的に見れば「進化」につながるかもしれない変化の一端を目撃したのかもしれないな、なんて思っています。